第11話 説得



翌日、朝。湖畔で優紀はばしゃばしゃと顔を洗わせてもらい、ばしんと両頬を叩いて意気込みを入れていた。


「ユウキ、それ痛くないのか。」

「大丈夫、気合入れだから!」


やれやれと言った風に海神も見つめている。そんな海神だが、「それじゃ、頑張ってきてね。応援してるわよ!」そういってウインクを一つくれた。笑顔でそれを受け止めて、優紀は言う。


「優紀——行きます‼」



               〇



海神より激励を受けた優紀は、すぐにここに滞在している五人を集めた。


「皆さん、お集まりいただきありがとうございます!」


ぺこりと頭を下げる。すると各々手をあげたりして答えてくれた。ここは五人の居住する村、その中心部だ。話を始める前に残り三人と自己紹介をしあう。


一人は事故に遭い、ここへ飛ばされてきた男性、朝見。話を聞くとバイク事故だったそうだ。横から猛スピードで突っ込まれて、かろうじて一命はとりとめた。しかし働き続け、付き合っている女性もなく代わり映えも無い人生に嫌気がさしてここにいるとのこと。


 次に階段から落ちて頭を強打したという女性、宮路。以前ストーカーに付きまとわれており、警察に相談したところストーカーの姿が見えなくなり安心していたのだが、ある日出勤しに外へ出ると後ろから突き飛ばされ階段から転落したのだそうだ。誰がそんなことをしたのか、予想が付かないという。人間不信に陥り、ここにいる。


 最後に、登山中滑落に遭い頭を打った男性、甲子。趣味で登山をしていたのだが、久々に初日の出を富士山で見ようとして登っていたところ、誰かの肘に押され滑落、頭を強打。もともと働いていた会社が不景気になりリストラに遭い、もう所持金も尽きようとしていた時に登山へ行った。そこで死にかけたのならもういいかな、というのがここにいる理由だった。


優紀は三人と大変だったね、辛かったねと慰めあいながら全員が揃うのを待った。最後に奏がきっちり化粧を施して登場し、全員が集まり終わる。各々に飲み物を配り、冒頭の掛け声に至る。


「皆さん、私が今日ここに集まってもらったのは、他でもありません、私の決意を聞いてもらいたいからです!」

「あら、私の宿題の答え出せたの?」奏は少し嬉しそうだ。

「はいっ、これからの人生、七十三年を生きるのに耐えうる柱を、私見つけたんです。」

「随分難しい宿題を課せられたんですね・・・・・・。」目を丸くしながら、宮路がいう。


確かにこれはかなり難問だった。何せ帰らなきゃいけない理由=生きる理由そのものだからだ。そんなもの、すぐに見つかるわけがない——そう思ったのだが。海神の一言で思い描くことができたのだ。それも、最高の夢を。

優紀は手に持っていた大学ノートをばっと広げる。そこには


「私の帰らなきゃいけない理由:家族が待ってくれているから」


と大きく書かれていた。


「なあに、私のところに来た時とおんなじじゃない。」

「奏さん、私は思うところあってこれを書きました。何事にも代えがたい理由です。……聞いてくれますか。」

「そう言われちゃ気になるわね。話してみて。」

「ありがとうございます。」


優紀は深く深呼吸した。


「私が思う帰らなきゃいけない理由、それはここにも書いてある通り家族が待ってくれているから、です。そう思える理由というのも、いくつかあります。

まず、確実に私のじいちゃんばあちゃんは沢庵を作って待ってくれている——。その確信があるからです。」


一旦言葉を区切り、反応を見る。

「沢庵?なんだそりゃ、何が関係あるんだ?」と甲子。

「おお、お手製か。そりゃいいね。美味しそうだ。」と朝見。

なんとも奇妙な顔で固まっている奏と爆笑している綱嶋。固まっている宮路。


「私は漬物が食べられませんでした。全くのひとかけらもです。幼い頃からだいっきらいでした。でも、高校生だったある日、とある人物の逸話を読んで、食べられるようになったんです。私は彼の大ファンなんですが、これが誰かわかる人はいますか?」


静かになる円座。皆顔を見合わせている。その中で唯一、おずおずと手を挙げたのは宮路だった。


「——もしかして、土方歳三ですか?」

「そうです!よくご存じでしたね。」

「私も歴史、好きなんです。格好いいですよね、土方さん。」

「ですよね!

