人々と闇
川野マグロ(マグローK)
第1話 友
ローズはどこにでもいる女の子だ。ローズという名を持っているからといって特別情熱的だったり、特別魅惑的だったりするわけではない。むしろ、おとなしくおしとやかと言ったほうがいいかもしれなかった。
しかし、髪は燃え盛る炎のような赤でなくつややかな紅のような色という象徴的な色であることからもわかるようにローズも最初は名前に違わない性格をしていたのだ。
それも、一度好きな異性に、
「熱いのは受け止められない」
と言われてから冷めてしまったのだ。
もう、ローズの心は髪の色や名前とは少し距離があった。
だが、ローズはそれ以上落ち込むことはなかった。
世界の変化と比べれば1人の心の中の変化なんてちっぽけなものだと知っていたからだ。
今、世界でヒトと言えば人間だけを指すことはない。
ローズも純粋な人間ではないが、過去の人間が人間と見間違うような見た目を持っていた。
それが、この世界の大きな変化だった。
「はあ」
「また、ため息?」
親友のユリはいつものように口を開いた。
「悪い?」
「悪くないけど、良くもないかなって」
「それはわかってるけど」
もう数分もしたら1人で家まで帰らないといけないことがローズにとってはストレスだった。
道が分かれ、手を振りユリと別れたらローズは現実と向き合わないといけない。
赤点ギリギリだったテストだ。
ローズは親の優秀さが負担だった。
社会に出たら親と同じようにヒトのためになること、ヒトの役に立つことをするのはローズにとっても賛成だったがだからといって学校の成績まで上がるかと言えばそうではなかった。
「はあ」
「大丈夫?」
「まあ、なんとかするよ」
「そっか、また、明日ね」
「うん。また明日」
ユリの背中が見えなくなるまでその場で手を振り時間稼ぎをしたもののそれはただの引き伸ばしでししかないことがまた不安を大きくしていた。
「お嬢ちゃん。きれいだね。そんなにうつむいていたら美しい顔がもったいないよ」
突然話しかけられた。
「誰ですか?」
知らないヒトだった。それだけでない。目の前の男は純血の人間だった。それを示す証拠として手には「人間万歳」と書かれたプラカードがあった。
「オレかい? オレはアルデンテスって言うんだが、それはどうでもいいんだ。お嬢ちゃん。何か悩んでるんじゃないかい?」
「そうですけど」
「オレはこんなもん持ってるが差別をしようってんじゃないんだぜ? 皆、平等だと思ってるさ。な、話だけでも聞かせてはくれないか?」
「えぇ!?」
「嫌ならいいんだ。ただ、オレは特にきれいなヒトがうつむいてるのがどうしても我慢できないもんで」
「……」
ローズは悩んだ。しかし、不思議だった。悩んでいることがバレていたことではない。そんなこと何に悩んでいるかを指摘しなければ誰だって大抵は悩んでいるものだからだ。
本題はそこではなかった。
ローズはアルデンテスと名乗った男と話すつもりはなかったのだ。ましてや、他の男なら、もし仮に女だったとしても知らない人間にズケズケと個人的な問題を相談してもいいと言われて「はいそうですか」と素直に語りだすことはないだろう。
しかし、不思議と嫌悪感がなかった。恐怖や警戒、そういった類のものがローズの中にはなかった。
「……少しなら」
だからローズは話してしまった。自分が抱えている悩みを。今はまだ小さな小さな悩みを。
それをアルデンテスは深い理解を示すように聞いてくれた。「ああ、そうかい」「それは辛かったな」といった言葉がローズにとって心を軽くするには十分だった。
特に、
「オレはこんなだから、なんつーか、何となく分かるかもしれないが、勉強はできなかったんだよ。でもこうして生きているし、若者の悩みを聞くくらいならオレにだってできてる。人の役に立つってのは別に大層なことをしないといけないって訳じゃあないんじゃないかい?」
という言葉がローズには温かく感じられた。
「ど、どうしたんだい。嬢ちゃん?」
「いえ、いえ」
ローズはそう言って首を振った。気づいたときには涙が頬を流れていたのだ。
「ありがとうございました」
アルデンテスはローズが泣き止むのを待ってくれた。
「おうよ! まあ何かあったらオレでなくてもいいから話してみな!」
「はい!」
確かにローズの中の不安や悩みは今ではもう気にならない程になっていた。
しかし、このままこの場を去ることはできなかった。
「……あの」
「ん?」
「何か私にできることはありませんか?」
「いや、いいって、オレは話を聞いただけだから」
「……でも、悪いっていうか」
「そうか、嬢ちゃんは今でも十分すぎるほどいい子なんだな」
「そんなことないです」
「いいや、オレが保証する。いい子だ。だから、気負いしちゃうんだな」
アルデンテスはそうして肩から下げていたショルダーバッグをあさり始め「あったあった」と物をだした。
「じゃあ、これだな」
「何ですか? これは?」
「うん。まあ、お守りみたいなもんだな。これをお嬢ちゃんの学校の校庭にでも置いてくれればいいや」
「本当にそんなことでいいんですか?」
「本当はなにもしてもらわなくていいんだけど、あったほうがいいんだろう?」
「はい」
「じゃあ、これがオレのお願いだ」
そうしてローズはアルデンテスから紫に光り輝く球をあずかった。
「またな、嬢ちゃん」
「はい! さようなら」
ローズはアルデンテスに背を向け家までの道のりを歩き始めた。
その歩は自身に満ち溢れていた。
そのようすは何者も気にしないような強者の貫禄とも見て取れた。
翌日。
ローズはヒトがまばらになった放課後を見計らって校庭に球を置こうと思っていた。
ユリには申し訳なかったが学校内の用事があると嘘をついた。
だから、今日の帰りは1人だった。
そしてそれは、ローズにとって久しぶりのことだった。
