4話 吠えるギターは劣等感 ⑦
焼き付ける様な夕陽の橙色が、そのコートと普段座っている階段を照らしていた。
二人はまた、いつものようにあの階段から、サッカーゲームを見下ろしてる。しかし、いつものような、貴虎が質問して、鷹雄が答えるといった、会話はなかった。
昨日のあの鷹雄の揉め事をきっかけに、二人の空気は何処か冷えている。
貴虎
(あー。これ決められるな)
今日のサッカーの試合は、何処か一方的で、見ていて楽しいものではなかった。内側からふつふつと煮えてくる苛立ちは、どちらからくるものだろうか。
二人の間には、かすから身じろぎから発生する雑音すらなかった。
互いの感情が互いの感情をけん制し合い、油断した動きも、軽率な発言も許さない、厳格な空気が周囲に満ちていた。
ゲームが決した。
普段はこれからもう一回試合が行われるはずなのだが、監督の判断だろう、試合ではなく、基礎練習が始まろうとしていた。
「…………」
選手たちがパラパラとコートに広がり始めたのをきっかけに、鷹雄が手元にある松葉杖を自分の方に引き寄せて、立ち上がった。
そこに、「もう帰る」といったような会話はなかった。ただ無言で、貴虎は鷹尾が立ち上がるのを黙認する。
松葉杖が固い地面を叩く無機質で規則的な音が鳴り始めた、その時、
「何でそんなに焦ってんだよ」
貴虎は彼の方を見ないで、ひとりごとのように、そう、鷹雄に問いかけた。
||||||||||||||||||
「……は?」
鷹雄がゆっくりと振り向くと、ゆっくりと立ち上がって、こちらに向き直る貴虎が見えた。
貴虎はいつもと全く変わらない、平然とした様子だった。どちらが発しているのだろうか。二人の間の空気を張り詰める、独特な緊張感が辺りを包んだ。
「焦る……って、なんだよ」
鷹雄から絞り出せたのは、その、短い一言。けれど、そこ一言はどこか震えていて、力が入っていないのが、自分でもわかった。
「なんだよって……。まぁ、なんつーかさ、力みすぎじゃね?」
鷹雄の弱弱しい一言では、貴虎の言葉は止まらない。
「何がそんなにお前を急かすんだ? まぁ、少し話して――」
「いい……! 必要ない!」
言葉を発した時には、もう遅かった。
いつの間にか大きくなっていた声は、その話はもうしてほしくないと、ハッキリと言っているようなものだった。
鷹雄は言葉を探す。誤魔化せるような言葉を。しかし、その言葉が見つかる前に、貴虎が口を開いた。
「あー。もし違ってたら悪いんだけどさ」
あくまでも優しく、いつものようにそう言ったクッションを置いて、言葉が続く。
「才能、とか言ったことで悩んでたりする?」
貴虎はただ黙って、鷹雄の言葉を待った。
骨折をして練習に出れないことに対して、普通の人間だったらそこまで気に病まない。あー、練習したいなぁ。となんとなく悲しむか、骨折の休息を満喫するかのほぼ二択だろう。
けれど、目の前にいる鷹雄という人間は違った。
あの階段からサッカーの試合を見ていたのは、骨折をして実際に練習できないなりの、彼の練習方法なのだろう。
しかしそれは、彼が真面目だから行ったのではない。
あの、コーチと思われる大男との会話と、その鷹雄の反応。ときどき見せる、集中とも違う、殺気立ったような、そんな視線。
正直な所、気持ちは、分からない。
けれど、サッカーの事を教えてくれた知り合いが、困っているのなら、そしてついでに、もう一方の知り合いが、彼の回復を願っているのなら、自分なりの、誠意を尽くそう。
貴虎はそう考えていた。
「……なぁ」
貴虎は小さく、鷹雄の返事を催促する。
「何か言ってくれよ。だんまりするような仲でも――」
その催促の最中。ふと、唐突に鷹雄が口を開いた。
「そうだよ」
鷹雄は目を伏せて、一つ、断ち切るようにため息をついた。そして、ゆっくりと脱力した後に、絞り出すように、弱く、言葉を紡いだ。
「あぁ。俺は、悩んでる。自分の……能力、について」
だが、
「じゃあ――」
と、早とちりに口を開いた貴虎の言葉を待たず、押し込むように鷹雄はつづけた。
「でも、相談は良い。治ったら、また、練習を始める。それだけだ」
そこで、会話は途切れる。
鷹雄は少しだけ貴虎の返事を待ったが、貴虎はもう、何も言わないと判断して、鷹雄は彼に背を向けた。