そう、その土方歳三が沢庵を大好きだという逸話を目にして、私は人生で初めて沢庵を食べてみたいと思うようになりました。

じいちゃんばあちゃんは、毎年、私がいつ克服しても大丈夫なように自分たちの畑からとってきた大根を、沢庵、べったら漬け、ぬか漬け、葉の漬物、などなど色んな種類のものをこっそり用意していてくれていたんです。

私が食べられないのを知っていて、それでも好き嫌いなく食べられるようになってほしいと。ビタミン、ミネラル、食物繊維をしっかりとれる沢庵を食べられるようになってほしいと。

……でも、それを私は食べられなかった。あの逸話に会うまでは。土方さんの話を知って、挑戦してみたんです。好きな人が好きなものをじいちゃんばあちゃんは作ってくれてるんだから、って。土方さんのを真似して音を立ててばりっと食べてみる。……そしたら、すんっごく美味しいんです、これが。

こんな美味しいものを、じいちゃんばあちゃんは腰まげて私のために毎年毎年作ってくれてるのかって思うと、嬉しくて美味しくて仕方がないんです。仕事で疲れてても早く帰って、愛情たっぷりの沢庵が食べたいってなるんです。そう自信たっぷりに思えるのはなぜかと思うでしょう?それはいつもじいちゃんばあちゃんが言う言葉が、”優紀ちゃんは沢庵が好きだから、今年も頑張って美味しく作ったで”だからです。そうして待っている人たちを無視して、ここへ留まることはできません。」


優紀は言い切って、五人を見渡す。口を閉じている五人だったが、奏がぽつり


「それはわかったけど……それが一体どうしてその残りの人生生きていく柱になるの。」

「それは、そこをきっかけに自分は大丈夫、愛されてるんだって気が付いたからですよ。」


優紀は座って、奏と目を合わせる。


「へぇ、それは良い話ね。私にはついぞ縁のなかった類のものだけど!」


あからさまに不機嫌な顔を隠そうともしない奏に、委縮しそうになる。だめだ、まだ委縮なんてしてられない。一気にケリをつけないと。そう思い、一旦他のメンバーにも目線を剥ける。他も同様だった。明らかに白けた顔、興味を失った顔。


「その話はまあとりあえず置いといて。ところで皆さん、ここに来てどれくらい経ちました?」それぞれ言ってって下さい、と一人一人目を合わせる。


「お、俺は半年ってとこかな」と綱嶋。

「私は言った通り一年くらい」と奏。

「僕は四か月くらいかなあ」と朝見。

「私は三か月」宮路、「俺は半年いかないくらいかな」と甲子。


「皆さん、それだけいてまだ気が付かないんですか?」

「何がよ。何に気づけって?沢庵の美味しさかしら?」フン、と鼻を鳴らす。

「違いますよ。皆さんがそれだけの時間、ここで暮らしていられるのって誰のおかげかわかってここに居続けてるんですか?ということです。」

「誰のおかげ…?俺は考えたことなかったなぁ。なんでそんなこと考えるんだい。」

「甲子さん。ここにいる人間はなべて植物状態、だからここにいる。それが何を意味しているかといえば、現実では治療費を収め、目覚めるはずなのに目覚めない人を待って、栄養供給をずっと続けてきている人がいるからなんですよ。

知っていますか、尊厳死って手段もあるのを。栄養供給を絶やして、餓死させるんです。そうすれば入院費治療費にお金を持っていかれるのを心配する必要は無い。でも、それをされていない。

ここにいる全員、今ここにいるということは、その手段を択ばずに毎日働いて、そのお金の殆どを私たちを生かすために、目覚めてくれる可能性にかけて繋いでいる人たちがいるからなんですよ⁉」


優紀は必死に訴える。もう感情的になってしまってうまく伝えられているのかわからない。けど、ちゃんと届いていてほしい。——そう願って見渡した五人の顔からは、先ほどの否定的な感情が消え、ただ戸惑いが浮かんでいた。朝見や甲子などは顔を見合わせている。深く息を吸って、優紀は絞り出すように言う。


「……だから、私は帰る。絶対に。目を覚ますと信じて繋いで、沢庵を作って待ってくれている家族のもとに。私たちはじいちゃんばあちゃんやそのまたじいちゃんばあちゃんたち、想像以上の人数の先祖たちが繋いできた末端の一人なんです。その人間ひとりひとり、宝じゃないはずがないんです。皆さん、絶対に誰かに愛されてます。現に今必死につないでくれている人がいます。その人のもとへ帰らなくちゃいけないんじゃないですか。」


「で、でも向こうにいたころそんなこと伝えてくれる人いなかった。今考えなおしてみたって、そんなことしてくれる人なんて思い出せない。必要とされてるなんて思えない。そんな風になんて考えられない!きっとただ見殺すなんて外聞悪いから生かしているだけよ。……もしくは、誰もいなくて医者が面倒見てくれてるかのどちらかね。」

「僕もそのパターンかな……リストラされた後妻子とは離婚しちゃったし。」

「俺もかな。酒癖悪くって敬遠されてたから。」


「——じゃあ、私の夢を聞いてくれませんか。帰らなきゃいけない二つ目の理由を。」

「夢?」次は何なの、と奏は嫌そうな顔をする。


それに優紀は明るく笑って、

「みんなで向こうに戻って、向こうで会いましょうよ!元の皆さんに会いたいし、会わせたい人がいるんです。そうしたら何日かまたおしゃべりでもして、ここでの出来事を本にしません?その印税で治療費と生活費賄うってのはどうです?」

