朝と夜
ゆう
朝と夜
急な寒さを感じ、朝陽は目を覚ます。頭が酷く痛い。これは一体どういう状況なのだろうか。数少ない外灯と月明かりを頼りに、辺りを見渡す。ブランコとすべり台があることからここは公園であることが分かる。その時、私は近くにあった時計台を見て固まった。
午前二時。
エッ、ニジ? つまり私は、この寒空の中、一人でベンチに寝そべり、二時間以上も爆睡していたということになる。
ーー二時間前。
忘年会でひとしきり上司からアルコール攻撃を受けて、ノックアウトされた後輩たちを、私は全員家まで送り届けた。そのことに達成感を感じ、安心したからだろうか。自分自身にも酔いが回り始め、頭がフワフワとしてきたのだ。
そこから全く記憶が無い。
お酒って怖い。
「ようやく起きた? 寝ぼすけさん」
聞き馴染みのある声に、スッと酔いが覚める。
「……小夜」
そこには双子の姉、小夜がベンチの後ろで私を覗き込むようにしてしゃがんでいた。
「たまたま見かけたものだから。起こそうとも考えたんだけど、面白いから見てた」
「二時間もずっと?」
「そんなわけないよ。あんたの間抜けな顔を写真に撮って、その後はずっとスマホ。おかげ様で充電無くなりましたけど。」
「そいつはすいませんでした」
ベンチで正座をして謝罪をした私を見て、クスクスと笑う。私の寝顔をこっそり撮ることといい、こういうイタズラが好きなのは本当に昔から変わらない。
「最後に会ったのいつだっけ?」
「十月あたりだったから、二ヶ月前くらい?」
もうそんなに経ったのか。
小夜は私の隣に座り、話を続ける。
「この時期はどこの企業も忙しいからねぇ。私も忙しかっ たけど、どうにか昨日中に仕事終わらせることができたので、全く使い機会の無かった有給を今日から存分に使わせていただきますよ」
「……私も使おうかなぁ。有給」
「ちゃんと終わらせたの?」
「あと少しあるけど、今日休んでも大して差し支えないはよ」
行ったところで、この二日酔いの体と脳が働いてくれるとは到底思えない。それに今は小夜がいる。溜まりに溜まった書類やらなんやらと格闘するよりも、次はいつ会えるのかわからない、親しい姉との会話を楽しみたい。
「朝陽、今、嘘ついたね。本当は溜まっているんでしょう?」
「だ、だけど、どうにか年内には終わる程度にはしてあるよ」
元来計画性が無い私がついた嘘がすぐに小夜にバレるだろうとは分かっていた。それでも、嘘をついてでも小夜といたかった。実は後者の発言も嘘だ。会社に行ったところで後輩の面倒、上司の無理難題を毎回押し付けられて、自分の仕事はまともに出来やしない。効率的に仕事をするのが苦手ということもあって、尚更なのだ。
「まぁ、いいけど。そういえばこの公園、なんか私たちは小学生の頃に遊んでた場所に似てない? ここよりは遊具の数はあったけど」
「覚えてる。懐かしいなぁ」
あの頃の私たちは近所でも有名なヤンチャな双子だった。よく公園の遊具の使用権を巡って、男女構わず喧嘩をしていたため、二人とも、傷が絶えなかった。作戦を立てるのが得意な小夜と、負けん気が強くて行動力がある私。こう考えると一見、小夜は不利なのだが、小夜は言葉巧みに人を罵倒して精神を抉っていたので、実は小夜単体でも最強だった。
「あの時は、小夜を敵に回したら人生終わりだと思ってたよ」
「そんな風に思ってたの?」
「だって怒ったら怖いんだもん」
「酷いなぁ」
それから長い時間、沢山のことを話した。昔の思い出やお互いの職場の愚痴、最近あった面白いことなど。私たちはとにかく話して笑った。私はそんなくだらない、でも大切な時間がたまらなく愛しかった。
月明かりが、そんな私たちを見守るように優しく照らしていた。
「あ」
ふいに小夜が声をあげた。
ひとしきり話をした後、小夜は言う。
「そろそろ夜が明けるね」
目の前の空を指しながら言う。確かに、向こうの空がほのかに明るくなっているのがわかる。
「もうそんなにが経ってたんだ」
「そうねぇ。よく持ち堪えたよね。三十路手前の女共がさ」
「確かに。こんな風に過ごしたのって大学生くらいまでじゃないかなぁ。遊び過ぎて終電逃したことが何度あったことか……。あの頃は色々な意味で凄かったわ」
「今は遊びじゃなくてただの社交辞令パーティーのせいで終電逃してるけどね」
「同じことでも理由だけでこんなにも気分が違うとはなぁ。昔は次の日のことなんてあまり考えずに過ごしてたもんね。でも今はどうよ? 帰っても二日酔いと闘いながら、増え続ける仕事と、円滑は人間関係について色々考えなきゃならないじゃん? 凄く面倒だなぁって思うんだよね。小夜はどう思う?」
「私かぁ。私はね、確かに面倒っていうのもあるけど、『怖い』っていう気持ちの方が勝るかな」
「怖い?」
