第33話 新しい事実とコンサート
「それにしても快適な部屋ですね」
沙羅がジャスミンティーを飲みながら、部屋を一周して見回している。木造の日光が入る部屋に、琳音くんが入っても平気なように仕切られた遮光カーテン。電気をつけて明るい部屋にしているが、それでも沙羅にとっては驚きの連続のようだ。
セボリーニャのペットボトルが入った袋を見つけて、その緑色っぷりさえ目を丸くして、コップから口を離した。
「これ、なんですか?」
「ああ、俺も最初は不思議だった。セボリーニャって、玉ねぎを炭酸ジュースにしたものだ。ブラジルにも同じ名前のキャラクターがいるらしくてな。それとコラボしてこういうデザインになったそうだ」
真夏の得意げな説明に、出典:ウィキペディアと付けてやりたくなる。ブラジルではとてもポピュラーで、とあるブラジル人がKUNGARの幹部に売り込んだらしい。そうしたらとても好評で、レッテが多い町には必ずと言っていいほど店に置かれるようになったそうだ。
私は炭酸風味の玉ねぎ味にまだ慣れていないが、真夏は普通のように口にし、当たり前のように琳音くんと映画を観ている。セボリーニャとポップコーンを添えて。
そう想像するとなんだか悔しくて、私は沙羅を利用して琳音くんの、真夏への恋心を覚めさせる方法は無いかと考えていた。
すると途端、沙羅が琳音くんの髪に触れながら手ぐしですいていく。絡まることなく通ったそのサラサラぶりに彼女は簡単の声を上げて琳音くんにいろいろ聞いて行った。
「わあ、すごおい! サラサラだあ。琳音くんってなんでこんなにサラサラなの? っていうかなんで今も女の子の格好をしているの?」
すると琳音くんは苦笑いを含んだ表情をして服を選んでいる。沙羅に「真夏が好きそうなコーディネート」を聞きながら質問にも答えていく。……なんという完成された永久機関だ! 質問を沙羅がして、琳音くんが答えながら質問を返す。これを繰り返すとは、沙羅。なんと恐ろしい……!
「髪は播磨さんの家に備え付けのやつを使ってるぜ? 大事なのはタオルドライのあと、自分の髪癖にあったケア製品で丁寧にケアしてあげることだな。昔なら中学生になったら半ズボンは卒業していただろ? 人生の中でその機会を見失っちまってな。俺は今も女装してるってわけ。あとは、髪は願掛けだな。……うーん。夜に民族衣装風のワンピースってどうかな? 似合わねえか? ケントたちが来るなら俺もレッテアピールしたかったんだけど……」
「うーん、三つ編みにしてそれをまとめられたらいいんだけどね……。琳音くんは弥生人顔って感じだから似合わないと思う。あ、この水色ワンピースにスニーカーだったら似合うんじゃない?」
鏡の前で琳音くんに見せたのは、ダメージが入った水色ワンピース。丈がいつも彼の着るワンピースより短くて絶対領域が出来そうなほどだが、琳音くんはニーソにガーターなので問題ないだろう。夜だし。
「白いベルトでウエスト部分を絞めたら?」
私がベッドに座って提案すると、沙羅がそれに同意して細い白ベルトを用意して、琳音くんに着せた。
「長い髪は願掛けなんだね。初めて知ったよ。でもさ、やっぱり髪が邪魔だなって思う時はないの?」
「お前ら、男の着替え風景を当たり前のように見るんだな。まあいいけどよ。髪は先生と会えるための願掛けだから、ここに来た時に切られそうになっても必死に拒んだな。でも今ならケアの為に数センチ切ることはあるけどな」
だから先生に会えないのかもな。そう笑う琳音くんには影がさしている。鏡が電灯を反射して、その顔の反対側に陰影ができる。そのせいか尚更、琳音くんの暗い人生を反映しているような影ができて私は思わず胸が痛くなった。
「先生って
「ああ。そうだけど……」
