第38話 荒城の月に咲く花

「今日は、いよいよ八月になって参りましたね。奥塚さん!」


「皆さん、おはようございます! そうですねえ、真夏の暑い中、みなさんいかがお過ごしでしょうか? 今回は宮城県で起きた少年殺人未遂事件について新情報が……」


 ピッ。私はテレビを消してスマホでYoutubeに何かいい動画がないか探しに出ようとする。すると、藤峰まで実際に来てみた観光客の動画が急上昇に入っていた。


 藤峰って何も無いのにな。そう思いながら、私はその動画をタップする。すると金髪の外国人男性が藤峰公園の山にある公園から、空から降らんとばかりの星空を見上げながら「ビューティフォー」と感嘆の声を上げていた。


 事件が起きる前、琳音くんが監督に試演動画を撮られた夜のことが脳裏をよぎる。確かにブランコから見上げた星空はボウルから粉砂糖をひっくり返したように星が降っては消えていた。


 一体何が目的でこの動画を撮ることにしたのだろう。そう思って動画のコメントを見ると、コメント欄には男性への称賛の声があげられていて、スリー・コインズのファンと思しき女性がこんなコメントを残していたのが印象的だった。


『こんな綺麗な夜空が観れる公園であの事件が起きたなんて信じられない……』


 いやいや、私も信じられなかったよ。まさかネットのおもちゃにされてきた琳音くんが殺しの標的にされるなんて、思いもしなかったのだから。


 他にもコメント欄を見てみると、被害者である琳音くんへの悪口やスリー・コインズへの差別的な書き込み、藤峰の住人に対するヘイトまで様々な憎悪でいっぱいだった。ここまでのヘイトを向けられたのは正直初めてだ。


 私は気分が悪くなってYouTubeを見るのをやめ、代わりに音楽を聴いた。最近になってやっとポーランドの歌手の曲も聴けるようになったから、最近はSarsaとMargaretを中心に聴いている。


 痴漢に体を触らせて稼いだお金は、当時iTunesに無かったMargaretのCD三枚を買うための代金に消えていった。母が英語を得意としていたこともあって、paypalを使ってdiscogsでバイヤーとやりとりしてもらった。およそ五千円が消えていったが、それでも数万円が私の鍵付きの貯金箱に残っていた。


 今は十を超えるだろうか。拓也さんに絵のモデルをさせてもらうこともあって、ますます収入は増えていった。


 さて、Margaretが自身のオルター・エゴ(別人格)であるガイヤ・バーンビーになり切って歌った曲の数々を聴きながら私は自転車を走らせて、丘の上の病院に向かっていった。


 だがギアは坂が急になればなる程重くなっていき、なかなか前へ進もうとしない。仕方なく私は自転車を降りてそのまま歩いて病院に向かった。病院までの坂では人や車とよくすれ違い、同時に暑さで車道に自身を放り投げるところだった。

 そんなギリギリの意識で病院の駐輪場を借りて、四階の琳音くんの病室へ向かう。ここまでに不思議と人とはそんなに関わることなく曲を聴きながら、私はヘトヘトになりながらエレベーターに乗って準備を整えた。


 エレベーターの鏡で乱れた髪を軽く整えて、病室前で屯している警察の検査を終えて、やっと琳音くんのいる病室に入ることができた。


「いつも来ますね。彼女さんなんですか?」


 検査の時にそう警官に笑われながらも、私はそれを否定。


「いいえ。寝取るのを狙ってる奴です」


 すると警官はおお、と驚きの言葉を漏らす。そのとき、赤髪の少年が部屋から出てきた。彼は警官が放った挨拶さえ無視してそのまま走り出す。


「廊下を走るなよ。で、入ってください」


「あ、はい」


 そのまま病室に入って、琳音くんと目を合わせる。今日の琳音くんは何かに驚いたようで、目を見開いたままずっと向こう側にある鏡を眺めている。

 一体どうしたのだろう。もしかして危険な領域に踏み入ってしまったのか? いやだ。そんな琳音くんをみるのはもう嫌だ。そう思って、私は琳音くんに微笑みかけながら挨拶をした。


「おはよう。琳音くん」


「……おはよ」


 私と目を合わせることなく、そのまま鏡を眺め続けている琳音くんの視界に、私は無理矢理入り込んで言った。


「ポッキー買ってきたよ!」


「暑さでベトベトだろ」


 無表情で突っ込まれると何も言えなくなるなあ。私は苦笑いしながら鏡の隣に置いてある小さな冷蔵庫にポッキーを入れた。


「せっかくお前がポッキーを持ってきてくれたのに、暑さのせいでもったいないな」


 やっと笑ってくれた琳音くんは、私に不器用な手でリンゴを剥いてくれていた。真夏が久々にお見舞いに来た日、鏡が置かれていた食事台には白いプラスチック製のまな板に小さな包丁。

 不器用な手で剥かれたリンゴは身のついた皮がたくさんまな板の上に落ちていて、リンゴもかなり小さくなっていた。


「琳音くん、料理できないの?」


「う、うるさい! 料理のできないレッテだっているんだよ」


「それにしてもリンゴさえこの有り様って、初心者にもほどがあるヨォ」


「……それについては認める」


 頬を染めて、私のニタリ顔から逃げるように琳音くんは目を逸らして、そのまま顔を伏せた。伏せたままの琳音くんは近づいてくる私の顔を拒絶することなく、少しずつ瞳を向けてやがて私の唇と彼の唇が触れ合った。


