第3話 あの人の家とベッドの上で

「おじゃましまあす……」


 見知らぬ人の家に無断侵入するかのような申し訳なさを覚えながら、私はこっそりと琳音くんの家に入っていく。少し古い建物の匂いが玄関に入ってから、鼻腔に入り込んでどこか懐かしい気持ちにさせられる。


「ほら、何ノロノロやってんだよ。早くしろよ」


 先に靴を脱いで上がっていた琳音くんは私を見下ろして、少し眉を潜めて睨み付ける。私はその視線にどこか恐怖を覚えつつも、若干の愛らしさを覚えていた。


「ニヤニヤしないでくれよ」


 どこか引いたような表情が可愛らしい。さっきまで綺麗なガラス細工のような表情をしていたのに、今ではアイドルのような表情を琳音くんはしている。

 きっとアイドルに夢中になって、彼女たちとの恋愛や結婚を妄想するアイドルファンはこんな気持ちなのだろうな。そんなふうに思いながらも、そのアイドルにもガラス細工にも変化してしまう琳音くんの顔に思わず見惚れる。


「ご、ごめん……」


 靴を脱ぎ終えた私は反省してうつむく。好きな人にまた気持ち悪がられてしまった。その事実にまたショックを覚えて、思わず悲しい気持ちになる。好きな相手に気持ち悪がられることへの悲しみ。それがどんなに辛いことか。


 私は思わず何かがこみ上げて、気がついたら目に浮かぶ涙を流していた。


「いっ……、ひっ……」


 すると琳音くんが慌てたのか、私の背中をさすって涙声で謝りだした。濃い紫を少し含んだ髪色をした長い髪から、桃のような桃花の匂いがする。


「ごめんよ……。したくないことをしちまったよ。ああ……」


 ふたりで泣き出して訳がわからない状況に陥っていると、家の奥にある玄関と思しき部屋から女性が姿を現してきた。視界が歪んで分かりにくいけど、黒髪を後ろに結って琳音くんを抱きしめた。


「どうしたの、琳音……?」


 すると琳音くんは女性をドンと押して、私を抱きしめて謝り続けた。


「真中、俺の顔を見てくれ。お前を悲しませて、俺も悲しくなっちまったよ……。真夏ならこんなことはしなかったのに……」


 真夏。まなつ。マナツ。琳音くんの思想の根底には、真夏という恋人が根底にある。私はこの根底になり代われるようになろうと決意した。そのはずなのに、そのはずなのに……。


 私は琳音くんを泣かせ、気持ち悪がらせ……。最悪だ。その様子を苦そうに見ている女性はその横で、私たちを眺めている。だが数分泣き合うと、女性は私の肩を叩いて聞いてきた。


「あなたは誰?」

「……へ? えっと……、琳音くんに誘われてこの家に来た友達です……」

「まあ、まだコンビニで会ったばかりだけどな……」


 少し涙を拭いて女性を見る琳音くんは彼女を睨みつけて、私の手を繋ぐ。薄暗い家からは相変わらず木の匂いがする。


「真中、もういいよ。行こうぜ」

「うん。琳音くん……」


 私は琳音くんに連れられるがまま二階に行く。

 二階に行くあいだ、私は琳音くんの部屋がどんなところか気になっていた。ワンピースの袖から覗く包帯には生々しい赤黒い地の跡が残っている。もしかして汚い部屋なのか……? そんなふうに邪推していると、琳音くんの声が聞こえて目の前には木製の立派な入口がそびえていた。


「真中、着いたぞ」

「……えっ、ここが琳音くんのお部屋……?」

「ああ。早く行こうぜ」


 琳音くんが金で縁取られた龍が付いたドアノブを手にする。そこから琳音くんが少し考え込むように時間を置く。その時間が去っていく間、私は色々考えては邪推する。


 ドアが開けられる。すこし開かれると、中には大きな窓から雲の灰色をした光が入って、薄暗い。部屋の片隅にはノートパソコンを置いた机と椅子があり、パソコンについたカメラには薄い布が被せられている。

