2話 唸るベースは滅私と愛 ⑥

「なぁ、和兎」


 夕食を食べ終えた後の、風呂が沸くのを待つこの数分間は、二人の読書の時間にあてられる。最初こそ、龍真は和兎を無視してギターを弾いていたが、本を読んでいる時の、和兎の落ち着いた安らいでいる表情に、龍真はなんとなく罪悪感を覚えて、共に読書をするようになった。


「……はい、どうしました?」


 本にから顔をあげた和兎に、龍真は問いかける。


「カッコウの托卵、ってなんだ?」


 すると、和兎は少し口元に手を当てて考えた後、「間違っていたらすみません」と前置きをしていった。


「カッコウの托卵というのは――」


 その日龍真は、カッコウという鳥がいかにずる賢く、そして非情な生き物であるかを知った。だが、その言葉の意味を知っても、何故つばめがあのタイミングでそんな言葉を口にしたのは、真意は分からないままだった。



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 0505



 それから、三鶴たち家族の会話はめっきり減った。

 休日。普段だったら会話があってにぎやかな朝の食卓も、今日は異常な静けさがあった。


「……ごちそうさま」


 静かにそう言って立ち去るつばめ。

 食器をそのままに立ち去っているのに、誰もそれに言及しなかった。重かった空気が、さらに重くなる。


 ――。


 静かな食卓が、さらに静かになる。

 食器の音だけが木霊する中、食事を終えた三鶴は早々に立ち上がった。普段なら落ち着けるはずの食卓が、急に居心地が悪くなって、嫌になってきた。


「……ごちそうさま。つばめの分、片しておくね」


「助かる」


 短いその感謝の言葉は、なんだかとげとげしかった。

 三鶴は足早に、その食卓を去った。


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 三鶴は自分の部屋に戻る。

 参考書が平積みされて、ノートが開きっぱなしになっている机と、ベッド、クローゼットと本棚くらいしかない質素な部屋。

 三鶴は一つ、大きくため息をつくと、扉に背を預けて手で顔を覆った。


 昨日の夜、和兎達が家から去った後、三鶴たち雀鷹谷家が抱えるモノを、つばめに話した。巣鴨と、三鶴と、八鶴で作ったつばめの幸せな箱庭は、私たちが八鶴を一方的に裏切る形となって、破壊されることとなった。

 抱えていた秘密を吐露し、隠し事のない本当の家族になる第一歩になるはずだったのに、結束が固まるどころか、八鶴に大きな不信感を与え、つばめを傷つけるだけで終わってしまったその選択を、三鶴は受け入れられずにいた。


(あれで本当に良かったはずがない……。けど、あのままで良かったはずもない……)


 三鶴は頭を振った。

 そして一つ、長い深呼吸をした後、三鶴はパーカーを羽織って、財布と携帯をポケットに入れた。

 そして、家から逃げ出すように、三鶴は外に飛びだした。



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「じゃあ、僕はちょっと本屋に寄りたいのでここで……」


「おう! 多分和兎の方が先に帰ってると思う! いつも通り夜飯までには帰るよ」


「はい、では」


 龍真と和兎はそうして、山をこえた栄えている方の響町で解散した。

 龍真は迷いなく駅の方面へ、和兎は昨日のショッピングモールの方面へ向かった。

 五月の柔らかな光を浴びながら目的地に向かって歩く。ここらあたりにも、先輩たちは現れるのだろうか? 和兎はほんの少しだけ期待をしながら、ショッピングモールへと足を進めた。


 それから、和兎は何のトラブルもなく、普通にショッピングモールへとたどり着いた。和兎はそわそわしながら、六階にある本屋へのエスカレーターに乗った。


 和兎の読書好きは、祖父の影響が大きい。

 和兎の人生において、両親の存在はとても希薄だ。気づいた時には祖父とあの土地で、あの家で二人暮らしをしていた。 

 あの家には二つの顔があり、ひとつは生活する家としての表情、そして二つ目に、古本屋としての表情がある。

 あの土地にまだまだ人がいた頃――和兎がまだ小学校中学年ぐらいの時は、良くおじいさんおばあさんが本を売りに、買いによく来た。品ぞろえにやや偏りこそある物の、地元に愛される古本屋だった。

 本の中に育った少年が、本好きになるのに、何か特別な理由など必要ない。和兎の読書好きには、そんな裏があった。


(こんなに大きい本屋が出来ちゃ、いま僕が初めても何の意味もなさそうだけど)


 古本屋に残された商品たちはいま、和兎の物ということになっている。

 和兎の趣味が若干古臭いのは、そんな環境に起因、しているかもしれない。



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「新刊沢山出てたなぁ……。高いからまだ我慢かな。文庫版、いつ出るんだろ」


 大きな本屋の紙袋を手にして、和兎はぶらぶらとショッピングモールの外を歩いていた。

 本屋にどっぷりとつかった後、思い出したかのように遅めの昼食をとった後、買い忘れていた調味料たちを買って外に出れば、もうすっかり辺りは夕陽の橙色に染まっていた。

 買い物袋をもって一人で歩いていると、ふと、誰かに右肩を掴まれた。


「――?」


 振り返れば、そこには、


「奇遇ね、熊谷くん。またここに来てたの?」


「……! 先輩!」


 普段着よりももう少し緩めな格好をした、三鶴がいた。

 


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 近場の公園のベンチに二人は座った。

 日曜日の午後だというのに、公園に人は全くいなかった。特に二人で公園にたむろする理由などないのだが、ただ、なんとなく「昨日もあったし、まぁ、ちょっと話そうか」みたいな雰囲気のせいで、二人はそこに座らざるを得なかった。


 ――。


 本当は話すことなどないのに、先に帰るのが申し訳なくて、二人はにらみ合う猫のように、ただ動かずそこに居た。


「……先輩、本当に、本当に何もなかったんですか?」


 先に沈黙を破った和兎。念押しするように、逃げられぬように、和兎は言葉で、三鶴の逃げ道をふさぐように問いかける。

 

「その……別になにかしようって話でもないんですけど……。何かありそうだったので。いえ、別に好奇心というわけでもなくて――」


 その割に、続いた言葉はどうしようもなく頼りないものだった。

 三鶴はため息と笑みが混じったような息を吐く。


「分かってる。熊谷くんがそう言う人じゃないって事は。……けどごめんなさい。この話はどうしても、家族で解決したいの」


「……そう、ですか」


 そのまま会話は途切れる。

 和兎は気まずくなって、その場を去ろうと立ち上がった。


「分かりました。では、僕はここで」


「……ごめんなさい」


「いえ、僕が勝手に言ってみただけの話です。こちらこそすみません」


 和兎は足元の紙袋をもって、その場から逃げるようにして立ち去った。

 頼ってもらいたいという思い、断られて寂しい思いをしている事にも腹が立ったが、何よりも和兎が自分自身に怒りを覚えたのは、「頼られなくてよかった」と、少しだけ安堵している自分もいたからだ。

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