第36話 ヘアアレンジと恋人との夕方
「琳音くん、ショートボブも可愛いね」
椅子に座ってリンゴを剥きながら、目からハイライトの消えた琳音くんを見つめた。彼の髪は拷問事件の時にザンバラに切られ、無惨なことになってしまった。救急車で運ばれてから落ち着いて、真瓜さんが整えたが彼は髪を切られたことをはじめ、真夏に自身の輪姦される姿を見られた上に電気絨毯で拷問にかけられたショックが大きいようで。
「まあ、火傷の跡が残るんだろうけどな」
こんなことを赤い目元をして言っている。カーテンで日光を仕切られた部屋で、まだ警察職員が病室の外をガードしている様子だ。事件から一週間も経ったのに。いや、琳音くんや真夏たちにとっては一週間『だけ』なのかもしれないが。
琳音くんは少し伸びた髪をどうにかお洒落できないかと、自身の傷ついた心をごまかしながら髪をいじっている。かろうじて残ったサイドヘアの片側を三つ編みにしてみたり、前髪を私がセリアで買ってきたピンで留めたり。いろいろチャレンジしている。
そんな琳音くんの食事台に鏡を置いて、私は琳音くんのために髪型をアレンジしてみる。
「ほら、前髪と右側のサイドヘアは残ってる。今までの琳音くんは色んなお洒落をそのロングヘアでやってきたよね。でも今はショートボブだ。それでも色々楽しめるから、チャレンジしてみよう!」
不安げな表情で私の顔を見上げてくる琳音くん。そういえばここ一週間、真夏が遊びにきていない。もしかしたら琳音くんはフラれたと思っているのかもしれない。いや、違う。正確にいえばアイツは琳音くんが拷問された夜を思い出して、憎しみの底にいるのかもしれない。
琳音くんを傷つけたコンサートスタッフ、あるいはそれに加担したレッテたちに。事件から一週間、捜査が進展していくにつれて事件の詳細が明らかになってきた。
主犯のAはKUNGARの会員でもレッテでもなく、家族をレッテに殺された遺族だったそうだ。妹を殺された麻薬中毒者のAは、琳音くんがYoutubeでバズったのを見て、有名になるために殺人未遂を犯そうと目論んだらしい。
そこから琳音くん関係で彼に血縁の罪による怨みの募った三人とクラブで知り合い、そのままスリー・コインズの藤峰公演で地元住民の琳音くんが来ると踏んだのだろう。何しろ、ケントは琳音くんと同じ施設だったから。
もし琳音くんが来なくても、公演の後で誘拐して彼を拷問にかける用意をしていたという。バットと殴打用の使用済み消火器、ナイフなどが押収されている。これはネットニュースやテレビのワイドショーを始め、世間が知っていることだが琳音くんは知らない。
知らせないように病室にテレビを始め、週刊誌や新聞紙さえ用意していないのだ。それは本人が望んでも警察によって拒否される。精神衛生上のために。
私もスマホの扱いについて、警察にはこう注意されている。
「事件関係のサイトや動画を本人に見せないでくださいね」
さて、この事件の主犯格であるAについては氏名が公表されていない。家族が世間から叩かれることを恐れてのことだろうが、警察はその名を会見でAと表現したのは、「彼の望みを断つためだ」としている。
そんなわけで、名無しの権兵衛が起こした事件の被害者、琳音くんは家族を拒絶してここ一週間、ずっと私や美雨さんといった女性のお見舞いを心待ちにしているようだ。まあ、今までの事件の加害者が全員男性だったから、同性とは言え抵抗があるのだろう。
「ねえ、もし真夏に新しい髪型を見せたらどんな反応するかな?」
鏡の前で無表情の琳音くんに私は肩を叩いて問いかける。すると彼は無理に笑顔を作って、どこかニヒルな様子で微笑んだ。
「どうせ髪型を変えても俺の元には帰ってこねえよ」
真夏が琳音くんにプロポーズしたときの指輪は警察に押収され、返ってきていない。また元の精神を病んだメンヘラ男の娘として琳音くんは時間の針を無理に戻されたのだ。
犯人たちに電気絨毯でその身が焼けるまで機械のボタンを押し続けて、電気椅子ならぬ電気絨毯の刑に処してやりたい。そしてその写真を新聞やネットニュースに載せて、世界中に晒してやりたくなった。
正直、ここまでの怒りを持ったのは初めてだった。もし私が犯人の名前を知っていたら、その出所後に琳音くんの復讐を果たそうとしただろう。
せっかく私が真夏と再会させて元気を取り戻すきっかけを作ったのに、これでは無茶苦茶だ。私は真夏が琳音くんの元に戻ってくるようなファッションを心がけて傷心気味の琳音くんに笑った。
