第2話 潮騒
浜辺で目を覚ました優紀は、ただぼんやりと遠くを見つめていた。ざぶん、ざざんと打ち寄せては引く波の音が心地好い。
「・・・ここは天国かぁ・・・?」
目が覚めてしばらくしたら自分の現状を思い出した。たしかヤケクソで帰っていたら轢かれたんだっけ・・・?とするとやはりここは天国なのかもしれない。周りに流木とかなにやらいろいろと落ちてて随分世俗っぽいけど。
そうでなくとも、仕事からしばらく離れることができる。それだけでもう天国といってよかった。
ふと、顔も髪もじゃりじゃりとしていることに気がつく。それもそうだろう、こんな砂浜で寝てて潮風に吹かれていたんだから。とりあえず後がどうなろうとしったこっちゃない、この不快感を取り除くため・・・そしてこんな大海原が目の前に拡がっているともなればやることはただひとつ。
「ひゃっほーう‼」
思いきって海へ飛び込む。もちろん、そこそこの深さのところまで進んでからだ。天国で怪我などしたくはない。解放感も手伝って、普段なら恥ずかしくて上げられない声だって、こんな一人ぽっちの砂浜でなら存分に上げられる。なんて気持ちいい‼
顔も含めて全身を水に浸し、じゃぶじゃぶと髪を濯ぐ。身を清め終わってからは波の揺れに身を任せ、心地好く青空を見ていた。あー・・・こんな良いことがあるなんて流石は天国・・・ここにビールがあればもっと最高なのに・・・と、あの喉越しとほのかな苦みとホップの香りを思い出す。あぁ、ビール飲みたい。あぁ、でも天国というと出て来てもビールじゃなくてワインかな?ワインもあれはあれで温度いかんで違った表情を見せてくれるのがまた良い・・・もういっそのことワインでもいい。なんなら折半でスパークリングワインとかでもいい。ドリンクがほしい・・・。
アルコールのことをつらつらと考えていると、そういえば喉が乾いたな、と気がつく。ふわふわ漂っていたのを慎重に足をつけた——はずだった。岩場で足を踏み外し、水の中にダイブしてしまう。
「うえっ、ゲホッケホ、」
気管に入ったようで少しむせる。・・・あれ、これ。しょっぱくない。たしかに日にあたって乾いた肌も潮っ気がなく、さらさらと乾いている。なんだ、ここ、淡水なんだ。じゃあ湖とか・・・?
って、そもそも天国だーなんて現実逃避してたけどこれ、轢き逃げされて湖にボチャンパターンなのかしら。…あらやだ。
柄にもなくおばさん染みたことを考える。体に異常がないのが不思議だがそこはそれ、上手くその・・・あれだ、避けれたんだろう、多分。そう無理矢理納得させて岸へ上がろうとする。
その時。あれまー?さっきまではしゃいでたけどなんだか湖面に見知らぬ顔・・・が・・・。優紀はまじまじと湖面の顔を見つめる。
なに?この顔。二十代前半ってとこかな。髪も、私は焦げ茶だけどこの顔は黒くて艶やかな髪をしている。それがなんで湖面に?
いや、わかっている。理屈ではわかっているのだが、そんなわけがないと否定する自分がいる。
だって、事故ったからって整形したみたいな顔になる?普通。
湖面に映るその顔はどう見たって自分の表情と動作にリンクしていた。——つまり、紛れもなく「顔が変わった」という事実を指し示している——。
○
一方その頃、病院では。
「おや、今日はお爺さまがお見舞いに来られてるんですね。こんにちは、主治医の恩田といいます。」
「あれまぁ、随分お若いのに立派なことで。お世話になっとります。」
「いえいえ、僕ももうアラフォーですから。最近揚げ物がつらくって。」
「ほうですかぁほうですかぁ。ならこれがお勧めですわ。今日孫に食べさせようとして持ってきた沢庵・・・さっぱりしていいんだで。」
おれの畑で取ってきたんだぁ、とニコニコと笑う。流石に受けとらないわけにはいかず、ありがとうございますと言って受けとる。
「ほんじゃあ孫にも食べさせてやろうかね。こいつはつけもんが好きなもんだから」
そういってタッパーをパカリと開け、徐に箸でつまんで患者の口に押し込もうとする。
「あーーあぶなぁい‼気管に詰まるでしょう⁉それに病院では沢庵食べるのやめてくださいってお母様にも言ったんですが!」
「食べとらんよ、食べさせとるんよ。」
「一緒です!とにかく危ないのでそれはやめてくだごがっ」
やれやれしょうがないなーとでも言わんばかりにおじいさんは恩田の口へ沢庵を三切れほど突っ込む。あ、美味しいこれ。このしっかりした食感、うわあすごいいい大根と漬かり具合で・・・この塩味具合ちょうどいい・・・じゃなくて!
「ほひいはん!ほひいはん‼」(おじいさん!おじいさん‼)
「優紀ちゃんに食べさせたくて持ってきたんじゃあ!」
「ほんひんはへんひひはっへはははっへふははい!はへはー!はへはー‼」
(本人が元気になってからやってください!だれかー!誰かー‼)
この度も対面の患者が怯え気味にナースコールを押したことで人出が増え、どうにか押さえることができた。沢庵は切り分けられていたからか、前回よりかは残り香はましだったという。
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