第29話 サプライズのあとで

 ちょうどその時、ノックする音が鳴った。私たちは思わず体を固くしてドアの方をじっと見やる。真夏日が近づいてきたせいだろうか。私は冷や汗をかいて背中に冷たいものを感じる。琳音くんや真夏も黙り込んで、特に琳音くんは両手で口を覆って目を丸くしている。


 さっきのプロポーズとは違うドキドキ感に、私は困惑しつつもドアをじっと見つめ続けた。すると。


「ご注文の品をお持ちしました」


 その言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろして椅子にへたり込む琳音くんが安堵した表情で真夏のくれた指輪を眺めていた。


「あら琳音くん。何かいいことでもあった?」


 注文の品を持ってきたメイド服のお姉さんが、どこか不思議そうな顔で琳音くんを見つめている。琳音くんは赤い頬をさらに赤く染めて、お姉さんから目を背けて真夏に視線を注いだ。


「真夏くんと何かいいことがあったのね」


 そう微笑みながら言う彼女は、私も出会いが欲しいわと羨ましそうにふたりを見つめている。


「さっき真夏が琳音くんにプロポーズしたんですよ! 私は真夏の恋敵なのに、思わず言っちゃいました。おめでとうって」


「あら、それはおめでたいわね! オーナーに言って何かサプライズを用意しなきゃ!」


 注文の品を私たちの席に運び終えたお姉さんは、どこか嬉しそうな顔をしてその場を去ろうとした。琳音くんと真夏には、私たちの会話は全く聞こえていなかったようで、漆喰で塗られたドアが閉まると真夏が私に聞いてきた。


「なあ真中。お前さ、メイドの姉ちゃんと何話してたんだ?」


「言ったほうがいい?」


 私がいやらしい顔で真夏に視線を送ると、彼はどこか疲れたような表情をして私に本音を吐いた。真夏は頭を抱えて、顔色もどこかよろしくない。


「いやあ、いつかプロポーズしたくてずっとポケットに指輪を入れてたけど、まさかこんな店でするなんて思いもしなかったよ……」


「じゃあしなくてよかったんじゃない?」


「あのなあ、真中……。俺は四年前の琳音を知ってるんだ。お前と違ってな。あの修羅場でサプライズしたほうが、嬉しさも喜びも急展開でなかなか盛り上がるんじゃないかと思ってよ……」


「ふうん。逆に私は驚きが勝ったけどね……」


 すると私と真夏の会話に気づいた様子の琳音くんが、私にプロポーズの感想を言ってきた。どこか困惑しつつも、嬉しそうなその様子に私も思わず笑みがこぼれそうになった。


「あのプロポーズ、最初は何が起きたかわからなかったけどさ、別れを告げられるんだと思ってたから余計嬉しく思えちまって……! 真夏ってここまで腹を決めて行動できるんだなって。俺、思わず感動しちゃったよ」


 涙が一筋琳音くんの右目からこぼれ落ちた。すっと落ちていく涙の粒を見て、私は内心嬉しく思った。出会った日、あんなに悲しみで泣いていた琳音くんが今は喜びの涙を流している。それが嬉しくて、思わず私も涙をこぼしてしまいそうになった。


「お前も泣きやがって。悔しかったんだな」


 私の涙に気づいた真夏にそう言われても、全然悔しくなかった。不思議と、むしろ祝福したい気持ちでいっぱいだった。心の底では失恋したことへの悔しさもあるのだろうけど、今はもう琳音くんと真夏がふたりで生きていくことを決めて、道を決められて良かったという気持ちでいっぱいだ。


 それからノック音がドアから聞こえてきて、はいと応えると今度はメイド服のお姉さんではなく美雨さんが現れて、後ろに引き連れたメイド達がイギリス式の紅茶セットを運んできた。お菓子にはマカロンもあって美味しそうだ。


「琳音くん、プロポーズされたんだって? 今日は私の奢りでサプライズよ。……三人だけ、いや私も入れて四人で色々お話ししましょ?」


「え……」


 パンケーキを切って食べかけている琳音くんの口からパンケーキの破片が皿に落ちる。私たちは目を丸くして、内心美雨さんのする行動に引きながらも、他に祝ってくれる人がいることを嬉しく思った。


「美雨さん、どこでそのことを……?」


 琳音くんが目を丸くして、紅茶セットを指さしている。するとその琳音くんの表情を見てニヤけた彼女が私の方を向いた。


「詳しくは真中ちゃんに聞いて」


 途端琳音くんの鋭い眼光が私の方を向いて、彼がこのサプライズの理由を聞き出す。さっき口から落としたパンケーキを今度はまた口にして、彼は聞いてきた。


「何で美雨さんがプロポーズを知ってるんだよ?」


「ああ……。それはね、さっきの嬉しそうな琳音くんの顔を見て聞いてきたの。琳音くん嬉しそうだねって。それで真夏にプロポーズされたことを教えたら、そのメイドさん、その話だけ聞いて部屋から消えちゃったの」


「ああ、ゆきみちゃん……。勝手にだったのね」


「でもこのサプライズは嬉しいです。ありがとうございます」


 琳音くんが美雨さんに向かってお辞儀をして、お礼を述べる。まさかいつもお世話になっているレストランでプロポーズされた上に、お店からサプライズされるとは思ってもいなかっただろう。


