少年は電気絨毯の夢を見るのか?
第35話 思い出のセボリーニャ
暗い病室の中、私は首元や背中に火傷を負った琳音くんの手を握りしめてずっとそばで俯いていた。隣にいるのは
「……何か買ってきましょうか?」
時計を見ると深夜もいいところだ。時計の針は二を指している。事件が起きたばかりで何があったのか分からないまま、スリー・コインズのメンバーたちは警察署で事情聴取を受けることになった。
捜査で、ピアノの特定のキーと電気絨毯を繋ぐ導線があり、そのキーを押すと電流が走り、電気絨毯で琳音くんを拷問できるようになっていたらしい。
電圧はおよそ二十ミリアンペアから五十ミリアンペアで、ネットで調べたところ、五十ミリアンペアで短い時間でも人は危険らしい。
筋肉が痙攣する二十ミリアンペアと死にそうな五十ミリアンペアを上手く調節して拷問していたようだ。
逮捕されたスタッフはまだ動機を語らず、ずっと沈黙したままだ。琳音くんが拷問を受ける様を見て真夏は怪我を理由に入院することになった。
大津から明日の夕方ごろに真夏の両親がやってくるそうだ。どうしてこうなっちまったんだ。真夏は病室の琳音くんを一目見て、頭を抱えて泣き出してしまった。
私はもう涙も枯れて、ひたすら琳音くんを見守ることに決めた。真瓜さんは彼の意識が戻らないまま眠っているのを見て、ずっと歌を歌っている。
「あなたが愛した夢に焦がれ焦がされ私は地に堕ちる……」
桜野みゆきの『焦がれ嬢』、レッテの間ではよく知られた歌だそうだが一般人はほとんど知らない迷曲だ。琳音くんがその歌を一緒に歌ったのは彼の父親と柚木先生、そして私の三人だけだ。どうして真瓜さんが知っているのだろう?
「あの、真瓜さん」
涙の枯れかけた赤い目元が琳音くんにどことなく似ている。まるで琳音くんが少し老けたような顔をした彼女は凛とした態度で私に聞いてきた。
「なあに?」
「その……。カロリーメイトとか買ってきましょうか? きっと今日の騒ぎでお疲れでしょうし……」
「…………」
すると彼女は黙りこんで頭を抱える。里親とはいえ自分の息子が拷問され、目の前で火傷を負って意識を混濁させているのだ。私が彼女だったら、とんでもないが正気でいられない。
私、何かまずいことを言ってしまったな。そう苦笑いしながら彼女を観察すると、真瓜さんが私を睨みつけて買うものを注文してきた。
「じゃあカロリーメイトのチーズ味とセボリーニャを買ってきて。お金は渡すから」
よく通る低い声で口にすると、真瓜さんは自身の高級ブランドのバッグから高級な財布を取り出し、五〇〇円玉を私に手渡した。
「お釣りは真中ちゃんにあげる」
「は、はい……」
お金をもらうと私はそのまま病室のドアを閉めてエレベーターホールまで向かう。すると、そこには真夏の部屋があった。
あいつ何してるかな。そう思って部屋のドアを開けると、真夏は窓を開けて月を見つめていた。黄金色の光が真夏の憂鬱な顔を照らし、月はその姿を見下ろしている。私は恋敵として、何があったのか静かに尋ねる。
「こんばんは。何してるの?」
すると声に気づいた彼が一瞬体をピクリとさせ、私の方を振り向いた。顔はげっそりと落ちたように感じられ、真っ白の肌からは涙が一滴、床に伝い落ちた。
「なんだ、お前かよ。何の用だ?」
「ふふふ……」
微笑みながら近づくと、真夏は気持ち悪がって後ろへ一歩下がった。そこには開きっぱなしの窓があり、背の高い真夏なら一歩間違えたら落ちそうだ。案の定、真夏はバランスを崩して一階へ落ちかける。そこへ私が駆けつけ、真夏の腕を引いて重心を戻してやった。
「はあ。死ぬとこだった」
「琳音くんもね。ねえ、真瓜さんって知ってる? いま病室にいるの」
「ああ。琳音の継母だっけ……? 琳音が大人の女になったような顔をしてるよな」
「涼しいところもね。私さ、真瓜さんからお使いに行って来いって、五〇〇円玉を渡されたんだ。真夏も一人で寂しいでしょ? 一緒に行かない?」
「ああ……」
真夏が答えると、私は彼の手を引いてエレベーターホールまで連れて行った。カロリーメイトやセボリーニャが売られている自動販売機があるのは一階だから、そこまで行かないといけない。
幸い、真夏の病室と四階のエレベーターホールは近かったので、看護師の話を聞きながら警察官、KUNGARの職員たちの怖い目を見ながらお使いすることはなかった。
「無事エレベーターに乗れたな」
「うん。でも一階にはいるかも。警官とかKUNGARの奴らとか」
「そうだな」
そんな話をしていたら、いつの間にか一階に着いた。県や地元の国立大学医学部教授たちがレッテたちに手厚い治療を施している病院なだけあって、彼らにとって優しい造りをした病院となっている。
