19.「問題は、知り合いであるということを隠している場合だ」
「君は別だ。君は男で、あいにくどうして私は君が好きなのか自分でも理解できん」
そういうことを真顔で言うなよ、と編集長は言いたい気持ちはあったが、苦笑と共に押しとどめる。何せゾーヤはそう言う時にも、表情は殆ど変えないのだ。
「そもそも判らぬと言えば、君がどうして私を好きなのかにしても、君は私にまだ上手く説明してないぞ」
「そういうのは理屈ではないんじゃない?」
「言葉を扱う商売につきたい奴が、言う台詞じゃないな」
いえいえ、と編集長は手を振る。
「そういう部分もある、と知ってこその、言葉の力なんだよ」
「それはカシーリン教授の引用だろう?」
ちぇ、知ってるな、と彼は肩をすくめた。
「それに、説明と言えばイリヤ、わざわざ学内でなく私をここに連れ出したのは、それだけのことか?」
「いや」
彼はあごをしゃくる。くわえ煙草のまま、ゾーヤは彼の視線をたどった。
「……『絢爛の壁』がどうした?」
「壁はどうでもいい。ゾーヤそこにもたれてる奴を見てみな」
彼女は目を凝らす。そこには自分達と同じくらいの年頃の男が壁の外にまで身を乗り出す枝の下で、本を読んでいた。
「何だ? あれがどうした?」
「あれが、ラーベル君、なんだけどね」
「ラーベル。と言うと、先日君が、ヴェラに言っていた『幼なじみ』のことか?」
ああ、と彼はうなづく。
「……理学群で見かけたんだけどね。学生証には、ラーベル・ソングスペイという名だった」
「妙な名だな。ここの者ではないような」
「だが一応ここの市民ということになっている。ただし、彼を知っている者が、俺の知っている関係にはいない」
「ということは?」
ゾーヤは身を乗り出す。
「彼は、当局のスパイじゃないか、ということだ」
「……特高か?」
「かもしれないし、別口かもしれない。そもそも何を目的で入り込んでいるのかも、なかなか特定できない」
「ただ、『入り込んで』いる以上……」
「我々の敵である可能性は高い、ということだ」
学内新聞編集長の言葉に、彼女はうなづいた。
「やはり、学祭に向けての計画は、漏れているということなんだろうか?」
「表向きは、だな。裏はどうだろうな」
「裏か。裏裏裏。我々の生活というのは一体全体どうしてこうなのだろうな?」
ゾーヤは肩をすくめる。
「昔はそこまで徹底してはいなかった筈なんだ。何処からこの州はおかしくなったんだ? 私達が子供の頃はどうだ?テレビジョンはもっと楽しい番組をしていた筈だし、音楽も流れていたはずだ」
ちら、と彼女は広場で声を張り上げる若者の姿に目を止める。
「それがどうだ。今ではこういう生の場でしか、見ることができない。できないからここへやってくる。たまる。それがある一定の分量になると当局に摘発される。繰り返しだ」
「ああ」
編集長もまた、真顔になりうなづく。
「問題は、この現状が、慣れになってしまうことなんだ。そうだゾーヤ、確かに俺達がガキの頃、もっとこの州は自由があった筈なんだ。無論今でも不自由はしていない。実際他の惑星に比べ、ここは裕福だと聞く。餓えることはない。だけど、何かが、おかしいんだ」
「何が、だと君は思うんだ?編集長」
「どうして、この州だけが、帝国の命令をそのまま受け入れているのか。それとも帝国の命令は、そのまま届いているのかどうか。司政官が独裁したいがためだけに、帝国というバックを持ちたいだけなのか……帝国自体は、現在のこの状況よりマシな施政をする気があるのか」
「情報通ではなかったのか? 編集長」
うるさいな、とイリヤは彼女の肩を引き寄せる。
「俺だって、無闇やたらに怒鳴っている訳じゃないんだよ」
「別にそんなことは言ってはいないが」
彼女はそう言うと、バランスを崩してイリヤの胸に倒れ込んだ。その途端、吹き込む風に乗って、キンモクセイの花の香りがした。彼女の視線が、「絢爛の壁」に向く。
「あ」
どうした? と彼は彼女に訊ねた。あれ、と彼女は指を立てる。
「見覚えのある人物が、いるぞ」
どれ、と彼もまた彼女の指の先をたどる。……真っ赤な髪が、視界に入った。
「コルネル君か?」
「……だと、思う。あんな派手な髪、あんな悪趣味な配色を私は知らない」
「……何しに来たんだろう?……あれ?」
彼らの共通の知り合いは、何げなく「絢爛の壁」にもたれかかる。ただし、その横には、ラーベル・ソングスペイが居た。
「……何か話しているようだけど」
ソングスペイはそれまで読んでいた本を閉じていた。声が聞こえる訳ではないが、何かを話しているようなのは、見ていれば判る。
「知り合いなのだろうか? コルネル君は」
「だがこの間は、知らない様子だった。名を知らない知り合いという可能性もあるな」
「知り合いだったらどうだろう?」
「知り合いなのは、構わない。問題は、知り合いであるということを隠している場合だ」
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