第17話 空の色と監督気取り
「で、それでどうする?」
「二人の好きな人が俺にはいて……。その話をさせてください」
「二人の好きな人? 二人いるの?」
「ええ、柚木先生と真夏という男の子……。柚木先生は不安で僕が泣いていると、抱きしめて一緒に眠ってくれました。その体温の温かさが今でも思い出せるくらい、大事な思い出です。真夏はとてもバカで、割合の計算もできないくらい。そのバカっぽい笑顔で俺の腕に抱きついて『泳ごう』って誘ってくれました。近江舞子の湖水浴場で出会ったので……」
ヤバい。琳音くんが涙声になっている。このまま映像を撮り続けるって、監督は鬼なのか? まあ、鬼だから続けられるんだろうな。そう自分を落ち着けようとしていると、私も気になる話を監督が聞き出す。
「恋をしたのはどっちなの?」
「まっ、真夏に決まってるじゃないですか! あいつは俺が苦しい時に心を癒してくれて、俺が湖水浴場に訳あって行けなくなると家までやってきて、血の涙を流した俺を抱きしめてくれたんですよ!」
「じゃあネットにある柚木先生ペドフィリア説は違うのね?」
「違います。むしろ先生は、俺が父から受けていた虐待から守ろうとしてくれた人ですよ。……俺が初めてその意味を知った時、悲しくなってその思いを打ち明けた時に受け入れてくれたのも先生だけでした」
「誘拐中、行為は一度もなかったのね?」
「ありませんでした。むしろ、どこで発散してたのか知りたいくらいでした」
珍しく琳音くんが涙声になりつつも、きちんと答えている。この事実に興奮しながら懐中電灯を照らし続けていると、ニヤリ。監督が悪魔のような笑顔を見せて琳音くんにトドメを刺す一言を言った。
「会いたい?」
「…………」
頑張って、琳音くん! これを耐えれば撮影はきっと終わるから。そう心の中で私がエールを送ると、琳音くんは重い口を開いた。
「……先生には俺のために人生を棒に振らせてしまったことを謝りたい。真夏にはまた会えたら抱きしめたい……成長したその体を抱きしめて、抱きしめられたい……」
とうとう決壊した感情を流し出すように泣き出した琳音くん。声を上げて「ごめんなさい」と天を仰ぐその姿は自分の犯した罪で天に許しを乞うた罪人のようだった。
「監督! いい加減にしてください!」
「拓也さん、電気をつけて」
付けられた電灯の下、立場上役割を終えた私は琳音くんを後ろから抱きしめて慰めた。私が監督を睨みつけると、彼女はやはりニタリと笑顔を見せてこう言い放った。
「いいものが撮れたわ。ありがとう、真中」
そう言い放って泣く琳音くんを見下ろすその姿はさながら悪魔のようだった。
「映画監督ってこんなことするんですか? 悪魔ですね」
「なんとでも言いなさい」
その私は気にしない、という態度が気に入らない。だが監督に撮影を頼み込んだのは私だ。私が琳音くんを泣かせてしまったのだ。その事実に気がついて、私も悲しくなったが今度は怒りの方が勝った。
「琳音くん、とりあえずジャスミンティーを飲んで。いったん落ち着こう」
思わず出た言葉に私は焦って琳音くんが飲んでいたジャスミンティーを差し出し、彼に渡した。すると琳音くんは一度飲んで落ち着き、たった一言こう放った。
「いい作品になることを祈ってます」
私の思うことと違うことを口にした琳音くんの覚悟は私が想像していたよりも大きかった。これから、琳音くんは監督に撮影をされて、世界中にその身を晒すのだ。やはりそれ相応の覚悟をしていた。
子供だったのは私のほうだ。私はなんだか悲しくなって、そのまま琳音くんを改めて抱きしめた。
*
「なあ、久しぶりに空が見たいな。どこかいいところはねえかな?」
監督を駅まで見送って、泣き止んだ琳音くんが最初に言い放った言葉がこれだった。夕焼けをバックに、赤いレインコートを羽織った琳音くんはやっぱりどこか異質だ。暑いだろうに。そう思いつつ、私は二人が初めて出会った公園を勧める。
「藤峰公園の坂を登るとね、ブランコがあるんだ。そこから空が見えるよ」
「そうか……」
琳音くんと私はさっそく駅の向こう側にある藤峰公園へ行くために、あの日瑠月と三人でカワシタから逃げた階段を登った。一段一段登ると、少しずつ足に負荷がかかって体力を消耗する。あの日の馬鹿力がいかに凄いものだったか実感する。
