第46話 耳かき

 真夏の日差しを遮るカーテンのせいで暗い部屋は、エアコンをガンガンに使っているせいで冷たくて、風邪をひきそうだった。


 瞳を開けるとそこには少し柔らかい太ももと、その上に巻かれた少しざらついた何か。何が起きたかわからないまま、その持ち主の顔を見ようと顔を上げた。


「まーなーつ! ちょっと恥ずかしいから……。俺の顔は見ないで」


 そう誰かを説教するように言ってきたのは愛しい琳音の声だった。かすかに見える頬は紅潮していて、優しい瞳が慈しむ眼差しはなんというか、可愛らしい。


「じゃあ、喋るのはいいだろ?」


 オレが軽く抵抗すると、彼は一瞬ハッとしてから黙りこむ。頬を膨らめて、静かにうつむく彼にオレは手を添える。


「そういうとこだぞ琳音。そこがお前の可愛くて、危ないところだ」


 すると彼は目をそらして、静かに言葉を吐いた。


「なっ、なんだよ真夏のくせに……。せっかく俺が感謝の気持ちを込めてやろうって思ったのによお……」


 琳音の右手には耳かきがあった。オレは足の関節を火傷している琳音を心配しながらも、早速聞いてみる。


「お前が耳掻きしてくれんのか?」


「えっ、そうだけど……。何かある?」


「いや、ねえよ。ただちょっと不安だなあって……」


 その言葉を聞いてか、琳音は軽く怒った様子でプンプンしながら話しこんでいる。夜が近づく中、オレたちは静かに言い合いを楽しんでいた。


「俺は柚木先生の耳かきをしてたんだから! 腕はプロ級だと思うぜ?」


「そ、そうか」


「ああ!」


 その刹那、琳音の口から八重歯が見える。レッテは歯列矯正をする人が多いとは聞いていたが、その類の人間で八重歯を残したままなのは初めてだ。白い八重歯が鋭くて、今にも首筋から血を吸い取られてしまいそうだ。


 その様子を想像すると、思わず胸が高鳴って、心臓が破裂してしまいそうだ。琳音の食事の代わりになる血を吸われるオレ。うん。実にいやらしい。

 オレはオレなりに妄想していると、彼が聞いてくる。


「真夏、始めるけどいいか?」


「いいぜ! お前の愛をしこたまと受け取ろう!」


「何言ってんだ? まあ、でも俺もお前からの言葉を受け取るよ」


 そう嬉しそうに琳音が言うと、彼はライトでオレの耳の中を覗き込む。続いて匂いを嗅いで、どこか気持ち悪そうにしている。


「真夏さあ。お前、何年耳鼻科に行ってないんだよ?」


「んー、かれこれ一年は行ってないぞ?」


「じゃあ一年の大掃除ってことで! 俺が掃除してやるけど、終わったら耳鼻科へ行けよ?」


「あ、ああ……」


 耳朶に近づく内部からはごっそりと、何か大きなものが取れるような感覚を覚える。たった一年しか間は空いてないのに、こんなに汚れていたのか、俺の耳って?


「うわあ……! 真夏の耳垢がごっそりとれたぜ! なんつーか、こんなに汚れが近くで取れる人って初めてだわあ」


 ティッシュの上に乗せられた耳垢を見せられて、オレもその汚さと量に思わず「ウッ」と声が出た。山のように盛られた耳垢が、自分の耳垢が今ここに。まさか恋人に取られるとは思いもしなかったから、恥ずかしさで思わず顔が赤くなる。


「は、はずかしい……」


「あはは! 真夏さ、恥ずかしいからか知らないけど耳朶まで赤くなってる。可愛い」


 その途端、琳音がオレの耳にキスしてきた。オレの耳って、さっきまで耳垢がゴッソリとれたあの汚い耳にだぞ? あれか? 犬が自分の子犬のクソを食べる習性があるように、愛しい存在の汚いものが好きなのか? 琳音は。


 まあ、オレも琳音の使用済みパンツを洗濯場からこっそり拾って抜いたことはあったが……。愛するほどの存在ができると、人というのは衛生観念なんてクソ食らえ、とことん愛してやるって気持ちになってしまうのか?