「新しい自分をここで作り直すの。未来は明るいって信じて。そうすればどん底なんて見えなくなるんだから」
「なあ、真中。真夏は新しい髪型にしたらまた帰ってくるかな……?」
年頃の少年にしては少し高い声で涙声を出して涙を目に溜める琳音くんに、私はやるせない気持ちになりながらも笑って言った。
「アイツは琳音くんのためだったら何でもする奴だったでしょ? Twitter経由で再会した時だって、わざわざ夏休みを使ってこんな東北の田舎にまで来てくれたんだから!」
「そうだな……」
やはり無理をして笑顔を作って俯く琳音くん。私はその頬を引っ張って鏡にその顔を無理矢理映した。
「痛てえって!」
「だって琳音くん悲しそうな顔をしてたから。これじゃ前へ進めないぞ。笑うんだ。笑って」
「…………」
それでも琳音くんは笑わない。私はどこか遠い目で鏡を見つめる彼の髪を自分の櫛で拭いてやる。すると髪はスッと絡むことなく毛先へと進んでいく。私はやっぱり琳音くんのサラサラな髪が好きだと確信し、サイドヘアを編み始めた。
「……なんでサイドを編むんだよ」
「まあ、私に任せて」
小さなリボンで沙羅が琳音くんにしたように結んで、ショートボブの後ろ髪はそのままにしておく。本当は小さな団子を作りたかったが、どこかダサく思えたので自分の中で却下した。そして、子供向けの布で一部が装飾されたフリル付きの青いピンで前髪の一部をとってそのまま髪につけた。
「これでどうかな?」
「……任せる」
「じゃあ、これ送ってみようか」
私はスマホを構えてカメラで琳音くんの無表情の写真を撮る。だが無表情だ。どこか物足りない気がした私は、琳音くんに笑うようにけしかけた。
それでも琳音くんは笑ってくれないので、結果ありのままであるべきだと方針を変えて無表情の写真を真夏のラインに送った。
「アイツはどうかな……?」
数分経っても返事が返ってこないので、私は琳音くんの髪をいろいろアレンジして新しい髪型を考案してみた。
サイドヘアを三つ編みにして、後ろにセットしたら今度は後ろの二つ結びの一つと一緒にする。
「どう?」
「うーん。どうだろうな、ダサいかな」
ダサい。そう言われて私はショックを覚え、代わりに青空文庫の小説を琳音くんのために音読することにした。
「春琴、本当の名は鵙屋琴、大阪道修町の……」
谷崎潤一郎の春琴抄を音読してみると、琳音くんが笑いながら鏡の自分を見つめている。一体何があったのか気になって、私はさっき剥いたリンゴを置いて聞いてみる。
「何が面白いの?」
「いや、お前って文学好きなんだなって思うとなんか変に思ってさ……」
「失礼ね! 私だって古典が好きなのよ」
プリプリして怒ってみせたとき、ちょうど病室の扉が開かれた。そこにはゼエゼエ呼吸を繰り返す真夏が立っており、どこか何かを懐かしむ様子で琳音の元へ駆け寄ってきた。
「琳音、ずっとお見舞いに来てなくてごめん」
「遅いよ。なんでずっと来なかったんだよ、馬鹿。俺がどれだけ寂しかったか、分かってんの?」
すると真夏は抱きしめていた琳音の体からその身を離すと、膝まづいて何か小さな箱を琳音に渡した。カーテンで仕切られた暗い部屋の中、琳音くんの好奇心あふれる瞳が元に戻ったように思えた。
箱を開けるとそこには指輪が鎮座しており、真ん中にはダイヤが飾ってある。私と琳音くんは一瞬目を合わせて、何をプレゼントされたのか疑問に思っていた。
「えっ、これってダイヤ? なんでこんな高いものを俺なんかに……?」
すると真夏が事情を説明し始めた。
「実は事件の翌日、両親が大津からやってきて喧嘩になったんだ。帰る、帰らないで揉めてさ。夏休みが終わるまで帰らないって部屋に篭ってたら親も黙って受け入れてくれてさ……。お見舞いにって買ってくれたんだよ。もちろん俺が大人になったら親にその分の代金は返すけどな」
そう笑いながら膝まづいたままの真夏に琳音くんは涙を流し、そのプロポーズを再度受け入れた。
「……真夏を受け入れるよ」
俺のために部屋に篭り続けてたなんて。そう涙声で言いながら、琳音くんは火傷が痛む臀部でその体を移動して受け入れた。
抱きしめられた真夏は泣くことはなかったが、どこか子供のような笑顔で私に笑いかける。ああ、琳音くんは真夏とずっと思い合っていたんだな。敗北を受け入れるしかないのか。そう自分に問い詰めながら、琳音くんの食べかけたリンゴを見つめていた。
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