第32話 ライブ前の夕方

「夏休みは夜遊びにふけないよう、気を付けましょう……」


 暑い熱気が広い講堂中を包み込んでいる。築四十年ほどの建物とはいえ、暖房は完備してあるのに冷房がないのはおかしい。そんなことを汗で匂った生徒たちの中で思っていると、隣の沙羅が私の肩を叩いて聞いてきた。


「真中ちゃん、夏休みは何をするの?」


 私もレッテの生活を見てみたいの。そう口にした彼女は、やはりスリー・コインズに取り憑かれている。推しはリーダーのケントだという。私は彼女に言ってやりたかった。ケントは私の好きな人を貶した。だから、ケントは苦手だと。


「んー、夏休みは琳音くんのところに行くよ。恋敵がいるからね……」


 私がニヤけて答えると、沙羅はポケットからスマホを取り出すと、待ち受け画面にしているケントの写真を見せて赤い顔をして言った。


「あのね、夏休みはケントが藤峰に来るって言うから泊めてね!」


「えっ、ケントが? つーかスリー・コインズが?」


 沙羅は恋する乙女のように赤い頬を両手で押さえて微笑む。控えがちにした瞳はどこか古い少女雑誌に出てきそうな少女のようだ。


「ケントって琳音くんと同じ施設出身だって聞いたよ? 何か琳音くんから聞いてない?」


「私は何も聞いてないよ。いつも琳音くんは真夏か柚木先生のことばかりだもん」


 すると沙羅のいぶかしげな顔が私に向けられて、彼女の口から言葉が吐かれる。その言葉は、私にとっては驚きの事実だった。


「琳音くんってケントくんと同じ部屋だったんだって!」


「……へえ」


 それからは私も閉口して、何も言えないまま終業式を終えた。とりあえず、最近藤峰が熱い。熱いし暑い。


 今まで外側にいた私は雨の日、ずぶ濡れになってレッテ社会の内側へ無理矢理入り込んだ。それからは暴漢から好きな人を助け、好きな人のために高校の先輩に映画の試演をさせ、彼女のパソコンが乗っ取られて動画が流出した。その上で琳音くんは動画を見た知らない奴らに犯され殴られ、顔がボコボコの状態で真夏への想いを動画にしたためた。


 その動画のおかげで四年間会えずじまいだったふたりは再会し、風俗嬢の営むレストランでプロポーズする有様だ。動画にしたらレッテでなくてもバズっただろうに。もったいないことをしたと、今更ながら後悔させられる。


 それで今度はレッテ社会のアイドルが藤峰でコンサートを開くという……。舞台はもちろん夜の藤峰公園だ。一般人の私から見てもあの三人、特にケントは端正な顔には額から口元にかけて、大きな傷跡が見えている。

 その傷跡も厨二病の心を刺激させる。きっと沙羅は顔に傷のある男が好きなのだろう。そう確信させられる出来事だった。


「……ってなんで付いてきてんの?」


「いいじゃん! 琳音くんたちには何か言っておいてよ!」


 はあ。思わず私は自分の心からついたため息に驚かされる。よっぽど大きなため息だったようで、隣に座る沙羅にも聞こえたようだ。


「…………」


「…………」


 お互い気まずい雰囲気になりながらも、藤峰駅で降りて駅員に沙羅が仙台からの運賃を支払う。


「suicaが使えないのね、ここ」


 そうグチグチ言いながらも、彼女の瞳に吸い込まれるのは藤峰公園の蒼い樹々、中腹の遊び場と廃線跡に出来た大きな駐車場。


 沙羅は初めて見る田舎の光景に目を奪われながら、スマホにその風景を収める。パシャリ。カメラ音が鳴って、そこで初めて気がついた。


「真中! 待ってたんだぞ」


 待合室からホームに出てきた赤いレインコートの少年。彼は長い髪をお団子にして、今日は中華風のドレスを着ている。


「琳音くん、紹介するね。友達の沙羅」


「ああああ……!」


 沙羅が何か可愛いものを見るような顔でじっと琳音くんを見つめている。キララン、とかシャララン、といった効果音が私の脳内で流れた。琳音くんの冷たい視線がどこか怖いのだけど、今は気にしない。


「琳音くん、エムネで見たけどこんなに可愛いなんて……!」


「俺が可愛い? ……そ、そうかな」


 照れながら自分の頭を撫でる琳音くんもなかなかのナルシストだ。私は琳音くんの手を引いてそのまま外へ出る。


 外は何もない、寂れたカラオケスナック、客を待つタクシー運転手のおじさん、古い建物に入ったまどか産婦人科。いつもの寂れた田舎町の光景に光がさす。その光を遮るように、琳音くんは腕で目元を隠して坂を登る。


「琳音くん! 待ってよ!」


「えー、いやだ!」


 走りながら坂を登っていく琳音くんに、私たち女子は体力的についていけない。そんな状況下で彼を汗だくになって、私は焼けた肌で追いかける。坂を登り切ると田んぼや住宅街へ入る奥道だ。


 その道を入るとすぐ市営住宅が六軒並んだ土地がある。駅側から二軒目が播磨さん宅、真夏がいま下宿しているところだ。


「おお! ここに真夏くんと同棲しているのね!」


 大声で感嘆の声を上げる沙羅に、私は声がでかいと注意する。それから琳音くんがピンポンとベルを鳴らせば、真夏がシャツにジャージ姿で応対した。


「加藤真夏くんだよね? 初めまして、私は堤沙羅つつみさらといいます。エムネで真夏くんのことを知りました……。カッコいいですね、ジャニーズみたい」


 両手で握手されて、タジタジの真夏。琳音くんが沙羅を睨みつける。一つの視線に集中するその視線が冷たくて、あるいはどこか嫉妬を帯びたものだと分かるから尚更キツい。


 そんな様子の琳音くんを見向きもせず、沙羅は頬を赤くして笑う真夏と一緒に写真を撮っている。


「それどうすんの?」


「後でエムネに載せます。きっとバズるんだろうなあ」


「エムネ、ね。エムネね……。ああ……」


 顔から笑みが消えた真夏を見て、沙羅は楽しそうに言った。


「きっと素敵なライブになるわ。楽しみぃ……」


 沙羅以外、玄関前で笑みを浮かべるものは誰もいなかった。果たして琳音くんは、ケントを目の前で見て不安にならないか。私はそればかりが気になって仕方がなかった。

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