 そう考えると逆にその汚さにロマンさえ覚えてしまうものであり、琳音とならスカトロしても平気かなあとか、何気なく考えてみる。いつか誰かが言っていた「好きな相手の糞も食えないようじゃ、それは愛じゃない」って、聞いたときは馬鹿にしてたけど、今思うと一理ある気がする。


「琳音、そこは汚くねえか?」


「ううん。だって真夏の垢がの集まりが取れたんだぜ? 好きな人の排泄物なら俺さ、クソでも平気な気がする」


 そう言って笑う琳音がオレの耳を舐めて、やがて奥まで入り込もうと進入してくる。左耳が彼の下の動きを、蠢きを大きな立体音で左耳中に響き渡らせてくる。その感覚と、琳音のくすぐったい耳舐めには、思わずオレも喘ぎ声を上げてしまう。


「ああっ……、りんねぇ、ダメ! ダメだからそこはあ……!」


「そうなの?」


「やめてくれよお!」


「やめねえよ」


 すると、今度はかすかに汗をかいた首筋まで、琳音の届く範囲で彼の舌が舐め回してきた。くすぐったいその感覚に、オレはまた喘ぎながらやめるよう懇願する。


「ひえっ! くすぐってえから、やめて、やめてくれよお……!」


「内心気持ちいいって思ってるくせに。ほら、俺の耳舐めが気持ちいいからやめられねえんだろ? 『やめてほしい』って言ってるくせに、勃つモノは勃ってんじゃねえかよ……」


 琳音から目を避けて自身の下半身を見ると、確かに勃つモノは勃っていた。これでもかというほど、服の中で暴れて何度でもイキそうなほどに快感を求めているようだ。


「やめて……! やめてください……。お前の耳舐めは気持ちいいから。これ以上されちまうとチンチンが暴れてヤバいことになりそう……!」


「そう? じゃあやめる」


 すると琳音はタオルで自分の舐めた箇所を拭いてくれる。タオルはゴシゴシしてて正直少し痛いけど、琳音が拭いているのだと思うと愛しくてたまらない。ああ、これが愛というやつですか、神様?


「耳かきはどうだった? 真夏」


 琳音の問いに、オレは容赦なく答える。


「気持ちよかったぜ。……まあ、後で耳鼻科には行くけどよお……。それでもあんなに取れるって、お前はすげえよ」


「ふふふ、ありがとう」


 琳音の嬉しそうな声に、オレも何かしてやりたくなって、彼の股間を暴こうとする。


「ちょっと真夏、何やるんだよ?」


 オレに押し倒された真夏はこれから自分が何をされるかを悟って、自分の肩を抱いて震えている。そりゃあ、そうだよな。強姦されてからまだそんなに時間は経っていないのだから。


「や……、やめてくれよ? 真夏」


 信じてるから。震えながら言う琳音の声に、思わずオレは手を止めて彼を抱きしめる。涙を目にためて、今にもこぼれそうなほどに不安を感じているその体にオレはただ「悪かった」と言って、彼の体温を求めた。


 琳音の体温は少し冷めているようで、どこか冷たい様子だったがそれでもどうしてだろうか、心地よいのだ。


「琳音、さっきはごめん。愛してる」


「……、俺もだよ。愛してる」


 お互いに笑い合いながら愛をささやき、抱き合うその姿をちょうど見ているものが存在していた。


「入ってきたよお、琳音くん……って、え?」


 真中が俺たちの体勢に少し驚いた様子で、ずっと眺めている。その顔には侮蔑も含まれるだろうが、逆に冷たい視線も含まれていた。


「……このことは、黙っておくね。じゃあね、お幸せに」


 そう言われてパタンと閉められる扉に、オレは「違う」と言ってやりたかったが、まあ、しばらくは通じないだろう。


「これで邪魔もしばらく入らなくなったな」


 そう大人しく笑う琳音の言葉に、オレは内心彼の冷静さに驚きながらも、また彼を抱き返す。


「こ、今度はなんだよ?!」


「やっぱり、オレさ、お前のこと好きだわ」


「俺もだよ、真夏」


 オレと琳音。他に誰もいない病室の中、沈黙という名の鳥が聞こえないさえずりをする部屋でオレたちは自分なりに愛し合った。誰にも隠せない病室に、オレは内心興奮さえ覚えながらその愛しさを抱きしめあったのだった。

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