第30話 アイドルとネット・ミーム

「おおー! 真中ちゃんがまたバズってる!」


 陽のさす窓際で私が昼寝しようと体勢を整えていると、同級生の声が聞こえてくる。それからザワザワするクラスメイト。一体何が起きたのかと思って、私はなんとなく後ろを振り向いた。


「まなかぁ! またバズってるよ」


 私の眠たそうな顔に気付いて親友の沙羅がニヤケ顔をして、スマホを見せて来た。


「私さ、エムネを始めたんだ」


「なんでまた……?」


「レッテってカッコいい人多いんだね。最近レッテのアイドルを見て……。カッコよかったの!」


「それならTwitterでよくない?」


「でもね、その人ってエムネしかやってないみたいで。頑張ってアカウント作っちゃった」


 そう嬉しそうに笑う沙羅の胸元には、レッテ向けのアイドル雑誌が燦然と輝いている。レッテのアイドルといえば、レッテ専用のネット動画サイトがあって、そこを主な活躍場としている。そのサイトに入るためには会員登録と審査があって、一日ほど経ってやっと入会できるのだ。要は差別主義者や荒らしが入り込まないために置いてあるのだ。


「へえ、でもそういう人たちってRTunesとかそんなサイトでしか活動してないって聞くけど?」


「もう、真中はバカだなあ! 転載動画よ、転載動画!」


「へえ……」


 本来はレッテが自分たちだけで楽しむための動画や番組を一般の動画サイトに転載する奴がいるのか。


「転載動画だけじゃ足りなくなって、とうとう入っちゃった。RTunes。Netflixみたいな感じなのね」


「あ、ああ……」


 気まずい雰囲気になりながら、私は沙羅の話を聞いてやった。さて、それから琳音くんと真夏の過ごす部屋でそんな話をした。RTunesってどんなサイトなのか、あるいは沙羅が好きなアイドルグループ、スリー・コインズについて。


「ねえ、琳音くん。スリー・コインズって聞いたことある?」


 すると琳音くんは目を細めて逆に聞き返す。豆クッションにその身を預けながら物事を話すその有り様は、まるで気まぐれなお姫様のようだ。


「逆にどこでそんな奴らを聞いて来たんだよ?」


「同級生が最近ハマってるアイドルみたい」


 私たちの話に、真夏も乗って来て話に割り入ってきた。彼は音楽を聞いていたスマホのイヤホンを外してベッドにかなぐり捨てる。


「なあ、最近テレビにも出てきてるよなあ。アール・チューンズ、だっけ……。なんかKpopみたいな奴らだったけど」


「俺さ、RTunesって入ったことねえから」


 そう答えてスマホゲームをする琳音くん。脚をジタバタする後ろ姿がひたすら可愛い! 私はそんなことを思いながら、スリー・コインズに誰がいるか確認してみる。


「ケント。兵庫県芦屋市出身、十七歳のリーダー。サキ。大阪府大阪市都島区出身、小さな少女趣味の男の娘。アラ。大阪府茨木市出身、彼がエムネで呼び掛けたことで結成されたのがスリー・コインズだ! ……だって」


「ケント、ケントかあ……。もしかしてひかりの家で一緒だった子かなぁ。懐かしい……」


「琳音くんと同じ孤児院の出身なの? この人」


「同じ名前で似た格好の奴を知ってるぞ」


 琳音くんが私の床に広げた雑誌を見て何気なく言う。その顔はどこか疲れたような様子だ。


「アイツは里親に引き取られていったからな。元気にしてるといいが……」


 起き上がって遠い目で窓を眺める琳音くん。ケントと何かあったのか? 琳音くんはKUNGARの幹部だった男の子供だとは言うが、人気風俗嬢の美雨さん、そしてこのアイドルのケント。本当に顔が広いと言うか、なんというか。レッテ社会というのはなんでこんなに狭いのだろう?


「ねえねえ、こんな動画があるよ。スリー・コインズのケント、かつての同級生『琳音くん』について語る! ってやつ」


「へえ……。再生してみろよ」


 そう言われてYoutubeの動画をタップする。すると、そこには色が白くて切れ長の瞳をしたアイドルがインタビューを受けていた。脚を組んで、ずいぶんとリラックスした様子の彼は笑顔で新曲が配信されるから、ぜひ聴いてねと笑って宣伝している。レッテのアイドルは基本CDではなく、配信サイトで曲を配信してしているのだ。


「ねえ、ケントって孤児院出身だって聞いたけど本当?」


「ああ。ひかりの家って施設で生まれ育ってさ、十二歳になって今の親に引き取られたんだ」


 自分の重い過去をいかにも普通に語るところがレッテらしさというか、なんというか……。レッテは産むときの痛みに耐えられずに亡くなるケースが多いという。


 その結果、生まれた子供を恨んで親権を放棄してしまう父も多いとか。養子や里親が多いのも、そしていかにも普通に語られるのもそのせいだろう。


「何か孤児院にいた時の話をしてよ」


「そうだなあ。琳音って奴が孤児院にいたんだけどよお、いっつも柚木先生って担任に引っ付いてトイレでよく会話してたのを見てたぜ。何してたんだろうな、あいつら。まあ、その年の秋に柚木先生は琳音を誘拐したんだけどな……」


