第3話:二人の過去、勇者の誕生


 ロックの記憶する限り、リオは生まれながらに特別だった。


 遡ること六歳の頃。二人が生まれ育った村には、魔物からの守役を務める戦場帰りの傭兵がいた。訓練と称して村の子供を痛めつけるのが趣味の、性根が腐った男だ。


 その日、リオは他の女子の誘いも耳に入らない様子で、訓練をジッと眺めていた。

 剣を振るう男の一挙一動を見逃すまいとするような、深く鋭い眼差しだったのをロックは今でも覚えている。思えばあの澄んだ瞳を見た瞬間から彼女の虜だった、とも。


 その視線が癇に障ったのか、あるいは逆に興が乗ったのか。

 男はリオに木剣を投げてよこし、好きに打ってこいとリオを挑発する。

 ――次の瞬間、男は全身を滅多打ちにされてひっくり返った。


 リオは生まれて初めて握った剣で大の大人、それも元傭兵に完勝したのだ。


『剣の振り方? そんなの、たった今見せてもらったんだからわかるでしょ?』


 当たり前のように言ってのけたリオの言葉に、誰もが絶句する。


 男の剣を一度見ただけで、リオは剣の型を理解してしまった。否、それ以上だ。どうすればより鋭く、より強く剣を振るえるか。その術理を誰に教えられるまでもなく、剣にのめり込んだリオは己の感覚一つで追求してしまう。


 まさに天から授かった、神に愛されたとしか説明しようのない才能。


 それから一ヶ月とかからず、リオは村の誰にも手がつけられない強さになった。

 そして、リオは村から孤立する。百人近い住人の、そこそこ大きな村の中で、リオはひとりぼっちになってしまった。


 大人も子供も、誰もリオとは打ち合えない。なにもできず一振りで叩きのめされる。

 圧倒的に過ぎた、こちらの人生を丸ごと否定するかのごとき理不尽な強さ。

 相手にするだけ自分が惨めになるだけだと、誰も彼もがリオを遠ざけた。


 どれだけ才能に恵まれても、競う相手もいないのはどれほど虚しいことか。

 リオは村の片隅で黙々と、ひとりぼっちで剣を振るうようになった。

 ……その暗く沈んだ顔がどうにも我慢ならなかったのが、一歩を踏み出した理由。


『オイ、暇してるんだろ? 相手になってくれよ』


 そして見事に一瞬で負けた。もしかしたら村で一番綺麗な瞬殺だったかもしれない。

 立ち上がって、もう一度挑んで、また一瞬で負ける。三度挑んで、三度負ける。

 四回でも五回でも立ち上がっては、繰り返し宙を舞い地面にぶっ倒れる。


 指一本動かず起き上がることもできなくなるまで、ロックは彼女に挑み続けた。

 ずっと無言で叩きのめしてくれやがったリオが、ようやく口を開く。


『どうしてそんなになってまで、ボクの相手をしてくれるの?』

『だって……お前、一人じゃ、全然笑わない、から』


 ロックは知っていた。

 剣を振るうとき、リオが太陽のように眩い笑顔を浮かべることを。


 もっと強く。もっと速く。もっと巧く。そうやって剣を追求することが、ただ楽しくて仕方がない。そういう、無垢なまでに純粋で、残酷なほどに美しい笑顔だった。


 勿体ない、と思ったのだ。

 あんなに綺麗な顔で笑うのに、笑わないのは勿体ないと。

 相手がいなくて笑えないなら、いくらでも自分が相手になろうと。


『笑った顔が、見たいんだ。笑顔が、あんまり可愛かったから』


 我ながら、なんと口説き文句じみた台詞か。

 やられ過ぎて意識が朦朧としていなければ、とても口には出せなかっただろう。

 これを聞いてリオがなにを思ったかは、怖いし恥ずかしいしで今も訊いていない。


 ともかく、『明日もやるからな。逃げるなよ』というロックの何様な言葉に、リオはぎこちないながらも微笑んで頷いてくれた。

 それからの日々は、二人にとって黄金よりも輝きに溢れた毎日。


 ロックは何度だってリオに挑み続けた。体を鍛え、戦い方や武器を模索し、色んな大人に才能がないと嘲笑われながらも教えを乞うて。最初は一手で倒されたのが二手、三手と少しずつ、しかし確実に打ち合えるようになっていく。


 そして、それが限界だった。どんなに年月を積み重ねても、負けるまでの時間を引き延ばすのが精一杯。十年間、リオに一撃さえまともに当てられなかった。

 追いかけるほどに、成長を実感するほどに、思い知るリオとの途方もない差。


『ちっくしょうがああ……! 次こそ、俺が勝つからな!』

『うん! 何度だって相手になるよ。次もボクが勝つけどね!』


 そうやって勝ち目のない勝負を挑み続けるロックを、村の子供も大人も笑い者にした。

 悔しかったし、惨めだったし、腹立たしかった。それでもロックが腐らなかったのは、勝利でなくリオの笑顔こそが目的だったからだろう。


 半端な心構えではリオを満足させられないから、いつだって勝つために全力を尽くした。しかしリオが充実を感じ笑ってくれる限り、ロックはそれで満足だった。互いに名声や最強の座を求めるでもなく、こうして二人きりの時間を過ごせれば十分だったのだ。


 ――その平穏を壊したのは、村を襲う魔物の氾濫。


 かつて星を滅ぼしかけた魔神《ネメシス》の怨念が生み出すという闇の眷族。

 魔物は普通の生物ではなく、暗闇から突然現れては人間に襲いかかる災厄だ。

 それ故、避難もままならずに村は壊滅の危機に立たされる。


 散々自分を冷たく扱った村を守ろうと思うほど、リオはお人好しな性格ではない。

 しかし運悪く、魔物の群れが真っ先に襲ったのはロックの住む家だった。


 家の崩壊に巻き込まれたロックは重傷。大人たちが逃げ惑い助けを求めるばかりで頼りにならない中、リオはロックを守ろうとたった一人で魔物に立ち向かう。


『俺を、置いて、逃げろ。足手纏いなんて、ごめんだ』

『嫌だ! ロックがいなくなったら、ボクはひとりぼっちになっちゃうじゃないか! ボクはまだ、ロックに恩返しだって一回もできてない! だから、絶対に死なせない! 今度は、ボクがロックを守る番なんだ!』


 そして、窮地に追い込まれたリオは覚醒する。

 星の女神に選ばれし伝説の救世主《星剣の勇者》として。


 全身から溢れ出す星の輝きが闇を払い、魔物の群れを一蹴し、重傷だったロックの怪我までも綺麗に消し去った。

 村人たちは手のひらを返してリオに平伏し、数日後には王都から騎士団の迎えがやってきた。村の異物だったリオは、一夜にして世界の主役になったのだ。


 ――そして主役の隣に、脇役ですらない部外者が立つことを、世界は決して認めない。

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