2話 唸るベースは滅私と愛 ③

「はーい! 食べてってちょうだい。熊谷くんも矢原くんも食べ盛りなんだから。ほら!」


 豪勢に盛り付けられた料理が和兎と龍真の前にドドン! と置かれる。

 龍真は大喜びで料理を、口がパンパンになるまで詰め込んでいたが、和兎はそんな呑気な同居者が気になって仕方がなかったし、小食でそんなに食べれないものだから、二重の意味で気が気でなかった。


「……もう、お母さん、作りすぎ。熊谷くんが困ってるでるじゃん」


 恥ずかし気に巣鴨に苦情を言う三鶴。


「…………」


 ただ黙々と食事をする八鶴。


「ねーねー! ギターってどんぐらいの値段なの!?」


「安くても五万とかするぜ? 俺のは貰い物だからタダだったけど」


 いつの間にか仲良くなっているつばめと龍真。


 先輩たちの知らない顔。見知らぬ妹さんと母。多すぎる料理に、何故かそこにいる同居人。

 目が回り、くらくらとしてしまう和兎に、さらに追い打ちをかけるように、質問攻めにする巣鴨とつばめ。当人達に悪意がないのが、一番厄介だ。


「和兎くんはどうやって一人で過ごしてるの?」


「あー……。基本読書ですね。平日は宿題がない限りさっさと寝ちゃいます」


「買い物は?」


「土曜日か日曜日にまとめて買ってます」


「あれ? 熊谷くんって何組?」


「二組。……雀鷹谷さんは、一組ですか」


 質問に、答える。答える。答える……。


 ふと、巣鴨達の疑問の焦点が、龍真に移った。


「ねー、矢原君」


「ん? なんだよつばめ」


 箸を止めてつばめの言葉に反応する龍真。

 

「矢原君はお母さんとか大丈夫なの? 帰り、遅くなってんじゃない?」


 気付けば七時半を回っている。

 門限を心配されるって、どこまで年下に見られてるんですか。という言葉を飲み込んで、和兎は親と全くの音信不通の家出少年の顔を見た。

 龍真はふと考えこんだ後、その口から流れるような嘘をついた。


「大丈夫。コイツの母さんと俺の母さん知り合いだから。今日はコイツの家に泊めてもらう」


 ――ガタッ!


 和兎は思わず立ち上がった。


「どうした、熊谷。急用でも思い出したか?」


 八鶴が心配そうに和兎に尋ねる。

 龍真は和兎に向かって小さく眉を上げた。


「いや……。だ、大丈夫です。ちょっと、龍真を借りていいですか? 親に確認したいので」


 そう適当にお茶を濁しながら、和兎は龍真を引きずって、外に出た。



||||||||||||||



 ここ一週間で、龍真は驚くほどにこの土地になじんでいた。



「じゃあ、行ってきます」


「おう、いってら」


 龍真の一日は、和兎を見送る所から始まる。


 玄関の扉が閉められて、しんとした静けさが和兎の家を覆う。

 人を見送る。という感覚は、まだ慣れない。


「……ふぅ」


 切り替えるよに息を吐くと、龍真はまず、ギターを取り出して曲を弾き始めた。

 どれだけ慣れない土地にいようが、無茶なことをしたという事実があろうが、龍真の心の平穏は、案外乱れなかった。その理由は、ギターがあったから。という事実に集約される。

 ギターを弾いていると、時々、「さっきまで自分は何も考えていなかった」という事を自覚するときがある。

 そう言った無心の時間は、龍真の心の大きな支えになっていた。

 

 しばらく。と言っても六時から九時までの間まで、龍真はずっとギターを弾いていた。

 この時間にギターを弾く理由は主に二つある。

 一つは、心の平穏を取り戻すため。

 そして二つ目は、人と会わないためだ。


 この二つ目の理由は、龍真がこれから向かう場所に、大きく関係している。


「よし、いくか……」


 九時が過ぎたことを確認すると、龍真はギターを丁寧に掃除した後、ケースにギターを戻し、それを持って立ち上がった。

 そして、ギターを背負うと、


「行ってきます」


 と、誰もいない部屋にそういい残し、駅の方に向かうのだった。


 和兎の家の周辺にはほとんど何もない響町だが、山を越えて駅のそばまで行けば、案外色々な物がそろってたりする。

 電化製品、家具、生活必需品、洋服、そして、楽器。

 