日中、光のさす中庭は極力廃され、代わりに子供達が遊べるように屋根のついた遊び場がある。アスレチックからお金を入れて動く車まであり、まるで昔、デパートの屋上にあった小さな遊園地のようだ。
そんな病院があるのだから、レッテの患者でお金のある家は治療のためにこの藤峰に引っ越してくる。人口が少ない峯浦でもそこそこ栄える土地なのに、交通の弁は悪いのだ。車に乗らないとショッピングセンターには行けないし、仙台まで二つ隣の駅で乗り換えないといけない。
さて、自動販売機はそんな子供たちが遊べる遊園地の端っこにあった。誰だよ、こんな所に自動販売機を置いたやつは。そうぼやきながら私はカロリーメイトのチーズ味を押す。するとクルクルした形のネジが動いてカロリーメイトを落とした。
次はセボリーニャ。隣の自販機に、緑色に輝くペットボトルが自販機の光に照らされてどこか神秘的な光を放っている。
「セボリーニャは百六十円、はいはい……」
そう言いながら私はお金を投入し、真夏にセボリーニャのボタンを押させた。真夏と琳音くんのそばにはいつもセボリーニャがあった。映画を見るとき、風俗嬢の店でご飯を食べた時、そして昨夜のライブでも鞄に入れて各々のセボリーニャを会場に持ち込んでいた。
「ああ。よりによってセボリーニャか。優しい奴だな……」
そうつぶやきながら真夏はセボリーニャのボタンを押す。どこか死んだような目でガタンと落ちてきたペットボトルを自販機から取ると、私たちはそのまま静かにエレベーターに乗って四階の琳音くんの病室へ足を運ぶ。
ノックすると、凛とした真瓜さんの声が応える。
「入って」
「お邪魔します……」
私と一緒に入った真夏が彼女の目を避けながら静かに挨拶すると、彼女はどこか呆れた顔で椅子をもう一つ用意してくれた。
「さあ、ここに座って」
「ありがとうございます……」
作り笑いの真夏に、真瓜さんは冷たい顔で彼に聞いた。
「あなたが琳音の恋人?」
「ええ、そうですが……」
俯く真瓜さん。どこか苦い表情の真夏。涼しい風が入ってくる病室。闇に包まれた私たちは、気まずい雰囲気のまま意識を失ったままの琳音くんを見つめた。
「琳音が最近元気でいるのを見てね、私じゃ彼を助けられないと思った。完敗よ。真夏くん、真中ちゃん」
そう遠い目で見上げながら真瓜さんはカロリーメイトを口にし、セボリーニャのボトルを開くとヤケ酒のように一気に玉ねぎ味の炭酸ジュースを飲み込む。その女性のヤケっぷりに圧巻された私たちは困惑しながら彼女を見つめていた。
「でも、真瓜さんは母親ですよ。琳音くんの」
「それは紙の上での話。絆で結びつくことは今までなかった」
「それでも琳音くんが十二歳の時から一緒だったじゃないですか」
「息子に薬を無理矢理打たせる女が母親なの? どんな家庭か知りもしないくせに……。甘いこと言わないで」
飲み干したセボリーニャのペットボトルを真瓜さんが立ち上がって、真夏に投げかける。すると月光のせいだろうか。ペットボトルが緑色に光りだしてエメラルドのような色になった。それに見惚れた私は、真夏がペットボトルを当てられた痛みで小さく叫んだのを聞いた。
「いたっ」
「息子に国に未承認の薬を打たせて、精神が薬のせいで蝕まれる。それを母親としてどう世話しないといけないか。あんたたちには分からないでしょうね!」
「ちょっと落ち着いてください。私たちは琳音くんのお友達ですよ。薬だなんて、そんなの知りません」
「うるさい!」
真瓜さんが叫んだ途端、琳音くんの閉じられた瞳が微かに開いた気がした。人形のように動かなかった彼の瞳が動いた。私はそれを見て、琳音くんのベッドに近寄って聞いた。
「琳音くん。目を覚ましてる?」
すると彼は右目をゆっくりと開いて、眉を潜めて真瓜さんを睨みつけた。月の光が陰影を作り、その顔に影がさす。その顔が白い顔をした鬼のようでどこか怖かった。
「母さん、いや。真瓜さん。真夏を傷つけたよな?」
すると真瓜さんは不味そうな顔をして、顔中冷や汗をかきながら何かを話そうとしている。だが息子の睨む顔が怖くて何もできないようだ。
「あ……、その……」
「真夏を傷つける奴には帰ってもらおうか。代わりに真中、いてくれよ」
そう口で言いながら私にも命令してくる琳音くん。母親との軋轢は相当なもののようだ。仕方なく私は「はい」とだけ答えて、琳音くんの手を握りしめた。
すると、彼は背中が痛いと言い出し、自身の髪もだいぶ短く切られていたのに驚いている。背中まであったロングヘアはショートカットのように揃えられている。
夜は長い。だが、夜明けは近い。私は窓を閉めて、カーテンで光を遮って真瓜さんがショックを受けた様子で自宅に帰る様を見つめ続けるのだった。
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