第20話 愛しのあの人へ
いま好きな曲はハンナ・フェルムの『Brave』だ。特に歌詞の「私の頭はお化け屋敷」と言うところが本当にたまらない。
私も幼い頃から独り言を呟いては『電波ちゃん』や『天然ガイジ』などと言われてきたからか、歌詞に共感してしまうのだ。
他にはマーロウ・プリーツの『Left &Right』や『Ballerina』も好みだ。彼女もハンナと同じスウェーデン出身で、まだ十七歳なのだという。それでヨーロッパ歌合戦のスウェーデン代表を決める大会に出るのだから本当に天才だと思うのだ。
「おーい、まなかー?」
親友の沙羅が私のイヤホンを片方取ってチャイムの音を聞かせる。そろそろ先生が来るから。私は急いでスマホとイヤホンを鞄に仕舞い込んで授業を聞いた。でも気になってしまうのは、琳音くんにこれをどう伝えるかだ。
琳音くん、大丈夫かな。両親に怒られて監禁されていないかな。それとも藤峰のレッテたちに何かされていないかな。私は不安でそのまま午後の授業も不安で聞くことができなかった。
結局この日は夕方三時半に学校が終わった。私は教師たちのいない教室でラインを開く。するとそこには琳音くんからのヘルプがたくさん入っていた。
『助けて』『動画を見た奴らに犯された』『いま泣きそう』……エトセトラ。そんな危険な生活を送っている琳音くんに、私は返信する。
『大丈夫だった?! 怖かったよね、知らない人に犯されるって。あ、あと監督が琳音くんにしてほしいことがあるらしいから、公園のトイレに五時半に集合ね』
するとすぐ返信があった。
『分かった。慰めてくれてありがとう』
どうやら琳音くんは元気そうだ。もしかしたら元気ぶっているだけでまた生傷が増えているのだろうが、今は琳音くんが生きていればそれでいい。私は急いでバス停まで駆け込み、そのまま帰りの電車に乗って帰った。
電車の中でもやはり、動画を見ながらか私を指さして笑う高校生がいる。私はそんな彼らに向かって言ってやる。
「人を勝手に撮るな」と。すると彼らはさらに笑って動画を撮り続けようとする。
「よお人を悲しませる奴が言う言葉かよ」
「あれは頼まれたんだよ。予測だけで物事を語るな。ウジ虫、クソ野郎」
すると相手は半ばキレそうになりながらも、相方であろう人物に押さえ込まれて私に殴りかかるのを諦めた。
それから藤峰駅に着いて公園のトイレに駆け込むと、顔に殴られた跡がある琳音くんを見つけた。未だに涙を目にためて、どこか落ち着きがない様子だ。
「琳音くん、大丈夫?」
すると琳音くんは流れる涙を拭いながら「大丈夫」と何度も言う。明らかに顔の傷からして大丈夫じゃないんだけど……。
「早くトイレに入ろ! ねっ、怖くないから」
「……うん」
それから涙を流す琳音くんに、私はいつも備えているジャスミンティーを琳音くんに渡して飲ませようとする。ジャスミンティーを一口飲んで、それでも涙が止まらない彼に、私は何が起きたか聞いてみる。
「何かあった?」
「言わなくてもわかるだろ……。動画を見た奴らが俺を車で訪ねてきてドアを開けろとうるさいんだ。それで外へ出ようとしたら奴ら、俺の手を引いて外へ連れて行こうとするんだ……。必死の力で中には留まれたけど、奴ら、今度はそれにキレて俺を玄関で犯しやがった……。ペニスをしゃぶって、歯が当たるたびに殴られて、誰もいなかったから本当に怖かった。それで今度はコンドームをつけた状態で、慣らされないまま中に入れられて血が出たんだ……。腹の中で何か硬いものが蠢く感覚。本当に久しぶりだった……」
珍しく犯された内容を細かく話す琳音くんに、私はどこか悲しさを感じながら彼の包帯が新しいものに変わっていることに気がついた。
「琳音くん……」
「あ? なんだよ……」
「その、包帯変わったね」
すると彼は天を仰ぐように天井を眺め、自分のしたことを認めた。茶色に汚れた天井なのに、琳音くんが眺めているおかげでやけに神々しく見えるのは気のせいだろうか。
「ああ……。またやったよ……。こんな体、汚いからな」
その言葉に、私は気づかない間に反論していた。
「琳音くんは汚くないよ。汚いのは琳音くんを汚してきた奴らなの。だから自分を傷つけるようなことは言わないで」
ダメだ。思わず涙が出てしまう。私は涙を流しながら琳音くんを抱きしめる。その体は傷だらけで、血がやっと止まったばかりの箇所もある。痛かったね。辛かったね。怖かったね。今度は私が守るから。そんな言葉をひたすらかけて、彼に抱きしめ返される。
「真中……。俺はどうすればいいと思う……?」
「それは……。監督が教えてくれた。日々の日常動画を撮って、そこで昔あったことをさりげなく話したり、何をされたかを語ってみようって」
「それは……、なんか怖いな」
「犯されたばかりだもんね。じゃあ動画はやめようか」
「でも、伝えたいことがどうしてもあるんだ」
「じゃあ、その動画を撮ったら終わりにしようか」
「……うん」
幼い子供のようにうなずく琳音くんが可愛らしくて仕方がない。お互い泣き止んだ頃になって、私は自分のスマホを取り出して動画を撮り始める。
「琳音くん、傷だらけだね。それでも伝えたいことがあるんだ。カッコいいよ」
「ああ。ありがとうな。オホン! ……俺には大事な人がいます。その人には四年も会えないままだけど、今でもその人だけを恋人だと思ってなりません。その人はまだ幼くて、誘拐当時将来が不安で月を眺めていた俺のそばで笑って、『笑わないと前へ進めない』と教えてくれました。その笑顔はバカっぽくて、能天気な感じだったけど、当時の俺にとっては小さな神様が降りてきたような気分でした。それから毎日一緒に湖水浴場で落ち合うたびに遊んで、夜明け前に別れる日々を送っていました。でも……、それは十五日、八月十五日のことでした。突然チンピラが俺を襲って、その人は目の前で両手を縛られて……。俺の犯されるところを、リンチされるところを見せられたんです。次に意識を取り戻した時には、もう彼とは会える状況ではありませんでした……。真夏、もしこの動画を見ていたら、あなたは自分の過去の傷跡をえぐられたような気分になるでしょう。その時は僕を思い出して、頭の中でいっぱいぶってください。殴ってください。あの日まで言えなかったことを、今ここで言います。ありがとう。この言葉だけが言えなくて、ずっと悩んできました。それでは……、さようなら」
動画を撮り終えると、私はそれを写真アプリに保存した。琳音くんの顔を見ようとすると、彼は涙を流してずっと真夏と呼び続けている。
「真夏、真夏……」
「琳音くん、この動画はどうする?」
すると琳音くんは興奮して、私にどこかキレ気味に言った。
「もちろん公開するに決まってるだろ! 真中! 動画は公開だ! よろしくな!」
「あ……」
それから琳音くんがじゃあなとだけ言ってトイレから出て行った。トイレに残された私は無編集のまま動画を投稿した。
投稿作業を終えてトイレを出ると、もう夕焼けが濃くなっていて夜が近い時分となっていた。月がうっすらと見える。その中で、私は家へ向かって歩き出したのだった。
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