第4話 彼の苦しみと救い
『ファイブ・フォー・スリー・トゥー・ワン』
国際救助隊の司令塔、ジェフ役の声優が規則的にカウントダウンをする間、テレビの音響機器からはデーンという効果音が流れる。サンダーバードがとうとう始まった。
それぞれ『サンダーバード』という名前に数字の付けられた乗り物が、カウントダウンされる数字ごとに現れるが、それにしても使い古された感じのする埃具合がたまらない。
「ねえねえ琳音くん。レトロな感じがしてカッコいいね」
私が興奮した面持ちで琳音くんの横顔を見る。やはり弧を描くように丸い額に、綺麗なおでこにキッと吊り上がった大きな猫目にはサンダーバードの映像が映し出されている。私ではないのだ。
外国の特撮劇に心を奪われている片想い相手。瞳に映って欲しいのは私だ。そんなふうに思ったのか、琳音くんの手元にあったリモコンの一時停止ボタンを押す。
「ねえ、どうして私の話を聞いてくれないの?」
すると琳音くんはハッとして、私の方を振り向いて睨みつけた。それと同時に彼はリモコンを私から奪い取って、私がそうした理由を聞いた。
「逆にお前に聞くよ。なんで停止ボタンを押したんだよ?」
琳音くんの睨みに私は弱い。そのことを琳音くんは知っている。さっきトイレで私が体を震わせながら「睨むのをやめて」と、弱々しい声で懇願したからだ。まあ、それでも私は琳音くんの睨みも、笑顔も大好きだけれども。
「だって、サンダーバードの機械にばかり目をやられてさ……。私の話なんて全然聞いてくれないじゃない」
すると琳音くんは少し驚いた様子で、私の手を包んで謝罪した。
「お前、俺に話しかけてたのか。それは悪いことをしたな。すまねえ」
「まあいいけど……」
琳音くんは申し訳なかったと眉を下げ、口元も下げて申し訳なさそうな顔をする。そしていつも私に向けていた怒りや睨みの表情が少し和らいで、どこか優しくなった。
「サンダーバードって、本当に古い特撮だからさ。こんな田舎に『サンダーバードを好きだ』って言ってくれる奴を見たこともなかったから。俺、趣味の合う友人ができたような気がして嬉しかったんだ」
「だから私を家に上げてくれたんだね」
すると琳音くんは頬を少し赤くして、私の視線から目を逸らして少し話すのを躊躇う。しかし、そこには確かに心の底から友人ができたことを喜ぶ琳音くんがいた。
「ま、まあ……。まさか女の子だったとは思わなかったけどな……」
「私も最初、琳音くんのことを女の子だと思ってたし、同じようなもんじゃない?」
「……かもな」
プッと思わず吹き出して、笑い出してしまう。お互い、「出会うだろう」と思っていた友人は想像と全く違っていて、好きなものも年齢とはほど遠いほど古い。だが、『好き』の方向性は少し違っていた。
琳音くんはサンダーバードに出てくる機械や乗り物の造形やカッコ良さ、スタッフたちの裏話などを好んで話す。一方の私はリブート版も楽しむ、機械よりも劇中の音楽が好きなオタク。
それでも、好きなものは一つなのでお互いの好きなところを話し合う時に方向性で喧嘩することもない。
「なあ真中、そろそろサンダーバードに戻ろうぜ。俺、字幕版で見るのが好きなんだ」
「えっ、じゃあ字幕版で再生してるの?」
「ああ。登場人物たちの舌や唇が生の英語を話しているかのように動くからな。その姿を俺は見たいんだ」
琳音くんの瞳は虚ろに光っている。だけど、どこか希望にも満ちている。琳音くんのカーディガンの袖からチラチラ見える包帯は赤黒い血の跡で汚れ、手のひらにも小さなためらい傷ができている。
彼はいわゆる『メンヘラ』で、今は金曜日の午後四時半なのに家で出会ったばかりの友人(私)と好きな特撮劇を見ている。おそらく不登校なのだろう。
病んでいる琳音くんを守っていたのが真夏という琳音くんの恋人で、私はその恋人に成り代わろうとしている。それが一体どんなに大きいことか。サンダーバードという古い特撮劇がそれを教えてくれた。
私がその事実に気付いて衝撃のあまり、暗くなっているところを琳音くんは明るい顔で背中を叩いてくる。
「再生するぞ。いいか?」
「い、いいよ……。いつでも……」
私は何とか正気を保ちながら、テレビ画面を見る。するとそこには確かに、英語を話す口調で唇が動く人形たちが劇を演じていた。
「……ねえ、これってどういう仕組みなの?」
「確かあらかじめ台詞を声優たちに演技させておくんだ。それを収録したテープが電磁波で、人形の中に組み込まれた装置に伝わる。それで唇が動くんだよなあ」
「……へえ、時代が時代だけに、かなりリアルに作ろうと頑張ってたんだね。ジェリー・アンダーソンって人は」
私が相槌を打つと、琳音くんはその手を胸に当てて、瞳を瞑って悟りを開いたかのように語り出す。それでも私が気になるのは、その手から腕へ繋がる手首だ。琳音くんは一体どうして、自分の手首を切るほどの苦しみを味わっているのだろう。
普段ならメンヘラを「可哀想」と思うことはない私だけど、この時ばかりはどうしても琳音くんのことが心配で、琳音くんの手を取った。
「……なっ、お前」
「琳音くん。吐きたいことがあったら私に言ってね」
「もしかしてお前、俺の手首をずっと見てたのか……?」
「うん。手元のリモコンを取ろうとした時からずっと」
「…………」
琳音くんの手が固まり、表情も凍ったかのように固まる。やがてその手は震えだし、琳音くんは私から自身の手を奪い返すとそのまま自分の胸に手を当てた。
顔をうつむかせて、自分の表情を悟られまいとするその態度に、私は思わず悲しくなった。まだ出会ったばかりだけど、友人なのだ。そんな友人にさえ話せない過去があるの……? 私はその思いで胸がいっぱいになり、琳音くんの顔を見ようと、その長い髪を彼の耳にかけた。
すると琳音くんはすがるものを失った狼のように泣いていて、大きな涙の粒をその両眼にためて涙をこぼし続けている。部屋が薄暗いせいでもあるが、赤みのないその白い頬が琳音くんを人形のようにも見せていた。
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