「私のお姉ちゃんがこの町の病院で看護師してるけど、同じ名前の人を担当しているよ」
一瞬場面が凍りつく。一瞬気まずくなった場面を切り取ったような状況が何秒、何十秒と続いていく。そのうち感覚的に数分、数時間と時間が経過していくような感覚を覚える。早く誰か話してくれ。そう思っていると、真夏がセボリーニャを飲みながら聞いてきた。
「姉ちゃんに頼んでお見舞いに行けねえの?」
「それが無理なんですよ。警察や町の職員が監視してて、柚木先生も危ない状況が最近は何度も続いてるって……。ああ! あくまでも憶測ですよ。姉ちゃんはいつも酔った状態で仕事の愚痴でそういうことを言うだけなので」
「先生がこの町にいるってことだよな……! ……っ」
琳音くんが先生の状態を嘆いてなのか、それとも同じ町にいることへの喜びなのか。涙を流してベッドに横になる。
顔を誰にも見せないように壁側に横たえて涙を流す様に、私は思わず辛い気持ちになった。体を縮め、声を殺して泣くのは琳音くんの癖だ。それが四年前や幼少期に関わる思い出に近ければ近いほど、その傾向が強くなる。
「琳音くん……」
私が頭を撫でて慰めると、彼はその手を握りしめて離そうとしなかった。よほど寂しさに飢えているのか、それとも誰かに慰めてほしいのか。いろいろ複雑な気持ちであるのは間違いないだろうが、私が彼にできるのは頭を撫でて、その手で涙を拭ってやることだけだった。
すると真夏がその様子を見て、私の名前を呼ぶ。
「真中」
「……なに?」
お互い睨み合って、誰がお互いの好きな人を慰めるかで揉めはじめた。だが真夏は琳音くんが声を殺して泣いている様を見て、何か思い当たる節があったようだ。
「お前に任せるわ」
そう言ってすぐ部屋を出て行った。すぐそのドアから何かがぶつかって崩れ落ちる真夏の様子が見て取れた。男は涙を流してはいけない。きっとそう教えられて育っただろうに、それでも真夏には感情が決壊するほどの何かがあるのだ。
「あーあ、真夏さんも琳音くんも……。ごめんね真中。こんなこと話しちゃって」
沙羅から謝罪の言葉を聞いた琳音くん。ゆっくりとその身を起こして私から離れて、顔から出るものを出して沙羅の両手を握りしめた。
「そんなことない……。ありがとう、ずっとどこにいるか分からなかったから……。俺、嬉しくてこんな顔になっちまったぜ……」
「私の話が琳音くんの心の安寧になれたならよかった」
さあ、ライブがあと一時間で始まるわ。早くお洒落して公園に行きましょ。そう沙羅が言いながら琳音くんの背中をさすると、彼はうん、うんとうなずいて、ベッドの上に座った。
髪型は沙羅が一つの三つ編みに結って、結ぶ紐に小さな青いリボンでまとめてやった。その上に造花の冠を被せて、鏡にその姿を写した。
「……これが俺?」
「うん。琳音くんだよ」
いつもとお洒落の系統が違うからか、変化した自分に困惑しつつも琳音くんは鏡越しの自分を見つめて、モデルみたいなポーズをとっている。
「化粧はしていく?」
「いいよ。小学校時代の知り合いに会いにいくって思ったら、化粧しない方が気付いてもらえるしな」
そう微笑む琳音くんは涙の跡がすっかり赤い。私はその効果もあってか、目元に赤いアイシャドーで飾った姿に見えて思わずキュンときてしまった。
「……かわいい」
思わず心の言葉を漏らすと、琳音くんが微笑んでグッドのジェスチャーをして私に笑いかけた。
「……だろ?」
「じゃあ、真夏に見せにいかないとね」
「ああ」
そう言って琳音くんは、部屋の外で崩れ落ちたままの真夏を迎えに行った。そして、そのまま私は反応を見守る。
いつもと違う雰囲気の琳音くんを見て、真夏は部屋に戻っていつもの元気がいい口調に戻って自分の恋人を褒めちぎっていた。
