第3話 一夜目が終わる

 ひとまず深呼吸をひとつ。おちつけ、落ち着くんだ私——。湖面に映る顔が違う顔だと思うと言うことは記憶障害がでている可能性があるよね?落ち着いて確認していこう。

私は篠崎優紀、二十七歳、市中のクリニックで医療事務してて彼氏なし、実家暮らし。普段は暗めの茶髪でセミロング、中背中肉・・・うん、私の中の私は理解できた。全く持ってうそ偽りはないと思うし自信もある。

さて見える今の私は、歳は二十歳過ぎくらいに見える、少しおとなびた小柄な黒髪ロング女子。着てるのはTシャツと短パン。・・・なにこれ島スタイル?とりあえず海岸にあがって、近くにあった流木に頭を打ち付けてみた。


「いっっってぇ‼」


夢じゃなかった。痛いだけだった。損した、ちくしょう。


でもこれが夢でないなら一体何なんだろうか?整形したいな~って思い描いてたお目目ぱっちり系女子の顔になってるのは嬉しいんだけど全然意味わかんない。情報がなさすぎる。そもそもここ、島?沿岸?無人島?

・・・とりあえず。考えることは一旦放棄して、情報収集しよう。もしかしたら道中に手がかりがあるかもだし、天国ならばったり天使に出くわすかも。うん、そうしよう!

決意を固めて立ち上がった。と、その瞬間、違和感が胸に渡来した。す・・・とTシャツの中を見るとノーブラのそこそこ大きめのお胸さま。


「・・・人にばったりなんかしたら痴女じゃん・・・?」


思わず空を見上げる。なんかいろいろ流れ着いてるしなんかないかな・・・さらしとかないよね・・・と周りを見渡す。目に入るのは流木、流木、石、葉っぱ、流木、森。


「ううーん・・・これじゃぁなあ・・・」


顎に手を当て考えはじめたその時、あるアイデアが頭を過ぎる。また、あるメロディーも。

流石に一瞬躊躇した。ズレないとも限らない。すける。もろばれする。でも乳首モロバレよりかはましな気がする。自分の中で議会が開かれる。


乙女の自分は「仕方ないのよ!もろに胸が見えたり、外れる可能性があるのにTシャツ脱いで胸で巻くよりもましじゃない!」といい、

おばさ・・・めんどくさがりの自分は「もういいってー二枚ぺたーぐるぐるーでいいっしょほかになんか手だてあんの」といい、

男気のある自分は「そもそもここに人がいるかわからないのに気にしてどうする!」という。


・・・結論は定まった。はい、全員一致で‼この案にします‼



数時間後、暮れなずむ夕日に照らされた海岸にまだ優紀はいた。大きい葉っぱを流木の皮をはいで作った紐でつなげた即席ブラをつけて、予備として腰巻き風に三個くっつけて。海を、虚無の表情で眺めていた。


「・・・腹減った・・・」


そう、食料の確保も周囲の探索もせぬまま一日目が終わった。なんということか。とりあえず昔やった潮干狩りの思い出をほじくり返し、砂の中を探る。しかしながらあまり良い収穫は得ることができなかった。

・・・ひもじい思いはするけど、とりあえずこのまま寝よう。さっきみつけた大きい流木の中で寝ればすこしは暖かいだろう。明日起きてまだ事態が変わらないようなら散策しよう。・・・あぁ、お腹すいた。じいちゃんの沢庵、めっちゃ食いたい。


              ○


一方その頃病院では。

おじいさんを必死にリリースした恩田先生は優紀のベッド脇に佇んでいた。 


「うーん・・・さして怪我の程度は悪いわけではないのに、なぜまだ目を覚まさないんだろう・・・?」


さっきの騒動で白衣も何もよれよれである。斑についている黄色い汁は語るに及ばずといったところか。

そもそも恩田はその確認のために病室にきたのであって、けして沢庵を食べるためではなかった。改めて健康状態の確認をする。心拍数——安定。血圧——基準値。血色——はやや悪いが多少血が流れたせいだろう。経過観察。末端——さして冷えていない。うん、異常はない。今起きてもいいくらいなのに、昏々と眠っている。なぜだろうか。持病、通院歴を洗い直してみようか。そう思い、病室を出ようとしたその時。


「あれま、もしかしてあんたさまが恩田先生ですかい。」

「はい、恩田と申します。もしかして、篠崎さんの・・・?」

「ええ、ええ。見舞いにきたんですよ。」


おれは心配で心配で夜もねれんだった、とつぶやくのは恐らく彼女の祖母だろう。先ほど祖父のほうがぶっ飛んだことをしたのだからここから離れてはいけない——そう決意した。


「そんでなぁ、一応おもたせもってきたんよぉ。優紀ちゃんの好きなもの。」

「好きなものって、まさか。」

「そうよぉ沢庵。」

「やっぱり・・・って沢庵ないじゃないですか。」

「これは付け汁だかんなぁ。食えるとこみぃんなじいさんが持ってったど。」


しかしそれで付け汁だけ持ってくるって・・・?と一瞬考える。その隙におばあさんはタッパーの蓋を開けてまるでうなぎの匂いでも嗅がせるように手で仰いで「ほぅら優紀ちゃん、じぃちゃんの沢庵だよぉ」などといっている。

まぁ嗅がせるだけなら・・・と油断していると、徐にタッパーを患者の口へ添える。どんどん傾けて行く。


「まてまてまてまてなにやってるんですか‼」

「へぇ、このこ沢庵大好きだけんど身はじいさんが持ってっちまって、残りは汁だけだしこの子汁だけでもご飯にかけて食うこだからと思って。」

「いやいやいや気管支入ったら誤嚥性肺炎なって最悪死にますよ‼意識ないんだから‼やめて‼」

「せんせーナースコール押しといたよ」

「ありがとう持田くん‼」


三度目の沢庵事件の出動に、疲労困憊のナースたちはイライラが募っていた。「先生ちゃんとご家族に説明してください!沢庵持ち込みだめだって!もう一回!」などと怒られてしまった。説明してるのに・・・。まあ何しろ対面の患者、持田君十歳がしっかりした子で良かった。自分がいない時に面会に来られて沢庵事件を起こされてもすぐにナースを呼んでくれるだろう。

ちなみに取り押さえた影響で沢庵の付け汁がこぼれ、真っ白なシーツが鮮やかな黄色に染まったのは言うまでもない。

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