 龍真はずっと、ずっと、響町にある楽器店に入り浸っていた。


「龍真君。山口さんとは会えたのかい?」


「いやぁ。それが、会えたは会えたでいいんですけど、そっから全然違う話にいちゃって」


 気さくに話しかけてくるのは、楽器店の店主のひいらぎゆたかだ。

 龍真は柊に、大学生の音楽サークルで、なんとかライブをしたいと嘘をついて、様々なことを手伝ってもらっている。


「この間渡したパンフあるでしょ。そこにゃ何か書いてあったのかい?」


 龍真はギターケースから、去年の響魂祭のパンフレットを取り出す。


「もちろん色々書いてましたよ。企画や場所の申請書だったり、それに伴うルールだったり、借りれる場所だったり……けど」


「理想の場所がない?」


 龍真の言葉を、柊が引き継ぐ。龍真は悔し気に首を振って肯定する。


「…………」


 言葉にならないため息をつきながら、龍真はパンフレットを覗き見る。そんな龍真を見かねてか、柊は口を開いた。


「理想の場所や、理想の音響、理想の仲間なんて、そうそう見つかるもんじゃないよ」


 柊はジャンク品のギターを分解する手を止めて、龍真の目を見てまっすぐ言う。


「君の理想は肯定されるべきだし、報われてしかるべきだ。……けれど、それは多分、今じゃなくていい。妥協して、コツコツ経験を積み重ねるのも、ひとつの手段じゃないかな?」


「――――」


 龍真は無言を柊に返す。


「納得のいかない顔をしてるね。……まぁ、これは老害店長のイチ意見だ。忘れるなり参考にするなり自由にするといい」


 柊はまた、視線を手元に落とす。


「まぁ、参考にはしときますよ」


 龍真は零すようにそう言って、楽器店から出ようとする。


「あ、そうだ」


 しかし突然、柊に呼び止められる。

 龍真は足を止めた。


「まずは人数集めでしょ。君のバンドの人、来ないんだろ?」


「そうですね。三人になったら、もう一度顔出します」


「ちゃんと楽器買ってくれよ~」


 こうして龍真は、楽器店を後にした。


|||||||||


 帰り道、龍真は重く、重くため息をつきながら、ふらふらと帰路をたどる。

 最近、疲れやすく事が多くなった。……多分、まだこの土地になれていないだけなのだろう。

 道をたどり、あの廃商店街に着いた時、龍真はふと野良猫が前を過ぎ去るのを見た。三毛猫だった。

 その猫は、龍真が全く使わない道に、姿を消した。


 ……なんだか気になった。


 猫がどこに向かったのかが気になって、龍真は和兎のことを忘れて、その猫を追いかけるように、廃商店街の奥に進んだ。


 龍真が足を止めたのは、山の奥へと続く長い、長い石畳の階段だった。

 三毛猫はすっかり見失ったが、龍真の好奇心は留まる所を知らず、夕陽が今にも落ちそうな時間になっても、龍真が帰路に足を戻すことはなかった。

 階段の脇には、木製の看板があり、そこには何かが書かれていたという痕跡だけがあった。


「…………」


 龍真はその長い階段を、なんのためらいもなしに進んだ。



 包み込むような柔らかい自然の香りと、春の暖かさが広がっている。

 龍真は一段、また一段と堅実に一歩づつ進んでゆく。右手を見れば、木々の隙間から鮮やかな橙色の光がこぼれている。

 黄昏時。ヒトと、ヒトならざるモノ達の世界が混ざりあう、静かで、穏やかで、そして、龍真にとっては懐かしい時間。

 夕暮れの温度、こぼれる夕陽。そして、木々の匂い。懐かしさに身を任せて、龍真は階段を上った。


 ぼろぼろに朽ちた鳥居を抜けた先にあったのは、人の居ないさびれた境内だった。石灯籠は砕けている物も多く、手水舎の水は枯れて、本殿や賽銭箱の木材は腐り、黒く変色していた。

 人も動物もいなかった神域に、さらに神すらいなくなったこの空間は、一体誰の物なのだろうか。


「……寂しい場所」


 ふと、龍真は言葉をこぼした。

 あの街を一望できる丘の上とは違う寂しさだった。

 龍真は何処か適当な場所に腰を下ろして、ギターを取り出す。そいて、その弦をはじいた。


 ――――。


 境内に音が響く。

 空気が振動して、どこまでもどこまでも響いていく。

 やがて、音が空気に溶けるて、消えた。



「君、ギター上手だね」


 一体いつからそこにいたのだろう。

 ふと、女の声が、背後から聞こえた。急いで後ろを振り向く。


「……誰だ?」


 女子学生よりも数周り高い背丈に、すらっとした足。肌は白く、ぱっちりとした瞳は、揺れることなく龍真をまっすぐと見下ろしていた。


「誰だって……中学生にしては生意気じゃない」

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