② 青空の下の出会い その2
「終わりなのか?」
中佐はソングスペイ少尉に訊ねた。あ、と少尉は口ごもる。その様子を見て、大方の強者は出尽くしたのだ、と中佐は判断した。
ふうん、と彼は一息大きく煙を吸うと。
次の瞬間、その煙草を足下に落とし、踵でぐい、と踏みつけた。
「いや終わりじゃねえさ」
「中佐!」
あちこちから声が飛んだ。どけ、と小さく彼は言う。すると十戒よろしく兵士の間に道が開く。
ざくざくと草を踏み、彼は進んだ。
「なかなかやるじゃねえの」
「ありがとうございます」
まただ、と中佐は何やら胸の中に苛立つものを感じる。襟と第一、第二ボタンまでを外すと、彼はその場に転がっている長棒を拾った。
あ、と周囲から息を呑む声が上がった。
拾うが早く、中佐の手は相手の方へと上がる。
そのままだったら、まともに顎に当たっているはずだった。だが、棒は宙をかすめた。
「あっぶないなあ」
暢気そうな声が、居るはずの位置から2メートルは後ろで上がった。ふん、と中佐は両手に長棒を握り直す。
「正規法で貴官が強いのはよく判った。だがあいにく実戦ではそうではないからな」
「そりゃそうですよ。俺はいつでもその気ですよ」
相手はにっこりと笑うと、ざっと前に回っていた長い髪を後ろへと直した。両手で長棒の真ん中あたりをぐっと持つ。
中佐もそれを見てにやりと笑う。
次の瞬間。
二本の棒は乾いた細かい音を立て始めた。カンカンカンカンカンカン…
周囲の兵士達は、息を呑んでその二人の様子を眺めていた。
今までの対戦と違う。
長棒同士がかち合う様、それを目を追うだけで精一杯、声など、ましてや歓声も何も、かけるだけの余裕はなく。
ただ目が、その二本の描く軌跡に吸い寄せられ。
左右上下、相手の前、相手の脇、足下、ありとあらゆる場所に狙いを定めた棒は突き、払い、振られ。
必ずそこには迎え打つ相手の棒があった。
カンカンカンカン!
乾いた音が絶え間無く響く。
秋の青い空の下、乾燥した空気のもと、それらはより澄んだ音を立てて、のどやかな景色の中で鳴り響く。
―――やがてその音はそのテンポを変えだした。
新入りの少尉は、棒を右手だけに持ち替える。中佐もまた、左手で、棒を真ん中よりやや端よりに持ち替えた。
右に対して左。正面切っての音はややテンポを崩す。空いた手が、今度は拳となっ、その隙をつくべく進んでくる。
ひゅう、と思わず中佐は両眉を大きく上げて、口笛を鳴らした。
背筋にぞくぞくするような快感が走る。
中佐は長棒を捨てた。同時にからん、と音を立てて二つの棒の転がる音。
だがそれより早く、別の音が既に。
棒同士から生まれるよりもっと早く、しかしそれよりはやや鈍く。
鋭く構えた拳が大気を切る音、手刀同士が当たる音、布の摩擦、また長い髪が空を切る、そんな音が。
見ている兵士の中には、両の腕で自分自身を抱きしめている者も居た。
足が震えている者も、長い袖の中に隠された彼らの素肌に鳥肌が立っている者も中にはいるに違いない。
何故なら。
実に楽しそうなのだ。戦っている二人とも。
どのくらい続くのだろう?
彼らは思った。そして自分達があの新入りに勝てないはずだ、と心底思った。
あのコルネル中佐と互角に戦っている。それは尊敬に値してもいい。
コルネル中佐がこのサルペトリエール軍警基地に赴任してから、三年になるが、その間に彼が軍警及びそれに追われる者に対して作り上げた「伝説」は数知れなかった。
脱出不可能な反帝国組織の「監獄」から、誘拐された内閣の重鎮を救い出した。たった一人で前衛的な組織を内部から分裂・壊滅させた。絶対に帰還不可能な惑星からたった一人帰ってきた。
そんな例を口に出せば、止まる所を知らない。
まあそれに関しては、彼には彼なりの言い分があるのだが、無論それを口に出す程彼は馬鹿ではない。
そして、その功績にも関わらず、全く出世を望まず。
「中佐」という地位が気に入っているのか何なのか、昇進の話をことごとく断り、それが命令だったらあっさりと無視し、軍紀違反と言われれば勝手に何処の辺境地にでも飛ばしてくれと言わんばかりの態度に、さすがに当局もあきれ。
なおかつその「使い道」にはやはり感心せずにはいられないことから、彼は彼の居心地のいいその地位のままで居られるようである。
ただ事件への介入と「如何なる形をもってしても」の解決のみを楽しみにしているらしい姿勢。
緋色より濃い赤の髪、金色の目、強烈な外見と相まって、彼という存在は、下の兵士達からは、恐怖と敬愛という両面をもって迎えられていた。支えているのは、彼の強さである。
少尉の腕と髪が、紅い髪を数本かすめた。
―――と、思われた瞬間、再び中佐は長棒を拾い―――
次の瞬間、長棒を軸に、高く飛び上がった。
瞬間、相手の判断は遅れた。
中佐の足はまっすぐ、少尉の身体を蹴りつけていた。
がっ、と音を喉から漏らし、長髪の少尉はその場に倒れた。勝負が合った。
地面に下り、中佐は手にした長棒で地面をとん、とついた。
その音でようやく周囲の兵士達は、我に帰ったように、はっと息を呑んだ。
ふう、と中佐は一息大きく深呼吸をする。呼吸自体は決して乱れてはいない。
さてどうする? と言いたげに口元を上げる中佐の姿に、周囲の目は引き付けられていた。
誰とも知れず、兵士達の間から拍手が起こった。
純粋な敬意から出たものだった。
別段そんなものを期待していた訳ではないが、中佐は何やら久々の骨のある対戦相手に、気分は良くなっていたらしい。まだ座り込んでいる対戦相手に近づくと、視線を落とした。
「手ぇ貸せ」
尻餅をついている格好の対戦相手に向かって彼は手を差し出した。倒れ込んだ時に打ったのだろう、頬に赤い跡がついている。だが。
呼吸を、やはり乱していない。
にっこりと先刻以上ににこやかな笑みを浮かべて、対戦相手は差し出された手に応える。
大きな手だ、と中佐は思う。
そしてその手が触れた瞬間。
「さすがに強いですね」
ふ、と中佐は笑った。そしてぐっとひと思いに相手を立ち上がらせる。長い髪を掴んで、首を抱え込む。
周囲の兵士はあ、と息を呑んだ。
唇に、唇が、押し当てられていた。
それはひどく長い時間に、兵士達には思われた。彼らは見ているものが信じられなかった。背筋が寒くなった。足が地面に凍り付いたかと思った。
この秋空の下で!
―――どのくらい経っただろう。平然として身体を放した相手に向かい、中佐はこう言った。
「今夜俺の部屋に来い」
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