そして、一歩、貴虎の元から去ろうとしたとき、一言、彼は、言葉を漏らした。
「お前は……、どっちだ」
どっち、と問いかけられている。鷹雄は振り返って、貴虎に問いかける。
「どっち、って?」
貴虎の目が、鷹雄をとらえた。
「お前は、サッカーをしたいのか? それとも、サッカーをして何かを得たいのか?」
どっちだ。
鷹雄は思わず、表情を笑みで緩ませた。気の抜けてしまうような、簡単な質問だったからだ。
「なんだよ、それ……。そんなの――」
そこまで言って、鷹雄は、言葉を詰まらせた。
浮かび上がる、一つの、疑念。
擦りガラス越しの景色のように、ぼんやりとだけ浮かび上がって、けれど、それをはっきりととらえることができない、何か。
どっちだ。
「…………」
貴虎は、何も話さない。
ただ黙って、鷹雄の回答を待っている。
「…………」
「…………」
数十分か、あるいは、一瞬か。
その二人の沈黙を、夕焼けが照らしている。
「わからない」
鷹雄の口から漏れたのは、そんな、情けない言葉だった。
なぜ、なぜわからない。
いつからだ。いつから、そんな風になった? 一体いつから、サッカーを純粋に楽しんでいることを子供らしいとしまい込むようになった? いつから、何かを得る。ということを目標に掲げだした?
突如として鷹雄の思考を覆い始めたその疑念は、どこか甘く、開放的で、しかして、それは虚無的ともいえた。
そもそもなんで、こんなことをしているのだろう。考えることすら戒めてきた、根本的な疑問。なんの為にそれを、いや、そもそも自分は、なにかの為にそれをし始めたのだろうか。
「好きなこととさ」
突然、思考の渦に飲み込まれていた鷹雄に、貴虎が話しかける。
「欲しいものって、必ずしもイコールじゃないんだよな」
どこか遠くを見つめているような、寂しそうな声音だった。
貴虎は何かを掘り起こして、確かめるようにしながら、次の言葉を絞り出す。
「誰かに認めて欲しいとか、勝ちたいとか。それを求めることは多分、間違いじゃないと思う。
そりゃ、誰だって好きなことで褒められたらうれしいだろうけどさ。そんなの多分、一部の人間にしか得られない高嶺の花みたいなもんだし……」
一つ、息を深く吸って、吐く。
その高嶺の花を求める熾烈な競争で、どんな人が、どんな形で傷ついて、崩れていくかを、貴虎は、嫌というほど知っていた。
「褒められて、崇められて、尊敬されても、それで満足するのは結局、それに飢えてる自分だけ、なんだよな」
そして、もう一つ。高嶺の花など存在せず、それを得たところでまた別の花が無数に有ることも、知っていた。
「自分を傷つけながら得た物なんて、自分のことをしか満たしてくれない。自分が傷つくことを、ありがてぇことに、心配してくれたり、嫌だって思う人もいる」
自分にもいた。今は少し揉めてるけど、あの人も、アイツも、きっとそう思っていた。彼にもいるはずだ。少なくとも、一人はいる。
「まぁ、だから……」
不思議な話だ。最初は自分を幸せにするためにしていたことが、だんだんと自分と周りを不幸にしていって、自分の幸せを手放す不幸で、最終的に自分も、周りも幸せになるんだから。
「諦めてもいいんじゃねぇかな」
貴虎は少しはにかんで、言った。
「欲しいものをあきらめる不幸も、好きなことを純粋に楽しみながら、自分のことを心配してくれてる人と過ごす幸せが、きっと何とかしてくれるさ」
無責任だ。
でも、きっとみんなそうだ。それでいい。
「足元見て、嘘ついて、誤魔化して生きていこうぜ。多分、お前にゃ、そっちの生き方のほうが似合ってる。
……まぁもし、欲しいものを諦めてすげぇ不幸になったら、そん時は、そっちを求めるのもいいかもな」
変な話をした。少し恥ずかしくなって、笑った。
鷹雄はずっと俯いていたが、やがて一言、顔を上げて笑いながら言った。
「なんだ、それ……。無責任だし、なんか変だ」
「そんなもんだろ。別に、誰かと競うってわけじゃねぇんだし」
夕陽の輝きがより一層増して、空を美しく、茜色に染め上げた。足元の名もわからない草や花も、その輝きに照らされて、鮮やかに彩られていた。
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