異性に初めて振られた経験をしてからどこへ行ってもしょげかえっていたローズを見かねてユリが声をかけてくれたのは今から3年前だった。
当時は会話という会話ができていなかった。というのはユリから聞いた話だった。
「はい」「いいえ」「そうだね」「違う」
単語と単語をつなぎ合わせただけの言葉で話を済ませようとしていたローズの異変にいち早く気づいてくれたのだった。
ローズはユリと話す内に少しずつ単語数が増え始め今では冗談も言えるほど回復していた。
そのため、ローズはユリに感謝はすれど騙すような真似をする理由がなかった。罪悪感は大きかった。また、今度何かの機会に謝ろうと思っていた。
今日はため息をつくこともなかった。
昨日両親へのテストの結果について話した時も憂うつではあったが、ただそれだけだった。
しかし、一度家に帰ると、
「はあ」
と電池が切れたようにため息が出た。
ローズは紫に光り輝く球を置いてくることができなかった。
ローズは上の空だった。
それは祖母のポプの目から見ても明らかだった。
ローズは好きなタレントがテレビに映ろうとも反応を示さなかった。
「大丈夫かい?」
「…………ん? うん。大丈夫だよ? なんで?」
ポプに話しかけられると思っていなかったのかローズの返事は明らかに遅かった。
「ボーッとしているから、何かあったんじゃないかと思ってね」
「大丈夫だよ」
「本当かい?」
「……うん……本当」
それはローズが無理をしているときに使う喋り方だとポプは知っていた。
「もし、間違いならそれでいいんだけど、何か悩みがあるなら聞かせてくれないかい?」
ローズは昨日アルデンテスと話したことを思い出していた。自分が知らないヒトにでも悩みを打ち明けることでラクになったことを思い出していた。
「おばあちゃん! あのね!」
「うん」
ローズはポプにアルデンテスからあずかった球について話した。
「そうかい」
「どうしたら、いいと思う?」
「少し冷たいかもしれないけど」
と前置きをして、
「それは自分で決めることだよ」
とポプは言った。
「私は話を聞いてあげてアドバイスをすることはできる。でもね、行動はローズにしかできないんだよ。だから、やりたいようにやればいいんじゃないかい?」
「やりたいように、やる?」
「うん」
「ちょっとお母さん何話してたの? ローズ! 勉強は?」
ローズの母が怒鳴りながら入ってきた。その瞬間ローズは何をするかを決めた。
「こら! ローズ! 待ちなさい!」
ローズは球を入れたスクールバッグを持って家を飛び出した。
ローズが家を出ていった後、
「全くあの子は」
ローズの母であるマリーは言った。
「あんたも心配性だね。マリー」
マリーの母であるポプが言った。
「お母さんはよく私を育てられたわね」
「もちろんだとも、答えは無くても母は母だからね」
「私もそんなふうに思える日が来るのかしら?」
「来るさ、あんたも母であることに変わりはないじゃないか」
「はあ」
「大丈夫さ、最初から全てを知っているヒトはいないだろ?」
「それもそうね」
というローズの母と祖母の会話があった。
「ハッ! ハッ!」
思いっきり無視をした。
初めて明らかに反発した。
ローズは全速力で走りながら母の言うことを聞かなかった自分を見つめていた。
それは、ローズにとって始めての自発的反抗だった。
ローズは今まで不満はあれどそれを態度以外で示したことがなかった。
いや、今回も態度で示したことには変わりはないかもしれない。
しかし、それはローズにとっては全く同質のそれではなかった。だからこそ興奮の度合いは強かった。
あっという間に家から学校までをものの数分で走りきった。運良く信号につかまることもなくスムーズに学校につくことができた。
しかし、そこには居るはずもない者の姿があった。
「ユリ!? どうしてここに?」
「それはこっちのセリフ。何でローズは外から学校に来たの?」
「そ、それは……」
ローズは言いよどんでしまった。
ここでとっさに「忘れ物を取りに家に帰っていた」と言えていれば何も問題はなかっただろう。
「嘘、ついたの?」
「……」
「どうして? 私と帰りたくないだけなら正直にそういえばいいのに!」
「それは、違う! 絶対に!」
「それは?」
「あ、いや、その」
2人の間に沈黙が流れた。
ローズは無意識的にスクールバッグを隠すような素振りを見せてしまった。
「その中に何か入ってるの?」
「な、何も?」
「怪しい」
「……」
ローズは何も言えなかった。
嘘に嘘を重ねている自分が嫌になった。
それだけでなく、嘘で親友を苦しめていることが辛かった。もう、隠すことを諦めた。
手を差し出してバッグを渡すよう要求してきたユリに素直に従った。
「やっぱり、何か入ってる」
「……」
「これ、何?」
ユリの手に乗っていたのは案の定、紫に光り輝く球だった。
「実はね……」
ローズはポプに話したときと同じようにアルデンテスとのやり取りを話した。
ローズは目をつむり、顔を地面に向けた。ユリの怒声が響き渡ると思っていたからだ。
しかし、
「なあんだ。そんなことか」
「え?」
「じゃあぱっぱと置いてきちゃおうよ」
「怒らないの?」
「そりゃあ嘘つかれたのは悲しいけど、これ以上怒っても仕方ないことでしょ?」
「ごめんね」
「私こそ、一方的に追及してごめん」
謝ったあとは、お互いに笑いあった。
「でも、これどうしよう」
ローズは言った。
「こんなもん」
えーいとユリは紫に光り輝く球を校庭めがけて投げた。
「これでいいんでしょ?」
「多分」
「じゃあもうお終い。帰ろ?」
「うん」
ローズは納得しないながらもユリと談笑しながら帰った。
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