「そう。仕事上、上司やお得意先には愛想良くしないといけないでしょう? そういう機会が人よりも多かったんだろうね。よく同僚から『媚びを売るのが上手い女』って陰で言われてたの。それがちょっと辛くってね。一時期試しにそういうのをせずに過ごしてみたの。そしたら次は上司たちが『彼女、無愛想で怖いよな』って。ほら、私さ、顔がキツい感じだから。もうね、どっちが正しい選択肢なのか分からないのよ。人ってずっと答えのない事柄を考え続けていくと、精神がおかしくなっていくのね。それを心の中に閉じ込めたまま、何事もないようにみんな過ごしてるんだなあって思うと、なんとも言えない気持ちになる。そんな人たちをたくさん見るのも、自分がそうなっていくのも、怖いんだよ。」
驚いた。
小夜がこんな風に弱音を吐くところを見たことが無かった。ベンチの上で蹲っている彼女の背中はこんなにも小さいものだっただろうか。こんなにも頼りないものだっただろうか。
いや、違う。
私は知っていたはずだ。彼女のことを誰よりも。イタズラ好きで、口が悪いけれど、本当は優しくて、他人に迷惑をかけることが大嫌いなことも。だからストレスを溜め込みやすいことも知っていた。なのに私は、小夜の弱い部分を見たくなくて、見て見ぬ振りをした。弱い小夜を拒絶したのだ。
(私は、自分の中で勝手に作り上げた『小夜』のイメージが崩れるのが怖かったんだ)
完全なる私のエゴ。それが、その結果がこれだ。
「……小夜」
「ん?」
「ごめ、ん」
「どうしたの。いきなり」
「私が悪いんだ。私が、ちゃんと小夜の話を聞いていれば、相談に乗っていれば」
あんな風には
「朝陽」
小夜が優しく私の言葉を遮る。「落ち着いて」とでも言うように。
「朝陽は、何も悪くない」
「でも」
「これは私のプライドの問題。あんたに言えなかった、私の問題」
「……なんで言ってくれなかったの?」
知ってて何も聞かなかったお前が言うな。こんなことを聞いてしまう自分に嫌気がさす。でも、聞いてみたかった。
「そりゃあ、だってお姉ちゃんだもの。私は、妹に頼られるような姉でありたかった」
単純でしょう?ただの私のエゴよ。と笑いながら言う。そして、ふと思い出したかのように次の話題を私に振る。
「そういえば朝陽、まだアレ持ってる? ほら、大学の合格祝いでプレゼントしあったやつ」
「えっ、あぁ、これ?」
私はすぐに首につけているネックレスを外した。小夜が選んでくれた太陽をモチーフにしたもの。小夜も同じように、私が選んだ月をモチーフのものを手に持っていた。
「急になんなの?」
「私のコレ、あんたにあげる」
「は? 何言って」
「本当はとっくに気づいてるくせに」
「……」
当たり前だ。気づいてるよ。
小夜は一ヶ月前に死んだ。死因は過労死。今の私と同じような境遇に立っていたらしく、とうとう限界を迎え、このようなことになってしまったそうだ。これは、後日小夜の部下の人から聞いた話だ。確かに、小夜が死ぬ一ヶ月前、つまり私たちが最期に会った時、少し顔色が悪いようには見えた。でも、こんなことになるなんて思いもしなかった。
どうしてあの時もいつものように弱っている小夜から目を背けたのか。
どうして何もしてやれなかったのか。
散々後悔した。それでも、どんなに嘆いたところで、どんなに絶望したところで、死んだ人間は戻って来ない。
「朝陽、辛いだろうけど乗り越えな。あんたも職場でストレスとか色々抱えてるんでしょう? 死んでからずっと見てたからわかるよ。でもね、死人は『そっち』で話すことも、触れることも助けることも出来ないの。そんな役に立たなくてただ重いだけのものまで引きずってたら、私みたいに取り返しのつかないことになるよ」
返す言葉が見つからない。実際に死んだ人間に言われる言葉ほど、説得力のあるものなんて無い。俯いているの、急に頭の上に暖かいものが触れる。小夜の手だ。
「大丈夫。あんたなら、やれる」
ーー私は、何もやれないけど、ずっと朝陽の側にいてあげることなら出来るから。
その言葉にポロポロと涙が出る。私は何度も何度も頷いた。
その後、泣き過ぎたからだろう。強烈な睡魔が襲ってきた。そんな私を見て、小夜はクスクスと笑う。
その笑い声を最期に、私の意識は途絶えた。
まもなく夜は終わり、朝が始まる。
ふと目を覚ますと、白い天井が見えた。鼻をかすめる薬品の匂い。ここは病院なんだろうとすぐに予想がついた。
顔を横に動かせば、そこには驚いた顔を動けずにいる父と母の姿。そこからは父が慌てて先生を呼びに行き、母は泣き崩れるなど、大騒ぎになってしまった。
どうやら私は交通事故に遭って約二週間も目覚めない状態が続いていたらしい。あの後、落ち着いを取り戻した母から聞いた。成程、どうりで声が掠れて上手く出せないわけだ。
でも良かった。戻って来れた。
ーーお帰り、寝ぼすけさん。
クスクス。聞き馴染みのある声が開け放たれた窓から風にのって聞こえた気がした。
(……本当に、小夜はこっちにはいないんだなぁ)
まぁ、いっか。でも約束は守ってよ。「ずっと側にいる」って、言ったでしょう?
もう一度、風が吹く。今度は何も言わず、私を包み込むようにして。
アクセサリー用のポーチからは、眠りにつくまで持っていたはずのない月のネックレスが入っていた。
朝と夜 ゆう @kyuna1123
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