「あっ、いいのよ! 私ももうすぐで結婚するから。まさか琳音くんまでプロポーズされるなんて、ビックリだわ」


 美雨さんは頬を赤く染めて、身振り手振りで自分の未来を友人である琳音くんに告げている。それにしても結婚かあ。エムネにはきっと書いていないんだろうな。


「結婚するんですね、美雨さん。きっとエムネでつぶやいたら炎上しますね。男達が嫉妬して」


「そうね、まだ発表する日をいつにするか決めてないのよ。どうしようかしらね?」


「で、今日のエムネのネタですが、このサプライズにしませんか? この店は未成年も来れますよって健全さもアピールできますよ」


「元からそのつもりよ」


 私と美雨さんは琳音くんの方を向いて、しっかりその様子を見ようとじっと見つめる。すると、琳音くんは珍しく頬を赤くして笑って言った。


「エムネですよね。お店のアカウントならいいですよ」


「えっ、いいのかよ琳音ェ……。お前SNS苦手だったはずじゃねえか」


「美雨さんだし、ここまでしてもらったから仕方ないね」


「お、おう……」


 真夏も「仕方ない」と言った様子で椅子にへたり込んでいる。まあ、さすがにサプライズでここまでやってもらうなら仕方ないか。そう言った様子だ。


「おめでとう。琳音くん、真夏くん。ふたりの門出を祝ってかんぱーい!」


 ワイングラスに注がれた炭酸ジュースを口にすると、玉ねぎそのものの辛さが爽やかな炭酸のプチプチと消えていく泡と共に口内へ広がっていく。私はその辛さに一瞬吐きそうになったが何とか必死に一口を飲み干して、乾杯した。


「琳音くん、おめでとう。悔しいけど……、私……」


 琳音くんに涙を流しながら祝福の言葉を何度も繰り返す私。選ばれたのが恋敵なのは残念だけど、向こうは四年も思い続けていたんだもの。私は選ばれなかっただけ。いつか二人が別れたら、選ばれる存在になってやる。


 内心でそう思いながら、私は隣に座る琳音くんを抱きしめた。ああ、温かい。その上細いのに柔らかくて首筋は特にハリがあって……。それに女の子である私に比べていい匂いがする。いいなあ。男の子なのに、女の子に勝る全てを持った琳音くん。私は琳音くんの隣で、今までのことを思いながら抱きしめてささやいた。


「いまも好きだから」


 すると琳音くんは顔を赤くして、途切れ途切れになって私に言った。


「ああ、ずっと好きで、いてくれ」


 その言葉の意味を理解できない私だったけど、しっかり言葉は受け取った。今度は私の上に真夏の腕が乗っかる形で真夏も琳音くんを抱きしめる。


「あの日出会ったのがお前でよかった……! ずっとそばにいてくれよ」


「もちろんだよ。真夏」


 琳音くんは真夏の頬にキスをする。そのキスを私にもしてほしいと思いながらも、私は黙り込んで琳音くんから腕を放した。


「じゃあ、写真撮るよお!」 


 美雨さんのよく通る声が私たちに視線を向けさせる。私たちはカメラに各々好きなポーズをして写真を撮った。それから美雨さんがカメラマン役になって、私と琳音くん、真夏の三人で写真を撮り、そのあと琳音くんと真夏でツーショットの写真を撮影した。

 紅茶セットをいただき、お茶をいただいたところで時刻が五時を過ぎていたので私たちは帰ろうとした。


「もう帰るの?」


「ええ。明日は学校なので」


「残念だなあ」


 美雨さんがどこか惜しそうな顔をして、寂しがる。この顔が男に受けたのだろうなと考えると、どこかシュールでならなかった。


「また会いましょう」 


「ええ、また来ます」


 私は琳音くんと真夏とともに階段を降りて店を出ようとする。すると、一階の客たちがなにやらザワザワとして騒がしい。よく聞くと、そこには琳音くんを罵倒する表現がたくさんあった。


「このホモ野郎! お前らのせいでめぐみちゃんに会えなかったじゃないか……」


「売女の息子のくせによくここに来られるなあ? 体を売ったからか?」


「テメェチンコしゃぶったからっていい気になってんじゃねえぞ!」


 罵倒する言葉の数々に琳音くんが心配になり、私は琳音くんの方を振り向く。すると琳音くんは無表情で、無機質な様子で黙りこんでいた。


 大丈夫? 私がそう静かに聞くと、彼が答えたのは「うん」の一言だけ。これは相当傷ついているなあ。私はそそくさと店のドアを開いて琳音くんと真夏を先に外へ出す。そして私は最後にドアを閉めた。


「琳音、大丈夫か?」


 恋人を憐むような気持ちが真夏の顔からよく出ている。私は真夏のことを心配しつつ、彼らに慰めの言葉をかけた。


「あそこの一階席の奴らはクズだから。私たちは選ばれたのよ。それを誇りにすると怖くないさ……」


「うん……」


 琳音くんは俯いて無表情のままだ。何かに打ちひしがれたような雰囲気を醸し出して、彼は寂しそうにしていたのだった。夕陽が赤い。血を吸ったように赤いこの夕陽に、私は琳音くんを守り抜くことを誓った。

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