第31話 不味い朝食とビデオレター

翌日、私が目を覚ましてスマホの中身をチェックする。中学入学祝いに峯浦の弘おじさんからもらったベッドは充電器をさせるプラグもあって中々いい。白を基調とした女の子らしいデザインのベッド。私は気に入っている。


 スマホも無理を言ってiPhoneを買ってもらった。学校の成績が三〇位以内だった記念に、母親に無理矢理買ってもらった。そこに安いレーザーの手帳型ケースに仕舞い込んで、画面で何をみているか分からないようにしている。


 スマホを開くとアレックス監督から何か送られてきていた。どうやらビデオメッセージらしい。いつも彼女はビデオメッセージを送りつけてくるが、今度は一体何を撮ったのだろう。


 ラインを開くと、十分は余裕で超えるビデオのようで、始発で電車に乗らないといけない私は電車で見ることにした。


 急いで制服を着て一階へ降りると、台所で母親が色々やっている。弁当は机の片隅に置いてあって、もう完成しているようだ。


「間に合わなかったら藤峰まで乗せてあげるから、食べなさい」


 そう言われて出されたご飯はのりご飯と、昨日食べたエノキの味噌汁。こう言ってはアレだが母親の作る料理はとんでもないが食べられたものでない。私はそれを無理に作った笑顔で食べ、のりご飯の美味しさに舌鼓を打つのだ。


「真中、美味しい?」


「美味しいよ、母さん」


 不味いと言ったら母は当然怒るだろう。そうなると車の中で激怒の演説大会が始まる。何というか、ヒトラーのような演説が待っている。


「本当に美味しい?」


 どうしよう、母親の視線が辛い。一直線の光がさす方向にあるのは、私のまだ幼いふたつの瞳。いくら肉親だからといって、母に本音を吐きたくはない。ああ、でもヒトラーは嫌だ。色々考えているうちに、涙が出てきて私はとうとう泣き出してしまった。


「美味しいです……。泣くくらいに」


 泣きながら嘘をつくと母が笑顔になって、嬉しそうに言った。


「あら、ほんと? 娘においしいって言ってもらうのが夢だったの。それが叶ったわ。ありがとう、真中」


「うう……(不味いよ……)」


 私は母に泣きながら話を合わせ、ご飯を食べ終えると涙目で洗面所に向かい、急いで顔を洗い、歯を磨く。歯はできるだけいっぱい磨いた。母親の不味い食事の跡が残らないように、歯磨き粉のミント味で歯や舌をはじめとした口内を綺麗にしようと必死だ。


 力を入れて五分くらい経っただろうか。私は急いで吐いて口をすすいだ。スマホで時計を確認するとまだ五時五十分だった。


 まだ時間がある。私は二階へ上がって自分の部屋でラインの動画を開く。すると、画面が真っ暗になってそこから真夏と琳音くんと思しき顔が浮かび上がる。彼らは自転車に乗って、アレックス監督の質問に答えている。


『これからどこへ行くの?』


『真中が教えてくれた南百合ユートピア公園ッス。地図を見ながらの自転車は無理なんでアレックス。道案内よろしく』


『分かったわ……。って、監督とお呼びになって』


『ああサーセン、監督』


 真夏と監督の会話にどこかクスリとしながらも、私は既に編集されたのだろう。琳音くんのインタビューも引き続き見てみる。


『夜の公園ってどんな感じだと思う?』


『それは……。自然がいっぱいなだけですよ、監督』


『実はもう私、例の公園に行ってきたの。きっと面白いから中身は秘密にするけどね』


『そうですか……』


 不安げな顔をしながらも、公園がどんなところが気になったのだろう。ソワソワする琳音くんが可愛らしくて私は思わずベッドの上ではしゃいだ。


 世の中にこんなに可愛い生き物がいるなんて、誰が想像できると思う? 私が雨の日、赤いレインコートからその顔を覗かなければみんなに見つかることはなかったのよ!


