第16話 試演とプロ意識
土曜日が来た。この世のものとは思えないほど青い空の下、私はアレックス監督を迎えに藤峰駅へやってきた。十時四十五分の電車で確かやってくるはずだ。私は彼女から聞いたlineのアカウントに今どこにいるかを聞いた。
時刻は駅の時計を見る限りでは十時三十五分。あと十分だが、それならアレックス監督は電車的に、今は隣駅である籠山に着くか着かないかの位置だろう。
『いまどのあたりですか?』
メッセージを送ると、数十秒程度でアレックス監督から返信が来た。やっぱり何だろう。プロ意識を持つアマチュアだけあって、やはり仕事相手とみなした人間への返信は早い。
『もうすぐ籠山だって』
彼女が藤峰に来るまでの十分間、暇なのでとりあえず音楽を聴いてみることにした。私と両親、妹の四人でApple Musicを使っているのだが、最近聴ける曲数がかなり増えたとのことで、邦楽にもいいものがたくさん。
そういえばメンヘラって何が好きなんだろう。そう思って私はとりあえず自分の中で好きなさユりのアルバムを聴いてみることにした。その中に入っている『夏』なんてどうだろう。
アイスキューブで麻痺させた傷口に砂糖水を垂らす。そんな夏を琳音くんと一緒に過ごしたいと思いつつ、曲の中では歌い手と相手が喧嘩して、泣き、眠っている。
うん。やっぱり喧嘩はしていないけど、泣いたら眠るのは琳音くんの特徴の一つだ。サンダーバードを見た雨の日も、一緒に寝たしね。
私がそんな気持ちで他にも数曲聴いていると、下りの電車がホームに到着した。それに伴い、私は変な髪型の外国人を探すことにした。
アレックス、どこかな。そう考えながら十数人の降客から探すわけだが、アレックスは私を見つけるとすぐに走り飛んできた。
「マナカ! ここはとっても田舎ね!」
あたりを見回すと、数十年前に廃線となった駅の跡には住宅街ができ、ホームをそのまま見ると、青く茂った藤峰公園が遠目から見える。これ以外にはホームから見えるものが何もない。
確かに仙台から来た人間なら田舎というだろう。そんな田舎者の私は、改めてアレックスの髪色に驚きを隠せないが、スタイリッシュな外国人にありがちな服装には対して何も感じない。
「髪を刈り上げればリスベット・サランデルによく似てると思いますよ……」
そう言うと、アレックス監督はどこか不服そうな顔をして私に怒り出す。
「確かに、私はリスベット・サランデルのようにカッコいい女になりたいわ。でもね、今の髪型に満足しているから刈り上げたり、モヒカンにする必要なんてないの。撤回して」
「て、撤回します……」
いやそれにしてもブラジャーの紐が見えるシャツにさえダメージ加工が入ってるの、田舎者の若い人が見たらきっと二度見するだろう。あまりにも刺激的すぎて。仙台でさえ、こんな格好の人はいない。
派手な格好に黒いバッグを持ったアレックス監督を駅から撮影場所にしている拓也さんの住む市営住宅まで歩きで約十分。その間、私はアレックス監督の愚痴を聞いていた。
「仙台でも結構目立つんじゃないですか、その髪色は」
「そうなのよ! 東京ならきっと普通にいるだろうに、先生さえも私の髪を見るたびにじっと見て色々言うのよ?」
「まあ、その髪色にするのって美容師の技術も求められるでしょうからね……。どこで切ってるんですか?」
「メウ・アマーニャンってお店よ。そこの堀野っていう美容師なんだけど、なかなか腕がいいから指名料だけでも一一〇〇円も取られちゃうの……」
「メウ・アマーニャン……、ってかなりの高級店じゃないですか! 学生で使う人ってそうそういないですよ」
私が驚くと、アレックス監督は得意げな表情で私の肩を叩いた。私が彼女の方を振り向くと、その顔は得意げで夏の暑さなんて吹き飛びそうなほどのドヤ顔をしている。
「……でもアマーニャンって、これから訪ねる家の奥さんが昔そう呼ばれてたみたいで。黒歴史にしてるそうですから、言わないようにしてくださいよ」
「その奥さんはブラジル人なの?」
ポルトガル語でピンと来たらしい。アレックス監督は汗をかきながら不思議な顔で私に聞く。いかにもこの田舎には他に外国人はいないと言ったような感情が見え見えだ。
「そうですよ。十八歳の時に妊娠して、逃げるようにここに来たんです。この町はこう見えて、子供たちやレッテには優しい土地ですから。籠山なんてクソみたいな町とは違って」
「籠山に何か恨みでもあるの?」
「そうなんですよ。籠山の小学校に通ってたんですが、私は特別支援学級から普通学級に戻ってきた人間なので、男子が喧嘩の時に言うんですよ。『特殊学級に戻れ、このガイジ』って。ガイジってレッテにも言うんです。その度に私は怒りました。ガイジってネット用語だよ。現実に戻れクソ野郎、って」
「……真中もかなり好戦的ね」
引いた顔をして歩くアレックス監督。ああ、またやってしまった。私は自分のしたことに反省して彼女を案内しようとするが、目の前には拓也さん夫婦とその息子くんが住む市営住宅があった。
「へえ、かなり新しいわね」
「市がかなり本気になったらしいですよ。普通の家庭にも月五万くらいで貸してるんですって」
「じゃあ、拓也さんとかいう人の家に行きましょうか。案内して」
「分かりました!」