 壁紙のすぐ隣には大きなベッドがあり、ふたりでも寝られそうだ。そこには向かい合うように大きなテレビとDVDプレーヤーがひっそりと置かれていた。


「ここでサンダーバードを見るんだ」


 そういうと琳音くんは泣き上がりの笑顔で私に普段していることを紹介しながら、ベッドに座った。フワフワで横になったら五秒で眠ってしまいそうなほど気持ちよさそうだ。


 でも、こんなベッドで好きな人と一緒に……好きなものを見る……好きな人が普段眠るベッドの上で……。そう考えると、胸が高鳴って、心臓部分に触れていなくても自分の興奮が嫌なほど伝わってくる。


 私がもじもじしていると、その間に琳音くんが私のためか、女の子の服を用意してくれた。やはり白いワンピースで、どこか懐かしい匂いがしてくる。


「これは……。俺が真夏のそばにいた頃に着ていた服なんだ。女の子は久しぶりだから着せてみたくなっちゃった」


 苦笑いしながら琳音くんが私に服と、新品の下着を渡しながら言ってきた。私は真夏がいたころ並みに小さかったのか……。そうしみじみと思いながら、私は琳音くんの言われるがまま服を着た。


 琳音くんの目の前でブラウスのボタンを外しかける私だけど、琳音くんは顔を赤らめることなく私が服を脱ぐ様を見ている。


「ちょっ、恥ずかしいんだけど……」

「おお、さっきのお前にはそんな羞恥心なんか無かったのに。分かったよ、後ろを向くよ」


 琳音くんが後ろを向く間、私は急いで服を着替える。ブラジャーを外して、少し生地の厚いワンピースを着る。裾が大きく広がるワンピースで、小さなフリルが何段にも渡ってついている。


「ちょっと子供っぽいな……」


 そう独り言を言うと、琳音くんが私の方を向いて睨みつけて言う。


「いやなら脱いでもいいぞ」


 だが、その怒りにさっき家に入ってきたときのような重い怒りは入っていないように思われた。私は思わずクスッと笑ってワンピースの裾をゆっくり上げていく。


「じゃあ、脱ごっかな」


 大人を翻弄する悪戯っ子のノリで服を脱ごうとすると、琳音くんは顔を真っ赤にして「やめてくれ」と私に頼み込んだ。初めて私が勝利した瞬間だった。


「嘘よ。冗談冗談」


 そう言って私は琳音くんの隣に座る。やはり外見のようにフワフワしたベッドは横になると、眠気を誘ってきそうな感じで少し怖い。


「サンダーバードさあ、何話目みる?」


 子供のように嬉しそうな顔をした琳音くんを見るのが嬉しくて、私も思わず笑顔になってくる。せっかく琳音くんから誘ってきてくれるのだから、私も頼めるなら頼まないとな。


「やっぱり一話目。サンダーバード二号の力を借りて胴体着陸するやつ!」

「やっぱりそうか。あれはジェリー・アンダーソンが実際に見た話を基にしてるんだってよ」

「おお、マジか!」


 サンダーバードの第一話は、東京からロンドンまで一時間で着くのが速い原子力飛行機が中に仕掛けられた爆弾をなかなか取り除けない中、家族で運営している国際救助隊の力を借りて、サンダーバード二号とともに胴体着陸する話だ。


 二号の中には色々な機械が入っていて、実にカッコいい。幼いころに再放送を見ていた私は懐かしさと機械についたリアルな埃を思い出して興奮する。


「やっぱりイギリス……。トーマスを作り上げただけあるわね」

「だな。そんなトーマスの監督もサンダーバードで仕事をしていたんだぜ?」


 ああ、だからサンダーバードも機関車トーマスもあんなにリアルだったのか。私は納得して、第一話が始まるのを好きな人の隣でじっと眺めるのだった。

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