第8話:すれ違ってきた心が、今ようやく


「ロックが馬鹿にされるのも、酷いこと言われるのも、怪我をして心まで傷ついてボロボロになるのも。全部全部、ボクと一緒にいるせいで。ボクの隣にさえいなければ、それは全部なくなる。ロックはいくらでも幸せになれるんだ。ボクさえいなくなれば」


 それは意味のない、想像するのも馬鹿馬鹿しい仮定だ。

 ロックの半生は、リオの遠い背中を追いかけることに捧げられたと言っていい。

 リオに挑み、リオと競い合う日々が今のロックを形作っているのだ。リオのいない人生を歩んだロックは自分と似ても似つかぬ、最早別の生き物だろう。


 しかしロックもまた、何度無意味な仮定を想像したことか。

 自分なんかより、もっと強くて相応しい人がリオの隣に寄り添っていれば……と。


「本当にロックのことが大切なら、ロックをボクから解放してあげなくちゃいけない。しがみついている手を離して、ボクは一人でも大丈夫だよって笑顔で送り出して、ロックの自由な人生を返してあげなくちゃいけない。わかってる。わかってる。そんなこと、ずっと前からわかってるのに」


 泣き出しそうな声。いや、既に泣いているのか。

 ロックは胸が詰まって、自分まで悲しい気持ちになってしまう。


 叶うなら、リオの心から全ての憂いや不安を取り除いてやりたい。その心を傷つけるモノ全てを焼き払い、温かな安心と喜びだけを与える、そんな炎となりたい。しかし、自分の存在こそが彼女を傷つける最大の元凶だという矛盾。


 だからどんなに想い合っても、想い合うほどに、自分たちはすれ違うばかりだ。


「嫌だ。嫌だよ。ロックと離れるのは嫌だ。ロックが一緒にいてくれなきゃ嫌だ。ロックが僕以外の誰かと幸せになるなんて堪えられない。でも、ボクのせいでロックが苦しむのも傷つくのも嫌だ。平気だって無理してるロックの笑顔に甘える自分が嫌だ」


 雷に怯える子供のように、リオは背中を丸めて縮こまった。

 なんて弱々しい、小さな背中なのだろう。


 なにが勇者だ、獅子姫だ。

 どんなに強くたって、目が眩むほどの才能があったって、ここにいるのはただの女の子だ。大切にし過ぎた気持ちの重みに潰されそうな、誰よりも愛しい女の子。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ロックはボクにたくさんのものをくれたのに、ボクはなにも返してあげられない。いっそのこと、最初から出会わなければ――!」


 それ以上は言葉にならなかった。させなかった。

 リオの頬に両手を添えて、持ち上げる。悲痛な表情にも構わず、その桜色をした唇を、ロックは自分の唇で塞いだ。


 時間が、世界が止まったような一瞬。


 リオは大きく目を見開いたが、抵抗しなかった。固く強張った体から徐々に力が抜けて、やがてそうするのが当然のように、こちらに身を任せる。そのまま貪りたくなる衝動を押し殺して、ロックは緩やかに彼女の唇の感触を味わった。


 どれくらいそうしていただろうか。ゆっくりと顔を離す。


「ロック、え、今……!?」


 真っ赤な顔で口をパクパクさせるリオ。

 驚くのも無理はない。隙あらばベタベタくっつき合う仲だったが、こうしてロックの方から、それも唇に口づけなんて、実は初めてのことだから。


 ロックもリオと同じように葛藤し、苦悩してきた。どこか他に相応しい人がいるのに、自分の気持ちがリオを縛りつけてしまうのではないかと。


 どれほど誓いと決意を重ねても、努力の報われない日々はロックの心を磨り減らした。遠い背中にいつか追いつくと口にしながら、その「いつか」はいつ来るのかと絶望する。このまま永遠にたどり着けないんじゃないかと、諦めが心の奥底に巣食っていて。気持ちを決定的な行動で示して、最後の一線を踏み越えることを躊躇い続けてきたのだ。


 しかし、ロックはついに力を得た。もう迷いはない。

 改めて誓う。リオを守るのは自分だ。彼女の隣は誰にも譲らない。

 だから誰にも渡すものかと、溢れ出す言葉でリオの心を永遠に縛りつける。


「好きだよ、リオ。俺は、ずっとリオと一緒にいたい。そこがどんなに危険で残酷な場所だとしても、俺がリオの隣で一緒に戦う。俺がリオを守る。離れたくないんだ。一緒じゃなくちゃ嫌なんだ。リオが他の誰かのモノになるなんて許せない。苦しくたって構わない。苦しめてしまうことを許して欲しい。どうか、俺のモノになってください」

「――っ」


 リオの潤んだ瞳から、今度こそ大粒の涙が零れ落ちる。

 それが喜びの印であることは、満開に咲く笑顔が保証してくれた。


 ……向かうべき方角すらわからず暗闇を彷徨ってきたが、ついに光明は見えた。

 それは、人と世界への憎しみに燃えているとまで言い伝えられる、凶星の輝きだけど。

 この禍々しくも力強い光が、リオの待つ場所まで自分を導いてくれる。

 不思議と、ロックにはそう信じられたのだ。


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