「ああ、それは大きな夢ですね。とっても魅力的。」宮路が言う。


「でしょう?宮路さん、文章書くのはお得意ですか?」

「うーん、得意と言われればそうとも答えづらいのだけど……。でも、本を読むのは好きだった。新しい世界にただひとり身を滑り込ませるようで、不思議な体験よね。ストーカーに狙われ始めたきっかけも、図書館で見かけて、だったっけ。……その本を執筆する側になれるなんて、気持ちがよさそう。」


うっとりと目を閉じる宮路は、夢見る少女のような顔をしている。日光を受けて柔肌が輝き、睫毛は影を作る。素直に、美しいと思った。


「なかなか面白い話だとは思うけど、僕は文章書くの苦手だしなぁ。それでも書けるもんかな。」

「そうしたらみんなで話し合って文章作りましょう。きっとその作業も楽しいですよ。」

「にしても、俺らのしょうもない話書きたくって何かなんのかねぇ。」

「そうよ。ただ個人情報垂れ流すだけじゃない。そんなこと、私は嫌。」


綱嶋と奏は懐疑的だった。この二人は、あまり本に親しみは抱いてこなかったらしい。もしくは、よっぽどの慎重派なのか。


「大丈夫ですよ、少しはぐらかしながら書きましょう?半フィクションってことで。」

「でもそのあなたの夢の本を書くことに私たちになんのメリットがあるの。また死にたくなった時、助けになんかなりゃしないでしょうそんなの。」

「……奏さん。一年ここにいるって言ってましたよね。その間に、向こうでどんなムーヴが起こったのか知ってます?」にやりと笑って言う。


「し、知るわけないでしょそんなの。なんなの?」

「実はですね。いまなんと……中性、がブームになるほど、男と女というのは混じりあっているんですよ⁉」

「な、なによそれ⁉」

「服装は男女どちらでも着られるようなデザインが流行り、髪形もどちらの性を持つ人でも可能なものが増えました。いまやユニセックスは一大ブーム、大歓迎されているんですよ‼」


そんな楽しい、貴女が輝ける時代を体感しなくていいんですか⁉と揺さぶる。


「ま、まさかそんなことあるわけ、」

「あ、でもたしかに僕が来る前、ブーム来てたかも。色んなブランドがユニセックスって売り出してて。」

「そうです、そうなんですよ!きっと今戻ったら楽しくて仕方ないんじゃないですか⁉」

「う、うう…ちょっと気になるじゃない……っ」

「それから綱嶋さん!」

「はいっ⁉」

「貴方も、先ほど酒癖悪くって敬遠されてたと仰ってましたが、今アルコール依存症に対する専門外来があるの知ってます⁉」

「えっそんなのあんの?」

「あるんです!メタボ外来に禁煙外来もあります。今の時代、依存症に対するケアは非情に手厚いんですよ!私ここに来る前にクリニックにいたんで信用してください!」

「うーん……でもなあ……」

「ここで戻って克服したら、見直したって言われる可能性百パーセントじゃないですか。」

「‼……それはちょっと……かっこよさに磨きがかかっちゃうな……。」


ここでの生活もすこしマンネリ化してきたところだしな、と綱嶋は言う。よし。残るは朝見と甲子だ。


「次に、朝見さん、甲子さん。お二人に問いたいことがあります。」

「な、なに?」朝見が戸惑う。

「貴方たちに、ここへ来る直前会っていた人はいましたか?」


「僕は……姉ちゃんかな。嫁いじゃって、そうそう会わなかったけど。」

「俺は………いうとすれば、妻子かな。離婚する前までだけどなあ。」

「……なんだ、二人とも大事な人いるんじゃないですか。お姉さんはご自分の家の面倒があるのに時折でも顔を見に来てくれてたんでしょう?それって、心配して気にかけてくれる愛情の発露そのものじゃないですか。そんなお姉さんにお金出させてぬくぬくこれからも一人寝てるんですか?甲子さんも!お子さんいるんじゃないですか。何歳なんです?」

「ま、まだ七歳だけど」

「そんなに小さな子から”父親”を奪うんですか?」

「‼」

甲子はうつむいてしまった。鼻をすする音がするから、泣いているのかもしれない。


「皆さん……私の夢、一緒に叶えてくれませんか?皆さんの、皆さんを取り巻く人にきちんと向かい合った後の顔を見てみたいです。向こうで色んな話をしたいです。だから……一緒に帰りましょう?」


揺らぐ視界のなか、絞り出すようにして優紀は言った。

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