吠えるギターは劣等感

4話 吠えるギターは劣等感 ①

 町はずれの大きな公園。その一角にある、地元のクラブチームが使っているサッカーグラウンドは、閉園間際まで明るいことで有名だ。

 コートの四隅に設置されている見上げてしまうほどに高く、そして大きい照明は、夜遅くまで練習をしているサッカー少年たちにとっての、第二の太陽と言って差し支えない。

 サッカーコートの人工芝は、その照明たちの煌々とした光によって、濃淡のない均一的な緑色に照っていた。

 コートの外にはオンボロな仮設ベンチが、ぽつんと置かれている。そのベンチにはチームメンバーたちの荷物が無造作に置かれて、いつも山の様な積み上げられ方をしているのだ。

 そして、その荷物たちの山と山の間、挟まれるようにベンチに座っている少年が一人。他のメンバーたちが動きやすそうなユニフォームなのに対し、彼の格好は学生服のまま。彼の脇には無機質な色合いをした一対の松葉杖。右足には、何十にもぐるぐるにまかれたギブスが痛々しく巻かれている。

 彼は、左太ももに肘をついて、重苦しい、張り詰めた雰囲気を発しながら、少年たちの練習を、目を鋭く細めながら、じっと、見つめていた。

 どこか恨めしそうに、どこか威圧するように鋭く研がれたそのまなざしは、ライバルという存在がいるにしても、してはいけない部類の、ハッキリと言葉にするのなら、憎悪と呼ばれるようなものの類の感情に近い雰囲気が感じ取れる。


 うずまき、ごちゃごちゃと混ざりだす言葉にしにくい、みぞおちのあたりにぐっと居座るほの暗い感情をぼんやりと自覚しながら、その少年は彼らチームメイトの練習が終わるまでずっと、そのままの体制で動くことはなかった。



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 曇りが増えて、夕陽の橙色も雲に隠れつつあるそんな平日の放課後。

 相変わらずギターを抱えている龍真と、生徒会の仕事を終えた八鶴が、隣合うように、例の神社の参道の階段の中腹に座っていた。


「で、話ってなんすか?」


 弦を弾く指を止めて、早々に龍真は口を開いた。無駄話を挟まず、ちゃっちゃと話を済ませてしまうのが、二人の会話のお約束となっていた。


「あぁ、突然呼び出して済まない。実は少し、相談したいことがあってな」


 八鶴も淡々とした様子で話を進める。

 しかし、八鶴からの相談事という状況になれていない龍真は、少しだけ表情を硬くしてしまう。


「突然だが……。矢原。お前のライブの企画に、参加させたい人間がいるんだ」


 想像していたおっそろしい内容ではなかったが、八鶴の言うというり、その相談は唐突な話で、龍真は思わず眉をひそめて、言葉を挟んだ。


「参加させたい? そりゃまた何で?」


 手伝わせたい、ではなく、参加させたいというのがこれまたネックだ。どこか入り込むような、意図的な言い回しを感じてしまう。

 龍真に質問された八鶴は、ほんの一瞬黙ったあと、


「俺の後輩に、鷲嶺わしみね鷹雄たかおという奴がいる。……あまり、人に言いふらす様な事ではないのだが――」


 と、絞り出すように言って、また、黙ってしまった。

 どこかこじれたような話のつなぎ方。ざくざくと物を言う八鶴にしては珍しく、妙で、何かがあると察知した龍真は、無言のままそっと頷く。

 八鶴は龍真の反応を見てもすぐには口を開かなかった。が、やがてゆっくりと、口を開いた。


「足に、怪我をしてしまってな。スポーツ一筋のやつだったから、少し、心配なんだ」


「あー……」


 好きなことができない、というのは結構堪えるだろうな。と龍真は勝手に想像して、思わず苦々しい声を漏らしてしまう。

 きっと、それは八鶴も同じなのだろう。しばらくの間、柄にもない苦々しい沈黙が続いた。先に沈黙を龍真が破る。


「うん……。あぁ、良いっすよ。人手なんていくらあっても足りなくなりますから。スポーツができるまでの時間つぶしにでもなれれば、光栄ってところです」


 龍真はわざとらしく明るい声を出して、八鶴の申し出を了承する。


「あぁ、そういってくれるとこちらとしてもありがたい。助かる」


 八鶴もそう言葉を返したが、その声音はまだ、完全に不安をぬぐいきれた言葉というわけではなかった。



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 何かハッキリとした目的をもって本屋を彷徨うのは初めてかもしれない。

 数冊の心療内科に関する論文や入門書を抱えながら、和兎はぼんやりと、そんな事を思った。

 嗅ぎ慣れた、自然の様な優しく角当たりの良い落ち着く紙の香りと、何処か人工的で毒々しいインクのにおいが混ざった本屋の一角。和兎は例の約束を果たすため、本屋に歩を進めたのだ。


 響町。あるいは、そのまま響。

 和兎の家がある、あの捨てられた生活の残骸が多い山の向こう側と、電車が通り、人口こそ少ないが、ある程度人の往来があるこちら側では、見える表情が全く違ってくる。

 特に夜は、その変化が著しい。


「な、慣れない……」


 ぽつりと思わず、和兎は零す。

 ギラギラと輝く、沈むことを知らない人工的な光と、人々の喧騒。ここは明るすぎて、うるさすぎる。和兎は思わず早足で、目的地へと急いだ。


 たどり着いたのは、一件のビジネスホテル。

 音もなく、滑るように開いた自動扉をくぐって、落ち着いた照度に下げられた明かりがぼんやりと包んでいる落ち着いた雰囲気のロビーに足を踏み入れる。

 その建物の性質上、そのロビーにいるほとんど全員がスーツ姿の人々だった。そのおかげで、和兎は一周、ぐるりと辺りを見渡しただけで、彼を見つけることができた。


「お、こっちこっち」


 彼もこちらを見つけると、待っていた、と言わんばかりに手を振った。

 これ以上目立たないように、と和兎は若干早足でそちらに向かう。


「すみません。お待たせしました」


「んや、時間ぴったしだよ。座って座って」


 あの約束が取り付けられた日から、数日が経った。

 和兎は毎日、ほぼ欠かすことなく貴虎の所へ通っている。目的は、出会った事のない貴虎の友人の治療法を、探すため。



「それで、この本では――」


 和兎と貴虎の二人で、難解な専門書の解読を進めて、どうにか参考にできそうな部分を抜き出して、次へ進む。

 妄想、幻覚、自傷……。決して明るい気持ちにはなれない単語たちが、その本からは散見される。二人の素人が、専門書相手に四苦八苦している様子は、本職からしたらお笑いものかもしれないが、彼らにとってはとても、とても大切な事だった。

 貴虎は和兎に、必要最低限の事しか教えなかった。友人が重い精神病を患い、都内の病院に入院している事以外、和兎は何も知らない。その友人の顔も、性別も、精神病を発症した原因も、貴虎との深い関係も、何も知らない。

 それでもいい。と和兎は思っている。

 もともと、自分は協力立場だ。少しだけ寂しい気もするが、それでも、ほんの少しでも力になれているのならいい、と和兎は割り切っていた。

 和兎の家事に影響が出すぎないように、何とか捻出された時間は、決して長いとは言えないし、何もかもがオープンな関係というわけでもない。

 しかし、協力するだけ、というには少し近く、友達というには少し遠い絶妙な距離感は、二人の関係を取り持つのにはちょうどいい距離だった。

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