6.「ガキの頃に身についてしまっている言葉のリズムという奴は変えようがない」

「俺は8:2でソングスペイだと思う」


 え、とぼうっとした視線で連絡員は中佐を見上げた。寝るなよ、と彼は相手の頬を軽くはたいた。


「聞いたのはお前だろ」

「ごめんちょっと寝させて…… 話そのまましていていいよ…… 耳には入るし…… 後でリピートさせて…… 記憶はできるから……」


 そして言うが早いが、キムは目を閉じた。次の瞬間には、もういくら揺さぶっても起きない。

 これもまた奇妙なことだ。仕方ないから、相手から身体を離すと、彼は一度その真っ赤な髪を振る。そして腕を伸ばして煙草を口にする。

 何なんだか、と火を点けながら彼は思う。

 この連絡員は、事のたびに自分のことをタフすぎるとおどけた調子で責める。

 ふう、と煙を吐き出す。

 だが仕方がない。そういう身体なのだ。少なくとも、生身の頃より。

 この吸っている煙草にしてもそうだった。普通のものでは、吸っているという感覚すら無いのだ。

 強すぎる、普通のスモーカーですらそのにおいが漂うくらいで明らかな不快感を顔に漂わせる、そのくらいのものでないと、彼にはそれを口にしているという感覚が無いのだ。

 確実に、様々な感覚が生身の時よりも鈍くなっている。それ故に、冗談ではない程の様々な任務を、身一つでこなせてきたのだろうとは思う。

 だがその反面、何かが確実に無くなっていることにも彼は気付くのだ。

 無論それを悔やむ訳ではない。

 実際、生の世界に引きずり下ろされてから、自分のすること、しなくてはならないことに関して、理由など考えもせず、ただやってきた。

 そしてそれでいいと思ってきた。


 なのに。


 彼はシーツの上に蜘蛛の巣の様に髪を乱しながら無防備に眠る相手の姿を見下ろす。金色の目が、軽く細められる。

 ふと言葉が、煙のすき間から漏れ出す。

 聞こえるというなら言ってやろうか?


「……ソングスペイは、籍を詐称している。いやそれは詐称というのとはやや違うが……」


 軍に提出されているラーベル・ソングスペイの戸籍は、この地方とは全く関係のない星域だった。少なくとも彼が司令部の事務室で検索した限りでは。

 だがキムが気付いたように、彼の言葉には、確かにこの地の人間特有のものがあった。

 帝国にも無論公用語はあるのだが、それはそれとして、各地に、最初の植民者の持っていた言語を地元語として使う場合が多い。

 帝都付近、皇室の提唱する公用語は、ラテン・アルファベットで記される、ゲルマンとラテンの入り交じった言葉だった。

 帝国は公用語だけを強制することはなかったが、公的電波がそれを使用する以上、人々はそれを自由に聞き取れるようになることは必要とされた。

 だが、この地域の場合、その距離の遠さから、公用語が話されることは極端に少ないようである。

 言葉は日々の生活イクォール訓練でもある。話そうとしない聞こうとしない言葉に慣れるなんてことは不可能である。


「……だからいくらソングスペイががんばった所で、ガキの頃に身についてしまっている言葉のリズムという奴は変えようがない」


 中佐は端からはぶつぶつと言ってるようにしか聞こえない程度の声でつぶやく。

 聞こえてるのだろうか? 彼はちら、と横を見下ろす。

 まあどっちでもいいさ、と彼は煙草をひねりつぶした。


* 


「やっと見付けた」


 ベルが鳴りその日の授業が終わった時、不意に肩を掴まれる感触にジナイーダは振り向いた。

 あら、と彼女は声を立てる。そこにはにこにこと人懐っこい笑顔があった。


「あなたは」

「こんにちはジーナ」


 栗色の三つ編み。ジナイーダは記憶をひっくり返す。この三つ編みはよく知っている。


「あなたやっぱりここの授業取ってたんだ」


 そういう彼も、腰までありそうな長い髪を緩く編んでふらふらとさせつつも、ちゃんとテキストやノートを手にしている。


「ええそうよ。そう言ったじゃない」

「そうだよね」


 そう言って彼はまたにっこりと笑う。

 テキストを後ろ手にして、彼女の顔をのぞき込むように見つめる。何となく彼女は落ち着かない気分になり、表情を引き締めた。


「お茶でも呑まない? おごるよ」

「おごられても、返せるあてはないわ、キム君」

「別に返してもらおうとは思ってないって。ああじゃあ、こうしよ。実は俺、下心持ってる」

「下心?」


 彼女の表情は更に硬くなる。うん、と彼はうなづいた。


「実はさ俺、教授に一度お目にかかりたくて」

「教授…… って、カシーリン教授?」


 うん、と再び彼はうなづいた。そして空いた机に飛び乗り、腰を下ろす。


「こないだあなたと会ってから、あらためて俺、図書館で本借りて読んでみたんだけどさ、凄いよね、あの先生」

「何読んだの?」


 ジナイーダはちら、と彼の持つ本に視線を落とす。彼はにやりと笑うと、そうそう、とそれを取り出した。


「それ、『言葉の力』ね」

「うん。これは面白かった。だけど無論これだけじゃないよ。『州内における流行文学の研究』とか……」


 彼はそこで一瞬言葉を切る。


「それに、『放送の力』」


 ジナイーダの眉が、片方ぴん、と上がった。


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