 自慢げに顔をニヤケさせて動画を眺めていると、琳音くんが真夏の自転車の後ろ部分に跨ってその時を待っている。真夏は電気が付くように自転車のライトをセットして運転席に跨る。


『なあ、これ無事に着けるんだよな?』


『私を信じなさい!』


『あ、ああ……』


 監督の圧に押されたのか、真夏はそれから何も言わずに播磨家を出発した。その様子を監督が車から撮影している。


 最初はきつい坂を登る。まずここで真夏のハアハア言う声が聞こえ、動画を見ている私も心配になってくる。きっと琳音くんもいるから、ギアが重くなっているのだろう。


『キツい……』


『頑張って、真夏』


『おうよ! ……ふう」


 坂を登りながら琳音くんを心配してか、時々後ろを振り返る真夏。その様子を見て、私は真夏がいかに琳音くんを大事にしているか思い知らされた。自転車を運転するのは私なのに。ずるい。そう思いながら動画を見続けた。


 坂を下ると藤峰公園が見える一本道に入る。琳音くんは真夏を心配する様子で真夏に聞いてくる。


『真夏、大丈夫?』


『大丈夫!』


『無理しないでね』


『ああ』


 そんなやり取りも分かれ道に突き当たると、右側に看板が見えて真夏にとっての絶望に変わる。


『南百合ユートピア公園 七キロ』


 その看板を見た時の真夏の絶望的な顔は、一生忘れられない。恋人と公園に行こうとしたらまさか七キロも自転車で走らなければならないのだから。恋人も後ろに添えて。


『これはキツいなあ……』


 さすがの真夏も頭を抱えた。だが、すぐ出発して右方向に舵を切った。真夜中の中、うっすらと木々が絶え間なく生えている田舎道を走る自転車は、運転手の吐息や呼吸とともに進んでいく。


「あっ……」


 琳音くんの声がビデオから聞こえてくる。彼は一体何を見つけ、見つめているのだろう。すると、ビデオ画面が琳音くんの視点であろう葉の織りなす空の道を映し出した。闇の中、濃い緑色をしたそれらは一枚一枚が紺色の空を隠して、どこか闇の混ざった緑色の道を宙に描き出した。


『緑色だ。綺麗だなあ……』


『えっ、今なんだって?』


 ビデオの映し出す視点が琳音くんに戻った。ここで一度カットが入り、まるで本物のドキュメンタリーのように鮮やかな映像で彼の艶やかさや美貌を、カメラ越しに披露したのだ。


『何でもない』


 そう真夏にささやく琳音くんはひたすらに可愛らしい。いじけた可愛らしさというか。琳音くんの可愛らしさは艶やかさや大人のような美しさも含んで、七十二はあるのではないか。そう思わせるほどのロリータだ。


 いや、古い映画で言うなら『ベニスに死す』のタージオかな。和風ヴィスコンティの作り出すドキュメンタリーに花開いたビョルン・アンドレセン。いやあ、言い過ぎかもしれないけど、彼に惚れた私には少なくともそう映ってやまなかった。


 そしてその道を越えると見えてきた。オランダの風車を真似たオブジェの隣にあるのは二百メートルの長さを超える巨大滑り台。その降りたところの隣には草木で区切られた散歩道。そこからはボート競泳で使用される競泳場。

 この大きな公園がこんな田舎にあったのか。そんな驚きだろうか、琳音くんと真夏は「おお」と驚きの声を上げて公園を眺めていた。


『ここで遊んでみたいね』


『ああ。でもダメだ。封鎖されてる』


『ちぇっ。ケチンボ』


 そんな会話を聞いていると、幸せになれた琳音くんの姿が嬉しくて、私はいつの間にかさっきのように涙を流していた。だがそれは、悔しさも含んではいるが嬉し涙でもあったのだ。


 幸せになれる相手を見つけられてよかったね。私がそこに入れる余地は今のところないけれど、それでも幸せを見つけられてよかった。幸せになれてよかった。そんな気持ちでいっぱいだった。


 効果音もBGMもない十分だけのビデオ。編集しただけであろう十分のビデオレターに感動して、涙を流した私がそこにはいたのだった。

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