第15話 赤い孤独者
アレックス監督が藤峰にやってくる。そう琳音くんに伝えると、帰りの電車の中でさっそく返信が来た。
『どんな人なんだ?』
Twitterを一緒に見て確認したでしょ……。人混みの中で、小さな体で必死に吊り革に捕まる私は、一つため息をついて返信する。
『こんな人だよ』
さっそくTwitterにあった写真を送ってみせる。写真の中では礼拝堂をバックに、卒業生と一緒に抱きしめ合いながら泣いているアレックス監督がいた。この時の先輩は普通の茶髪で、スカートも切っていない。
きっと土曜日になったら琳音くん、ビックリするだろうな。そう思いながらほくそ笑むと高校生だろう、私より体が大きな男子と目が合う。
「うわっ、何にやけてんだよ」
「いいことがあったんだよ」
私が男子を睨みつけて説明すると、男子は私の目力に恐れをなしたのだろう。黙って私から目を逸らして本を読み始めた。
電車がトンネルを抜けると、そこは大きな海をバックにホテルや海苔工場、住宅がまばらに建っている寂しい土地だった。海に反射した日光が電車の中の私たちにも日差しを送り込んで眩しかった。
さて、乗り換えて藤峰駅に立つと昭和時代に建てられたであろう寂しいコンクリート製の待合室の中で、琳音くんが本を読んでいた。その本は駅にある文庫の中では最も古いであろう、椎名麟三の『赤い孤独者』だ。戦後すぐの出版だからか、本は表紙がすっかり焼けて、絵も抽象的に描かれたであろう馬や人々の絵がとても怖い。
確かキリスト教に改宗した共産主義者がピストルで撃たれて死ぬ話だったっけ。それくらいしか印象のない本だが、琳音くんはどうしてか必死の表情で読んでいる。
真夏に入りかけた熱い日差しをよけるように赤いレインコートを背に太陽から身をさけるその姿は、どこか絵になりそうな姿だ。
「琳音くん、何読んでんの。そんな古い本に手を出してさ」
琳音くんが私に気づいた様子で「よう、真中」と目配せして返答する。
「駅の中にいい本があるじゃねえか。なんで教えてくれなかったんだ?」
「いやあ、琳音くんは駅まで足を伸ばすタイプじゃないだろうなって思ったから……。って、そんなことはいいの! それよりも土曜日にアレックスが来るんだよ? 変な人だから気をつけた方が……」
「変な人? お前より変な人か?」
Twitterを見る限り、普通の外国人だったけどなあ。そうのんきに返す琳音くんに、私は彼女が今どんなスタイルで生活しているか教えてみる。
「白から黒までのグラデーションをした頭一周した髪色をひとつに結ってさ、制服のスカートをシャギー状に切ってるの」
「制服のスカートをシャギー状に? お前、言葉の使い方間違えてねえか?」
「なんで言ったらいいんだろう、制服のスカートをダメージ加工してるっていうか……。まあ変にはじけちゃってるんだよね」
それでも琳音くんの態度が変わることはない。
「そんな奴、小さい頃はいっぱい見たっつの。ここが田舎なだけで」
「ああ、そう……」
二人の間にしばし沈黙が生まれる。どこかお互い気まずい様子で、どちらとも話したいのに話すことができない。まずい。そんなところに、駅員の庄司さんがホームの掃除から戻ってきて私たちに話しかける。
「おふたりさん、これから客が降りるから話は別のとこにしてくんないかなあ?」
そういえばここは駅の待合室だった。私たちは「すみません」とだけ謝るとそのまま外へ出た。
「あーあ、それきっと駅の文庫で一番古い本なのに、持ってきちゃったね」
「ああ……。でもこの本、俺は好きだぜ? 文庫は出てねえのかな」
そうのんきに歩いてフードを深くかぶる琳音くんに、私はスマホでいじって検索する。
「椎名麟三 赤い孤独者……。ダメだ。椎名麟三が亡くなったのが一九七三年、昭和四十八年な訳だけど、それからの文庫版が見つからない……探すならメルカリとかヤフオクになるね」
それにしてもこの本のどこに惹かれたの? 私が何気なく聞いてみると、琳音くんが、自分と目を合わせてくる太陽に目を逸らして答えた。
「共産主義者がキリスト教の洗礼を受けるところ」
「ああ、共産主義は神様の存在を信じていなかったっけ……」
「そうなんだよな。俺たちレッテもKUNGARがちょっとソ連とか昔の共産党みたいなところがあってよお……。それが嫌で抜ける人が昔は多かったんだと」
「まあ、スウェーデンがソ連に近いからね……。それなりに影響は受けるでしょ……」
それで話は変わるけど、アレックスとはどうする? 私が何気なく聞くと、琳音くんが歩道の真ん中で立ち止まる。一体何が起きたのかと思ったら、その刹那、私は琳音くんに口づけされていた。
何が起きたか一瞬理解できずに私はその身を固くした。耳元で琳音くんが「そう固くなるなよ」とささやく声が、セミの声とともに聞こえる。
その密度と琳音くんの体が触れてしまうほどの距離感と言い、全てが私の望んでいた願いのはずなのにどうしてだろう。なんか違う。
「こうできるのも、お前が俺を好きでいてくれるからだぞ……」
私が雨の日に自分の胸を揉ませても無表情で揉みながら「なんか違う」と言った、琳音くんの顔が忘れられない。今度は私がその番だ。こんな気持ちで琳音くんは私のたわわな乳を揉んでいたのか。
そう思うとどこかガッカリしてしまう。私は気を落として独り言をポツリとつぶやいた。
「やっぱり琳音くん、私のことを好きじゃないんだ……」
「心に決めたのは一人だけだからな。キスをしたのはお前がどんな反応をするか、気になったからだよ」
キスを終えて隣で古い本を胸元で抱きしめる琳音くん。太陽からその身を避けるように、赤いレインコートのフードを深くかぶって田舎町の古びた町を歩いている。
「レッテにとってのキスは友人にするようなもんだ。勘違いはしてなかったよな。させちゃったらごめん」
「いいよ。私は真夏の代わりになりたいだけだから。それにしても琳音くんもやっぱりレッテなんだね。KUNGARから追われていたのに」
「この本の主人公みたいに、いつか俺もピストルで撃たれて死ぬのかもな……」
そう言って笑う琳音くんに、私はどこか寂しさや切なさのようなものを感じて、琳音くんの頬にキスをし返す。細い体の割に柔らかくて弾力のある頬は、林檎のように食べがいがある。
「……なんだよ真中、さっきの仕返しか?」
「……うん。今の琳音くんはKUNGARに入ってないでしょ。円先生夫婦に守られてるでしょ。いつか死ぬなんて、そんなこと言わないで……。私が悲しくなる……」
「あいつらが俺を守るかはお前は知らねえだろ。ある日突然、先生もいなくなったんだよ。ある日俺は真夏とお別れする羽目になって……。そんな日がいつくるかなんて分かんねえんだ……」
琳音くんが立ち止まって泣いている。よほど昔の事件がこたえたらしい。私は好きな人のトラウマを思い出させてしまった罪悪感と、琳音くんがある日いなくなったらどうしよう。そんな突飛な恐怖感で思わず涙を流して彼を抱きしめて謝る。
「琳音くん、ごめんね。ごめんなさい……」
「うう……」
二人とも太陽から背を向けてできた日陰で泣いている。そんな光景を行く人々に見られたがそんなことを気にしてなく私たちではない。自分たちの幼さに悲しくなりながら、いつか大事な人が死ぬ恐怖に怯えながらずっとふたりで泣いていた。
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