 何秒ほどそうし合っていただろう。お互い舌を入れあって、唾液がこぼれ落ちても吸いあってお互いの唾液を求めあっていた。

 やがてキスが終わると、琳音くんは私から離れていって涎だらけの口元をパジャマで拭う。そのパジャマの袖で口元を拭う様が可愛らしくて、私は思わず写真を撮ろうとした。


「……なんでこんなことをするの?」


 喜びながら聞く私は、無表情の琳音くんからとあることを早めの声で聞かれる。


「真中ってなんでこんなに俺に構ってくれるんだ?」


 答えが出ないなんてことは全くなく、すぐ私はその答えを琳音くんの瞳を見ながらベッドに座る。椅子は用意されているけど、こうした方が相手に私の好意が伝わると思って。


「そりゃ、琳音くんに恋してるからよ」


 こんなに可愛い子が田舎町にいたなんて、思いもしなかった。メンヘラな姿も気に入ったのよ。そう言い続けてやると、琳音くんはひとこと、私にとって驚きの言葉を彼の口から吐いた。


「実はさ、ケントにキスされたんだよ」


「……はい?」


「キスされた。ケントに」


「…………」


 沈黙する私に琳音くんはひとこと言って私のワンピースの裾を掴んだ。振り返ると、どこか迷子の子供みたいな顔をしていて可愛らしい。私は琳音くんの顔に弱いな。改めて自身のイケメンへの弱さを実感させられながら、私は琳音くんからどんなキスをされたか聞いた。


「へえ、どんなキスをされたの?」


 さっきまで鏡を眺めて放心気味だったから、よっぽど激しいキスをされたのだろう。無理矢理押し倒されて、舌をねじ込まれて口内を蹂躙されたのか。そんな期待をしていたのだが。


「普通にいま、お前としたようなキスだよ」


「押し倒されなかったの?」


「いや。俺とケントは顔をお互い近づけてな。気付いたらキスしていたんだよ」


「いやいやまさかっ、そんな漫画みたいなことがあってたまるもんですか!」


「それならお前との今のキスも漫画だぞ」


 それに私は何も言い返すことができない。しかしながら、琳音くんには真夏という永遠を誓った相手がいただろう。私の目の前で膝まづいた真夏は琳音くんに高い指輪を渡して、琳音くんも涙を流してその愛を受け入れた。私という証人もいるのだ。


 それがまさか、ケントと浮気だなんて馬鹿なことを。現に琳音くんの左薬指には、真夏があの日渡した誓いの指輪が光っている。


「今になって浮気? 真夏に見られたら怒られるか、殴られてるかしてたね」


 何気なくそう言うと、琳音くんは涙を流して、時々肩をしゃくり上げながら私に聞いてくる。


「なあ真中。俺、普通の恋がわからねえよ。……どうすりゃいいんだ……?」


 ああ、そういえば琳音くんは、自分が体を売っていた過去を普通に出会ったばかりの女子に笑顔で話す子だった。私のボケを突っ込んでくれる子の類なのに、どこか彼はズレている。誘拐事件で一年中放浪していたせいか? それとも週刊誌の噂が本当なら、真夏と初めて会った時から血のために体を売っていたからか?

 それでも柚木先生がいなかったら、琳音くんは今頃『死のサナトリウム』と呼ばれた実験場兼療養所に閉じ込められてこの世の人でなかっただろう。


 それくらいKUNGARの隠蔽体質が世間に取り沙汰される事件だった。だがKUNGARはリンダさんの言うように、今も賠償金を払う程度で何も被害者にケアをしていないという。その上、たまに歴史ある週刊誌で今でも非人道的な実験をしていると告発者が現れるほど怪しい組織だ。

 そんなKUNGARが統率する社会で差別を受け、迫害されてきた琳音くんがこうして生きているだけでも私は幸せだと思わないといけないのだ。


「琳音くん。リハビリはしてる?」


「してるぞ。早くここから出たいし、真夏の誕生日を祝いたいんだ」


 いつも私が来ると病室で本を読んでいる琳音くんだから、リハビリをしているということには驚かされた。今回の電気絨毯で関節に火傷を負った琳音くんは、移動する時も杖を使いながら足を引き継きずって歩くと真夏からは聞いていた。だがリハビリしていたとは思いもしなかった。


「なに驚いた顔をしてんだよ」


「いや、私がお見舞いに来るときはいつも病室にいたから」


 すると琳音くんはうなずいてニヤけた。目を細めて笑うその顔に、私は幾分かの安心感を覚えながら答える。


「お前といる時は病室にいる時が一番楽しいからな」


 肘で私の体を押しながら笑う彼の顔は、今までの中で一番輝いていた。それで私は真夏の誕生日をどう祝えるか考え始めた。


「琳音くんの退院日っていつ?」


「まだ決まってねえんだよな。これが」


「ある程度歩けるようになって真夏とは外に出るんでしょ? 外出させてもらったら?」


「そうか。それなら行きたい場所を決めないとな」


 そう考え込む琳音くんに、私は提案した。


「ちょっとハードかもしれないけど、青葉城趾とかどう? 滝廉太郎の『荒城の月』のモデルになった城よ」


「へえ、仙台かあ……」


 興奮して盛り上がってきた琳音くんに安心しながら、私が色々候補地を紹介しているとちょうど病室の入り口が開かれた。


「あっ、真夏」


 私は笑顔で真夏の手を引いて、琳音くんの元へと連れてきたのだった。

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