「ねえ琳音くん」
「なんだよ」
「怖くないの? ここ、あの日琳音くんと私と瑠月とでカワシタから逃げた階段だよ?」
すると琳音くんは少し黙り込んで、それからすぐ私の手を繋いで階段を駆けていく。琳音くんの手は夏なのに氷のように冷たく、まるで別世界の住民のようだ。
「ちょっ、速すぎるよ……」
「お前が鈍いだけだよ、真中」
「まあ、そうだけど……」
それから公園までは十分もかからなかった。初めて会った時に雨宿りしたトイレにも琳音くんは少しも見ないで、坂を登っていく。坂はやっぱり少しゆるいのだけど、十四歳の運動を怠けた体にはキツい。
「なんだよお前、そんなにゆっくり歩いて……」
「琳音くんの体力がすごいだけだよ……」
私がゼエゼエ言いながら反論すると、琳音くんは前を向く。私もつられて前を向くと、そこにはブランコがあった。
ブランコまで連れられて走っていく。そして二つあるブランコに二人で座って空を眺める。もうすっかり夕陽は落ちかけて、空が暗くなり始めていた。
「……今日の撮影、どうだった?」
すると琳音くんはたった一言、こう口にしながらブランコを揺らす。
「楽しかった」
「楽しかったって……、あんなに泣いてたじゃん」
「確かにいっぱい泣いたけどよお……。俺は自分の主張が世間に知られることを思うと楽しくてたまらなかった。それにあの監督のニヤけ顔。まるで映画のポスターに出てくるような悪魔だったぜ」
「ああ琳音くんもそう思ってたんだ……」
それからはお互い黙り込み、琳音くんはブランコに揺られて遊び、私はそれから顔を背けてうつむきながら琳音くんのことを考える。
誘拐事件が起きてもう五年近くになる。琳音くんは先生や真夏とは会えなくなって四年経つわけだけど、今まで苦しくなかったのだろうか。二人の話題になるたびに泣き出してしまうほど思っているなら、どうして行動の一つや二つ、起こさなかったのだろう。
「ねえ琳音くん」
思わず出た言葉に、私自身驚きながら本音を口にする。
「なんだよ真中」
「琳音くんってさ、先生と真夏の話題になるたびに泣いてきたじゃん。今まで行動に起こそうって思ったことはなかったの?」
「昔はそのために行動を起こそうとして、売春や翻訳をやったなあ……。どんなに稼いでも、あの親たちに稼いだお金は没収されたけど」
「……監督の映画で真夏が気付いてくれたらいいね」
「そうだな。あいつは俺に明日があることを教えてくれたからな。感謝してるんだ」
「明日?」
明日なんていつだって来るじゃん。そう私が聞くと、琳音くんは自分の思いを口にし出した。揺れるブランコを止めて、必死にその思いを伝えようとする姿勢に私は胸を裂かれるような思いだった。
「俺には明日が見えないんだ。今日が終わって時計が十二時になるたび、『ああ、また今日が来た』って思ってる。それが真夏と会えなくなってからずっと続いてるんだ。その積み重ねを数えて、今日まで来た」
「…………」
「ごめんよ、俺もまさかこんなことを言うなんて思いもしなかった」
薄暗い闇の中、うつむく琳音くんの顔はどこか寂しそうだった。私はそれでも微笑みで返して言ってやる。
「でも泣いてないね。成長したじゃん」
「それだけお前と一緒にいるってことだよ」
私をある程度受け入れてくれているんだ。そう思うと、監督のせいで曇っていた心はいつの間にか晴れて、夜が近いのに今までで一番青い空を見たような気分になる。涼しい風が心地よいのに、なぜか体が熱い。
「おっ、見ろよ真中。空が暗くなっていくぜ!」
元気を取り戻した琳音くんは無邪気な様子で私に目を細めて笑いかけた。
「そうだね。この空は、琳音くんには何色に見える?」
「変な質問だなあ。うーん、でもそうだなあ。蒼くて、暗くて、不安にさせてくる色だな。まるで真夏に出会う前、湖水浴場でみた夜の色だ」
「へえ……」
「でも明るい未来が必ずくるって教えてくれる色だぜ。懐かしいなあ」
そう懐かしむ琳音くんの瞳から一筋、涙がこぼれたよう気がするが空が暗くてよく見えなかった。
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