6話 弾けるスネアは序章の合図 ②
歯が未だにうまくかみ合わないまま、和兎は布団の暗闇に、世界を見ていた。
次々と浮かんでくる。抽象的かつ、幻想的な光景。
それは、虫と植物のぼんやりとした黄色い光に照らされ、緑色に怪しく光っている森林の欠片。
あるいは、水によって散り散りになった光を、水の中から見ているひとりの少年。
もしくは、窓際の机。満月の白い光だけを頼りに、原稿用紙に向かって万年筆を走らせる、一人の老人。
沸騰したお湯のように、想像の泡が、湧き出ては弾け、また、湧き出ては弾けを繰り返している。
今が何時か、そんなことなど頭になかった。
「ねぇ、おじいさんは何をしているの?」窓際の老人に話しかける、何故かぼろきれを一枚だけを羽織っているひとりの少女。
あぁダメだ。
和兎は布団の中で悶絶して、控えめに叫んで、頭を振る。
眠れない。頭がそれを眠って中断することを拒んでしまっている。一方で、そんなことをしても無駄だ。意味がないからやめろ。と冷たくそれを忠告する自分もいた。
やめるか、やめないかの争いは、やめない派閥の方が優勢だった。しかし、和兎はやめろ言っている自分を無視できるほどの勢いも、持ち合わせていなかった。
和兎は布団の中で描き続ける。
無意味だ。無価値だ。そう冷たく自分を罵倒しながら、何回も、何回も、何回も自分のいる世界とは違う世界を想像する。
胸を躍らせながら、その胸をもう躍るなと押さえつけながら、とりとめのない想像を、和兎はずっと、続けていた。
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「どうしたの、熊谷くん。ぼーっとしちゃって」」
三鶴にそう話しかけられて、和兎はぱっと顔を上げた。
いけない。手が止まっていた。
「えっと、それで、なんでしたっけ……」
生徒会の会議の記録をつけるためのノートが、中途半端な文章で終わってしまっている。和兎は三鶴に、どこまで話し合いが言ったかを尋ねた。
「もうグラウンドの区画の話は終わったわよ。次は教室の振り分けでしょ」
「あっ……。す、すいません」
続きを待っている文章を適当に終わらせて、大きく区切りをつける。
その二人のやり取りを見ていた八鶴が、ふと口を開いた。
「……体調が悪いのなら、休んだ方がいいんじゃないのか。今日は明らかにクマが濃いぞ」
「あっ! いえ、僕は大丈夫ですよ、八鶴先輩。寝不足も昨日たまたま寝付けなかっただけですし……」
「生徒会の仕事とか、大丈夫だった?」
「あ、いえ! 全く!!」
二人の先輩にそう心配そうな視線を送られても、和兎はどうしても本当のことを話せなかった。
この年にもなって、「ワクワクして眠れませんでした」は素直に恥ずかしかったし、こう言う話は人前で堂々していいものではないと、そう思ったからだ。
「……そう、なら、いいけど」
訝し気な視線を向けれられながら、三鶴にそう言われて、その会話は終わった。
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その日の夜も、また、景色を観た。
昨日のとはまた違う景色だった。隣から、規則的に聞こえるか細い龍真の寝息が聞こえる。
しばらく和兎は龍真の寝息を聞いていたが、やがて、思い切って息を吸うと、龍真が起きないようにだが、確かに力強く布団をはねのけて、立ち上がった。
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「……と? お……。かず……!」
誰かにそう呼ばれた気がして、和兎はハッと目を覚ました。
「和兎!」
「あ、はい……?」
心配そうにこちらの顔を覗いてくる、龍真の顔が目の前にあった。一瞬、何が起きたのかわからないまま呆けていると、
「あー。これ寝起きですね、はい」
貴虎の呆れたような、ため息交じりの声が聞こえてきた。その声を聴いた途端、和兎は瞬時に何が起きたのか理解して、飛び跳ねる。
「あっ……! す、すいません!」
「いや、別にいいけど……」
龍真は肩をすくめてそう返した。
「生徒会の時でもそうだが……調子悪いのか?」
「あぁ! いえ、そういうんじゃないですよ。ただ、寝不足なだけで……」
「寝不足? なぜ?」
八鶴が和兎の体調に対してそう詰め寄る。
「いや、その……」
「体調不良の原因はあとでいいからとにかく合わせしねぇか?」
八鶴の問いを止めたのは、面白くなさそうに伸びをしている貴虎だった。
何か言いたげだったかが、自分を納得させるように八鶴は唇を一文字に結んで、小さく、
「わかった」
とだけ言って、引き下がっていった。おずおずと貴虎に視線を送ると、彼は肩をくすめてそれに答えたのだった。
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ちゃぶ台の上には、優しい色のデスクライトと、小さなノートパソコンだけが置かれていた。
パソコンが指し示すのは、日付を過ぎたあたりの時間。
久しぶりに、夜更かしをしたな。和兎はその数字をみて、ぼんやりとそんなことを思った。
目の前にぼうっと浮かんでいるのは、真っ白な画面。
龍真は基本的に十時にはもう寝ている。彼を起こさないようにそっとパソコンを起動したのがそのあたりなので、かれこれに二時間くらい、パソコンの前にいることになる。
しかし、和兎はこの二時間を、ずっと、文字を打っては、消して、打っては消してを繰り返して過ごしていた。それが、目の間に無慈悲に浮かんでいる真っ白な画面の正体だった。
別に、人様に見せる文章じゃない。体裁を整える必要すらないというのに、和兎はずっとそんな行為を繰り返していた。
理由は、わかってる。どうして自分がそんな無為な時間を過ごしてしまったのか。その理由を。
「…………」
一つ、重苦しくため息を吐く。
「何のために書いてんだろ……。書いて、意味があるわけでもないのに」
和兎の独り言は、夜の闇に溶けて消えた。
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