外から見ると同じような外見の建物が六軒並んでいるように見えるので分かりにくいのだろう。拓也さんの家は駅側から二軒目だ。
私たちは玄関に上がって、私がベルを鳴らす。ベルはピンポンと鳴り続け、ひたすら中の住民に来客が来たことを告げている。すると拓也さんがドアを開いて笑顔で私たちを出迎えてくれた。
「真中ちゃんじゃないか! それと、そこの派手な髪色のお姉さんは……?」
私がアレックス監督を案内しようと口を開くと、彼女がさっそく自ら自己紹介してくれた。
「上杉学院高校一年B組のアレックス・アンダーソンです。YoutubeではLexieと名乗って活動しています」
「ああ! あの短編映画の人かあ……。高校生が撮ってるなんて知らなかったよ。琳音くんは中にいるから、すぐ入って」
アレックス監督は誘われるがまま、すぐ中に入って黒みの強いスニーカーを脱ぐ。彼女を案内して二階の拓也さんが使っている部屋へ入ると、そこには琳音くんがジャスミンティーを飲んで驚いた顔をしている。
「す、すげえ……」
「こんにちは琳音。私がアレックス・アンダーソンよ。監督って呼んでね」
「ああ、はい……」
アレックス監督から求められた握手に、琳音くんはその白い右手で握手をする。さすがに外が暑いからか長袖ではない。だからこそ腕や首筋に巻いた包帯が痛々しく見える。手首に巻かれた包帯には赤黒い血だまりの跡が残っていて、実に悲しい。
これからこのアレックス監督によって彼はその身を丸裸にされて、全世界へその身を晒すのだ。有名な事件の被害者が成長したその姿を見せる。この事件はレッテだけではなく、普通の健常者にも衝撃を与えたものだから、きっとネットでは色々騒がれるのだろう。
それでも主張したいことがあるから琳音くんはアレックス監督を頼ることにした。私はそう思いながら、アレックス監督の取り出した物に驚きを隠せなかった。
「えっ、iPhoneですか?」
「そうよ。簡単な動画を撮るときはいつも使ってるのよ」
それからそのiPhoneを固定する小さな三脚を取り出して、テーブルの上でアレックス監督は固定する。あまりにも身近にあるものを使うのかと、私自身困惑させられたがそれ以上に琳音くんが困惑しているようだ。
「ねえ、監督の髪にさっき驚いたの?」
「やっぱり久しぶりに見ると、驚いてしまうな」
前は『見たことある』とか息巻いていたのに、この変わり様。私も正直琳音くんの代わり様と監督の撮影機材の小ささに困惑の表情を隠せないまま、監督に電気を消すように言われる。
「ここは……、カーテンで元から閉められてるのね。電気を消して。真中は琳音の後ろで懐中電灯を照らして」
そう言われて渡された懐中電灯を手に持った私は、電気を消して琳音くんの後ろに回る。iPhoneを設定し終えた監督は椅子に座った琳音くんを見てニヤける。
「ナイシー、ナイシー」
英語で『ナイス』と言っているのだろう。監督側から琳音くんの姿がきちんと見えているか分からないが、後ろから見た私は自分が当てている場所だけ明るいのを見て、監督は琳音くんの吸血鬼病ぶりを表現したいのだろうと思っていた。
「ライク・ゼラニウム・イン・レイニング」
『雨に打たれるゼラニウムのようだ』そう英語で言葉にしてニヤける監督は懐中電灯をさして向かい側にいる私からすれば、彫りの深い顔に陰影ができて怖い。
「あの……、ジャパニーズ・オア・イングリッシュ?」
困惑した様子でそう言葉にする琳音くんの声には、いつも感じられる威勢の良さというものが感じられない。
「ああ、日本語でいいよ。英語が出るのは私の悪い癖ね」
じゃあ、自己紹介して。改めて被写体である琳音くんにそう言う監督はどこかプロのような雰囲気を醸し出している。映画学校を出たわけではないのに、撮りたいものの感情を出すそのイギリス人に私は困惑し続けるままだった。
「
「ふうん……。琳音、あなたは大事なことを隠しているね。その首筋に巻いた包帯、解くとスカリフィケーションで作られた数字の羅列が現れるんでしょ?」
「ま、まあそうですが……」
怯む琳音くんに言葉には出せないが内心頑張れ、と思いながら私は懐中電灯を照らしていた。やっぱり自分からその事実を明かしたとはいえ、普段隠している箇所について話すとなると怯んでしまうところがあるのは人間らしい性格をしている。
「KUNGARの施設で受けた虐待と誘拐で起きた話、どっちの話をしたい?」
「ゆ、誘拐の時の話をしたいです。ネットには色んな説が流布していて、どれが真実か分からない。だから俺なりの主張をして、柚木先生に対する世間の冷たさを少しでも緩和したい」
「でもそれならブログの方が良くない?」
「真中にもそう言われました。でもそうしたらコメントがいっぱい来て、対処しきれない気がして……」
「私の被写体になるからには、それ相応の覚悟をしてね」
「は、はい……」
瞳にはどこか孤独な狼のような狼狽が琳音くんのそれから見て取れた。琳音くんの顔を時々見ながら、私は懐中電灯を照らし続ける。頑張って、そうささやきながら琳音くんの歪んだ顔にエールを送ることしかできなかった。
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