23.「『まあ何って偶然なんでしょう!』」

「……あれ、今日は練習休みだっけ」


 軽い声が大きな窓の元アトリエに響く。室内に居た数人が、弾かれたように一斉に声の方向を向いた。


「いや、練習はあるが、コルネル君」


 部長のモゼストは、やはり今日も何か疲れたような顔で、椅子から立ち上がった。

 その場には、あの日学生食堂で話をしていた顔ぶれが揃っていた。すなわち、この演劇サークルの主要メンバーである部長のモゼスト、タイプは違うが花形女優のヴェラとゾーヤ、それに部員ではない学内新聞編集長のイリヤだった。


「後ろの君は、見学?」

「あ、すみませーん。見てはいけませんか?」

「キム君?」


 ヴェラが声を上げた。その声は部屋中に響き渡る。どーも、とその様子を見てキムはにっこりと頭を一度軽く下げた。


「見学は…… ちょっと遠慮してほしいな」

「いいじゃないか部長さん。俺はそこの君にも聞きたいことがあったし」

「俺、何かしました?」


 キムは「コルネル君」こと中佐の後ろからひょいと顔を出すと、あどけないと言ってもいい程の表情で訊ねる。

 まあこっちへ来たまえ、とモゼストは彼ら二人に椅子を勧める。そして四人は自分達の椅子を引きずって、二人を取り囲むようにして改めて座り直した。

 まるで尋問ごっこだな、と中佐は思う。「尋問のようなもの」ですらない。いい所「ごっこ」もどきだ。

 普段自分はそれをする側なので、たまにはされるというのも楽しいかもしれない、と彼は不真面目にもふわふわと考えていた。それに、聞かれるだろう話題は予想がされている。


「コルネル君、昨日君は何処に居た?」

「何処って? 昼間?」


 そうだ、とモゼストは答えた。ふうん、と中佐は顔ぶれを見ながら考える。

 どうやらその役をこの気弱な部長は編集長に割り当てられたのだろう。どうも言葉が板についていない。


「昨日…… そうだな、昨日は、ザザ街でちょっと服を探していたんだけど……」

「一人で、かい?」

「あん? 一人だよ?」

「誰かと待ち合わせということはなかったかい?」

「待ち合わせねえ」


 どうだったかな、と彼は首を大きく回す。


「待ち合わせはしていた覚えはないなあ…… 良さげな奴がいたから引っかけてみたというのはあるがね」


 その言葉にはゾーヤがびく、と肩をすくめた。


「……ああもしかして、あんた等、昨日俺が一緒に居た奴のこと言ってるの?」

「知り合いなの?」


 ヴェラは形の良い眉をきゅ、と寄せた。すると中佐は、声を上げて笑った。数秒の発作にも似た笑いが止まると、彼はひどく可笑しそうな、それでいて困った様な顔を作る。


「知り合い? 冗談でしょ」   

「だけどそれにしては君はずいぶん親密そうだったが」

「だから言ったでしょ? 引っかけたんだって」


 今度はヴェラの顔がひどく歪んだ。


「……だってあなた、居たのは男子学生でしょ?」


 隠し事のできない子だなあ、と中佐は苦笑する。

 ヴェラは表情が豊かすぎる。だからこそ女優、なのだが、隠し事の一つもできないようでは、尋問はしてはいけない。


「男子学生なの?」

「……知らないってことはないだろう?」


 さすがにそこまで行くと、イリヤが口をはさんだ。

 ようやく真打ち登場か、と中佐は思う。そしてちら、と横を見ると、話を人ごとのように聞きながら、キムは編んだ髪の先を暇そうに玩んでいる。


「なあ編集長、あんた女の子引っかける時に、いちいち名前と住所と私書箱を聞くタイプ? そうだろ」


 中佐はにっと笑い、編集長に向かい、問いかけではなく、決めつけてやる。イリヤはやや不快そうな表情を浮かべ、腕を組んだ。

 彼らが束になって五十人ほどの人数で尋問を続けたとしても、彼は大丈夫だという自信と確信がある。と言うか、彼にしてみれば、これは世間話に過ぎないのだ。

 実際彼は、世間話のレベルに落とそうとしていた。無論彼らが聞きたいのは、「コルネル君」が「元ラーベル・リャズコウ」のソングスペイとどういう関係か、ということだろうと彼は予測している。

 そして、そのソングスペイを知っている筈なのに、どうしてあの場で黙っていたのか、ということ。引いては、彼自身も、ソングスペイ同様当局の手先なのではないのか、という方向に持っていきたいのだ、ということ。


「ねえ何言ってるんだか俺にはいまいちよく判らないんだけどさ、まさか俺があん時誘った相手が、あんた等のよく知っている相手、なんてこと言わないよな?」

「そうだったら?」

「『まあ何って偶然なんでしょう!』」


 イリヤの問いかけに、手を前で組み合わせ、中佐は劇内のヴェラの台詞を口まねをした。

 ヴェラの表情が明らかに怒りに変わる。彼はさすがにそれはまずいな、と思ったのか、再び苦笑すると、手をぱっと離した。


「ホント信じてよ。あんた等がどうしてまあ俺の動きなんて知っていたのか判らないけどさ」


 だが一本の棘を混ぜておくことは忘れない。


「あれはあくまで通りすがりの相手なんだけどな? 一体あんた等、あれを誰だという訳?」

「あれが、こないだの話に出たラーベル・ソングスペイだ」


 ゾーヤは嫌悪を露骨に口調の中に表す。へえ、と中佐は彼女に向かってろやはり露骨に呆れたような表情を向けた。

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