「……貴重な証言、ありがとう」


 これにはさすがにインタビュアーも閉口せざるを得ないか。どうやら琳音くんは一種のミームになっているようで、レッテの中では琳音くんを使った冗談も当たり前に使うし、彼の過去をいじったネタもRTunesでは芸人がよくしているという。


「やっぱりケントかあ、里親に引き取られたんだね。よかった」


 動画を見終えた琳音くんが顔を上げて、目に溜めた涙を拭ってRTunes関係の動画のページを消した。


「あーあ、やっぱり俺はネットのおもちゃですか。そうですか」


「でもケントだって、本当は琳音くんのことを懐かしんでるかもしれないよ? あれはミームじゃないと思うよ」


「でも先生は……。ペドのままだぞ! あいつらの中でそんな風に先生を記憶に留めておきたくねえよ……」


 立ち上がってそのまま崩れ落ちて泣く琳音くんに、私はどう慰めればいいかわからないまま話しかけた。


「日常動画を撮るの、再会してみたら? その中で先生についても話そうよ」


「甘いことを言うな、お前は!」


 あーあ、琳音くんがとうとう泣き崩れてしまった。体を埋めて泣くその姿に悲しみを覚えて、私は真夏に慰めるように促す。


「ほら、真夏。あんた彼氏でしょ!」


「でもよ、ちょっとこれはやっぱり……」


 だが、それから黙り込んでしばらくすると、真夏は琳音くんのもとへ近寄って頭を撫でながら優しくなだめた。


「俺も頑張るから。お前も一緒に頑張ってさ。……先生のことを少しでもいい。話してみないか?」


「どうせストックホルム症候群だと言われて終わりだよ」


「それでも何度だって主張してやれ。柚木先生はお前にとっての何だったんだよ?」


「……希望……。今でもいつか会えると信じて、それだけを頼りに生きてきた存在……」


「だろ? なら先生を救ってやるような気持ちで主張してやれ。いいか、これからはお前がどうするか決めるんだ。投げ出したいならそうしてもいい。ただ、責任は持てよ?」


「……うん」


 琳音くんが涙を拭いて立ち上がった。真夏の手を借りて立ち上がるその姿に、私はずっと恋では真夏に負けっぱなしだったことを改めて思い知らされる。それでも、私はネットのおもちゃにされている琳音くんを助けたい。守りたい。


 琳音くんを抱き上げてベッドに横たえた真夏。彼の目は優しくて、私にはできない瞳をしていた。泣き出す琳音くんに、真夏は頭を撫でて優しい声で慰める。


「こわいよ……」


「そうだよな。俺も怖いよ。でもな、レッテ社会でお前がどんな扱いを受けているか、まずは知るべきじゃないかなあ?」


「それはもうネット動画でたくさんみた! 名言集とかっていって色々動画があげられてたっつの!」


「そうか……。じゃあどうしよう。もう一度外へ出て、レッテがいっぱいいるこの町でその顔を出してみたらどうだ?」


「…………」


 黙り込む琳音くんはそのまま布団をかぶって自分の顔を隠す。その布団を引き剥がすように真夏は琳音くんと目を合わせた。


「ほら、決めたんなら逃げない」


「……はい」


「よしっ、これでやることは決まりだな!」


 真夏が手を叩くと、琳音くんは恥ずかしそうな顔をして私の方をじっとみる。何か言いたいことがあるのかと思って、私が琳音くんのもとへ近づくと彼は私に耳打ちした。


「もっと美雨さんのお店に顔出したほうがいいのかな……?」


「そうしてみたら? あるいは真夏と公園に行ってみるとか」


「公園?」


「ここから十キロくらい自転車で走るとあるんだよ……。違う町になるけどね」


「へえ……」


 それから考え込む琳音くん。もしかして、自転車に乗れないのだろうか?


「自転車に乗れないの?」


 図星を突かれたような顔をする琳音くん。私はそのままここが田舎だからと言って、こんな提案をしてみた。


「今度さ、真夏と行ってきたら?」


「でも遠いよ?」


「そこは二人乗りでしょ。琳音くんだって青姦したんだからそのくらいできるでしょ?」


「ま、まあ……」


 それから夕陽をカーテン越しに見る琳音くんが、私に笑いかける。そろそろいいだろう。元気になっただろう。そう思った私はそのまま琳音くんの額にキスして帰りの言葉を言う。


「もう帰るね、おやすみ。いい夜を」


「真中もいい夜を……。バイバイ」


 それから真夏の声が後ろから聞こえたが、またあの日のように私は彼の話すことを無視してドアを閉じた。

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