「琳音、お前はやっぱり可愛いよ。さすが母がヤーパン・フリッカンだったことだけはあるな」
「えへへ……。やっぱり顔は母さんによく似てるって言われたからな。美人コンテストの日本代表の血を受け継いで、本当によかった」
「なに自慢風に言ってんだよ」
「お前が言い出したことだろ」
「そういや、そうだったな」
「あはは」
琳音くんは心の底から嬉しそうな表情をして、自分の恋人との会話に夢中になる。真夏もまんざらでない顔をして、喜んだ様子でセボリーニャをふたりで乾杯して飲み出した。
「ちょっと琳音くん、真夏さん! 今日はライブに行くんだから、乾杯は後でにして! ライブを見ながらでもいいでしょ?」
「ああ、そうだな」
真夏と琳音くんはセボリーニャの蓋を閉めると、各々の鞄にセボリーニャを入れてライブに行く準備を整えた。
「このライブって金取られんの?」
「いや、公園でのライブはタダですよ。だから私もここに来たんです」
「それにしても沙羅ちゃんはお洒落しないで制服のままなんだな」
「いやあ、地元住民しか無料になりませんから……」
ライブの運営側もちゃっかりしているなあ。私は上の空でそう思いながら、レッテ向けのアイドルファンがどう応援するかが分からないというのもあるのだろうと考えた。沙羅は決して口にしないが、どうしてもレッテと健常者の間にはそういった軋轢を感じてしまう。
夜が近づいてきた。日も暗くなってレッテの琳音くんにとっては、レインコートを羽織るか否かの微妙な決めどきだ。
「琳音くん、レインコートは?」
私が聞くと、琳音くんは微妙な顔をして私に答えた。
「使わねえよ。もう夜だし」
まあそうか。玄関で各々靴を履いて外へ出る。また公園に行く為に坂を登って、下って、階段を上って下りて、十分ほど歩く……。そう考えると体力のない私は正直辟易した。だが琳音くんは地元に来る元友人に会いに行くような感覚で公園に向かう。
関西と東北は遠い。それに長い年月もあるから、私は嬉しそうな琳音くんに合わせて家のドアを開けた。外へ出ると夜にも関わらず、モワッとした暑い空気が私たちを襲う。真夏は暑いと言いながら嫌そうな顔をしている。
「あっ、あつっ……。やっぱり今日は熱帯夜だわ」
そう笑いながら、坂を登って階段を降りる間に琳音くんとケントの昔話を、私たちは聞いていた。きっかけはそもそも沙羅だ。
「ねえ、琳音くんってケントと何か思い出ってないの? 同室だったんでしょ?」
「うーん、あいつとは……」
琳音くんはしばらく口に出かかった言葉を喉元で押さえて、それからすぐ赤い顔をして言った。
「……傷を付け合う関係だったんだ」
「えっ?」
私も沙羅も真夏も驚きのあまり、思わず心の声を漏らして固まった。道はスリー・コインズを見に行こうとするレッテや人間のファンでいっぱいだ。そんな中、私たちを携帯で写真に収めるものもいる。
「ほら、ケントの顔に傷の跡があんだろ? あれ、俺の左目がかっこいいって言ったあいつが俺に無理矢理カッターでつけさせた傷なんだ」
「おい。お前には心がないのか?」
「いや。圧のある先輩だったから断れなくて、つい。もちろんこの後怒られたよ」
白状するように打ち明ける琳音くんに、沙羅はどこか興奮したような様子で語りかけた。
「じゃあケントの傷は琳音くんが付けたのね! 私、琳音くんのことが気に入ったわ。ケントの顔に傷をつけてくれてありがとう!」
すると、周りのファンたちが私たちを見つめて、その一部は動画を撮ったりスマホに何かを打ち込んでいる。その中身はすぐ分かった。ピコン。そう鳴ったスマホを開くと、「ケントの傷は琳音かあ。この野郎」といったクソリプが私の元に送られてきていた。
「……何してんの、真中」
