第45話 血縁の罪

「クンガールって確か『王様たち』って意味だったよね、スウェーデン語で」


 ああ。机でスウェーデン語の曲の歌詞を英語訳しながら、私は琳音くんにスウェーデン語を教えてもらっていた。


「本当に王様っつーか、貴族の集まりっつーか……。権力を持ち過ぎてバランスが崩壊した世界なんだよ。あそこは」


 実際、琳音くんの父親はクンガール、KUNGARの元幹部で情報漏洩の罪で追われていただけあって、息子である琳音くんへの迫害もかなり凄かったのだ。


 まず琳音という子供が生まれても出生証明書を出してもらえず、戸籍に登録することもできない。おかげで彼は父が亡くなるまで戸籍が無く、幼稚園に行けなかった。代わりにシッターに世話してもらっていたそうだ。


 次にKUNGARはレッテ社会を統括する組織で、日本で言う日本政府のような役割を持っている。だが団体として存在しているので、障害者の社会に権力のある組織があると言う、実に奇妙なことになっている。

 彼らは会員には会員証を送り、指定の商店やコンビニで安く商品が買えるようにしているが、それはレッテに必要な酵素が高いためであり、会員にはその価格を下げて提供するという協定を製薬会社と結んでいるという。


 そして、タブーと言われているのがインガと呼ばれる子供たちへの虐待、人体実験などといった人権侵害だ。中には実験の生存者もいるが、ほとんどが幼いうちに亡くなった。


 これらのことが琳音くんの誘拐事件で明るみになり、民間団体がなぜ国家に干渉できているのかという謎が解明されないまま、誘拐犯である柚木藍の動機が左翼系雑誌に投稿された。


 六月坂源一という男がKUNGARの幹部にいるのだが、彼は琳音くんを『血縁の罪』という、儒教的な考えのもとで『罰し続けていた』。だがそれが行き過ぎて、とうとう人体実験の検体として『処刑』しようと考えたのだという。

 彼の暮らしていた施設に通知を行い、それを知った琳音くんの担任だった柚木がそれを知って、彼とともに施設から逃げて日本中を逃げ回っていたという話だった。

 これをあらかじめ手紙として受け取っていたジャーナリストがこの事件の起きた経緯を手紙とともに公開したおかげでさっきのKUNGARによる国家権力への関与が世論の怒りを買った結果、レッテはますます肩身の狭い存在となってしまった。


 だが問題なのは、レッテがさらに差別される存在になったことでは無く、六月坂が罰せられることなく、今もKUNGARの幹部であり続けていることだ。


 柚木は琳音くんを誘拐して、薬の代わりに自分の血を飲ませ続けたおかげでインデル症候群を発症、逮捕されたときは車椅子に座らされて、刑事たちにはたった一言、「お疲れ様でした」と敬礼されたという。

 世間も柚木が琳音くんを誘拐した動機を知ったときには同情の声を上げる者もいたが、ほとんど何者かによって謀殺され、今の彼は『ペドファイル』とよく言われている。


 もちろん、私はそんなことを信じるつもりはないが。


「はあ……。勇者がいても、王たちに処されるのか……」


 ずいぶん洒落たことを、琳音くんはため息をついて呟いた。周りに聞こえないように、私にのみ聞こえるように言ったその唇は色あせて、紫色だ。


「そういえば前に言ってたアレだけどさ、どうする? 香澄さんには用意してもらってたんだ。車」


「うん。個人的には退院してから逃げたい。でも、今は関節を火傷しちまったから、リハビリしないと……」


「そうだね……」


 あまりにも気まずい会話の中、私はこれからの琳音くんについて憂いていた。彼には帰る場所があるとはいえ、それが例えば、国家未承認の薬を子供に打ち込むような家庭だったら? 私は自分だったら、頼れる場所に頼って逃げていると思う。


 個人的にはどうやって円夫婦や警察の目を巻くかにあると思うが、もし行方不明者として探されていたら、携帯電話の電源で位置情報がバレるだろうし、デビットカードも使った店が記録されて通報される可能性有りだ。


 表向きには『血縁の罪』から解放されたことになっている琳音くんだが、彼は今でも六月坂の執念によって罰せられ続けている。それが例え、父のしたことでも。血は繋がっているので、息子の彼も罰せられてしまうのだ。


 血筋、地位、年齢的な幼さ、差別心……、数えきれない糸に雁字搦めになった琳音くん。私の過ごした特別支援学級も、悪さをすれば殴られ、暴言を吐かれる場所だったが、さすがに琳音くんほどの差別は受けたことがない。私は甘い世界に住んでいたのだ。

 恋した相手は、悲しい過去と今を生きて、大きすぎる敵から逃げることしかできないままだ。抗う方法がそれしかないのだとすれば、私が何か提案できれば……。


「ねえ、今日は薬は打たれなかった?」


「あー、あの白い注射薬か……」


「うん。ハートリストってやつの元ネタ的な……」


「打たれたよ」


 そういえば、不思議なことに少しずつ琳音くんの食欲が少しずつ増してきている気がする。私は勘でそんなことを思い、何かが琳音くんの中で変わっていることに気づいた。


「もしかして、自分には食べられないものとか、食べてない?」


 すると彼は体を固くして、私と目を合わせて静かに告白した。


「ああ、ああ……。でもよ、みんなには内緒な」


「うん」


 とりあえず、やっぱり変化があることはわかった。問題はそこから、琳音くんがどうやって生きていくかだ。

 確証は得られていないが、少しずつ薬を受け入れていけばいつか琳音くんの体はアレルギーで食べられない食品を食べられるようになるのでは、と仮説を立ててみる。


 アレルギー食品が食べられるようになるという人体実験を今も受け続けている琳音くん。セボリーニャをこくんと飲むと、私に忠告してきた。


「ここからが地獄だよ。レッテに生まれるってことがどんなに辛いか……」


「私はレッテじゃないし」


「お前さ、俺についていく決意ってあんのか? 俺は真夏と再会した時に思ったんだ。アイツと死を分かつまで、争い続けるって」


 そのギョロッとした目から、分かる。琳音くんは復讐しようとしている。自分を生まれた時から社会的に殺し続け、柚木先生を追い詰めたKUNGARという、大きな敵に。


「疲れたら私に連絡してね」


「ああ、もちろんさ」


 そう寂しそうに微笑んで、琳音くんは食事を終える。セボリーニャを飲んだだけだったが、杖を立てて、それに寄りかかりながら歩き出す。足を引きずって歩く様はあまりにも悲惨だったが、少しずつ前を向き始めた彼の未来に安寧があることを、私は祈った。

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