心配そうに私を見つめる琳音くんに、私は慌ててなんでもないと返してそのままファンたちに混じって公園まで向かった。
藤峰公園の入り口に入ると、コンサートの担当者がチケットをファンからもぎ取って入場整理していた。レッテだけを対象としたコンサートの割には健常者のファンの多さに驚かされる。
これなら沙羅も浮くことはないだろうと安心して、私は真夏と沙羅の情報を担当者に嘘をついて大声で言った。
「峯浦市民です」
「お通りください」
それを見たファンたちの羨ましそうな顔を見ながら、コンサート会場まで進むのはとても胸がスッとする。
「ありがとう、真中」
「いいの。知り合いもやってるから」
そんな会話をしながら葉桜の彩る緑の空道を進むと、あっという間にコンサート会場についた。会場の近くでは公式がグッズやたこ焼き、セボリーニャなどを販売していて、その販売所にはファンが行列を作っていた。
「まるでジャニーズのコンサートみたい……」
「何言ってんの? スリー・コインズはジャニーズ並みに人気なんだよ。最近健常者にもエムネを始める人たちが増えてるの。茶道部の三年生は六人いるけど、そのうち三人が始めたんだって」
「へえ……」
遠い目で眺めた沙羅はキラキラした瞳をしていた。それはそうだよな。あと三十分で推しが目の前に現れるのだから。
ちょうどその時、スタッフのTシャツを着た男が琳音くんに声をかけてきた。何が起きたのかと思って見ると、ケントが琳音くんがいたら探すようにスタッフに命令していたそうだ。
もちろん琳音くんは嬉しそうな顔をして、真夏と一緒にスタッフに連れられて行った。ケントの方も琳音くんを思っている。
そう考えるだけで嬉しくなって、私は小学校卒業と同時に切り捨てた友人のことを思っていた。果たして元気にしているだろうか。そう思いながら、アナウンスがコンサートの始まりを告げる。
「まもなく、コンサートが開始します。お客様は譲り合いながら、コンサートをご覧ください……」
それからすぐ、ギターの大きな音声が響き渡り、それに気づいたファンたちがキャーと嬌声を上げて右腕を突き上げて拳を作った。
おいおい、ワンピースかよ。そうツッコミながらも、沙羅もそれをしているあたりどうやら、それがファンであることの証である行為だと気づく。
私はファンではない、ただの地元住民なのでセボリーニャの辛さに苦戦しながら、姿を現したケントたちを見ていた。
「おいおいおい? 藤峰のみんなはオレたちに忠実だなあ? 一人を除いて」
赤髪のケントが私をじっと見つめると、指さして叫んだ。
「おい、そこの三つ編み。ちょっとこっちに来い」
私はやってきたスタッフに連れて行かれ、コンサート会場に立った。よく見るとケントの顔、ハムスターみたいで可愛い。端正な顔に傷のある男性。やっぱり好きだ。するとケントは私の顔を見るや否や、耳元でささやいた。
「いつも琳音をありがとうな」
えっ? 頭の中にクエスチョンマークが湧く中でケントはステージ上の彼に戻って叫んだ。
「こいつはオレに忠実じゃねえ。忠実になるまでステージの上だ。いいか?」
すると、ファンの一部がステージの上に上がり込んで叫んだ。
「こいつ、千代真中は琳音の仲間だぞ! それでいいのか、お前ら!」
すると、彼女は私の腕を組んでケントと一緒に歌を歌い出した。熱帯夜のせいか、汗が噴き出て流れ落ちる。それなのに彼女からはいい匂いの汗が流れる。不思議で仕方なかった。
コンサートは始まったばかりだ。いつもは静かな藤峰公園もファンたちの熱気がすごくて武道館のように感じられる。私は彼らの人気の凄さに驚きながらも、つられて口パクで歌を歌うのだった。
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