第2話 サンダーバードとオタク気質

「なあお前、今日はその姿で家に帰んの?」


 琳音くんが、赤いレインコートを羽織った私に話しかけてきた。私はすでに母親に「歩いて帰るから」とスマホで連絡は取ったが、やはりよく濡れた制服で自宅に帰るのはまずいだろうな。


 そう思って回答に困っている私に、琳音くんはまた縹渺とした顔で聞いてくる。彼は蓋の閉まった便器の上に座って、足を組んでいる。


 その青いワンピースから伸びた細い脚が羨ましいと私は心の底から思う。


 なぜなら私は胸が大きくてよく最寄駅に降りると、中学生なのに高校生からナンパされるからだ。……胸が制服のブラウスからはちきれんとばかりに目立つからだ。彼らは私にいやらしいニタリ顔を向けて、こう言い出す。


「胸がエロいねえ……俺と遊ばない?」


 その割には尻はいわゆる安産型で、太ももも太くて憧れのスキニージーンズも、ミニスカートを履くこともできない。まあ、制服のスカートは短くしてニーソ履きなんだけども! 


 そのせいか、スッキリした脚をした琳音くんが羨ましくてたまらなかった。葦のように細いその脚は、少し力を入れて逆方向に力を入れただけで折れそうだ。


 女子はきっと、太ももにもあまり肉や脂肪の溜まっていない琳音くんの脚に憧れるだろうし、男子もきっとそうなのかもしれない。それでも私は、自分の脚に自信を持った様子の琳音くん自身にも憧れるのだが……。


「そういえば琳音くんってどこに家があるの?」


 私が何気なく聞くと、琳音くんは眉を潜めて私に少し睨みつける。その瞳の向ける視線がどこか重くて、辛く感じる。


「あー……、駅前の産婦人科」

「ああ! まどか産婦人科……。だから円(まどか)さんなのね!」

「駅前だけど、来てみる?」

「なんだかさっきとは違って、割と積極的になったわね」


 すると琳音くんは少し口角を上げて、眉も下げて落ち着いた様子で私に答える。


「だって服を乾かさないと、お前が風邪ひいちゃうじゃん」

「じゃあ、服が乾くまでお世話になろうかな……」


 私はレインコートを脱ぎ捨てて、そのまま濡れたブラウスを絞って水気を極力省こうとした。だが水をかなり吸ったブラウスは重く、なかなか上手く絞れない。


 するとそれを見ていた琳音くんが私のブラウスを奪うように手に取ると、その細い腕からは到底出せると思えないほどの力でブラウスを絞り、そのブラウスからは大量の水が落ちてくる。まるで滝のようだ。


「やっぱり琳音くんも男の子なんだねえ」


 私が感心して言うと、琳音くんは少し嬉しいのか、私に笑いかけて答えた。


「だろ? これでもむかし、握力は強い方だったんだ」


 だがそれでもブラウスは濡れたまま。私はブラジャーをつけて水気の残ったブラウスを羽織ると、琳音くんに赤いレインコートを畳んで渡した。


「これが無いと琳音くん、お家に帰れないでしょ?」

「あ、ああ……」


 琳音くんの顔にはどこか寂しそうな感情が、普段から鈍感な私でも読み取れるほど滲み出ていた。うつむいて、琳音くんの長い髪が私が表情を見るのを拒絶しようとしても、私は琳音くんの顔に触れて微笑みかけた。


「冷たっ」

「琳音くん、家に連れてって」

「……分かった」


 そのまま私は琳音くんの家に連れて行かれることにしたのだった。さて、家に向かう道中、琳音くんとはこんな話をしていた。


「ねえ、琳音くんは何が好きなの?」

「何って……なんだよ?」

「例えば趣味とか、好きなアイドルとか、好きな食べ物とか!」


 私は琳音くんの考え込む表情を隣でじっと見つめている。眉を潜めて、瞳をつぶってまで考えこむその本気さに、私への態度の真摯さというものを感じとった。


「まあ、好きなもの……。今の中学生が知らないとは思うんだけどさ、サンダーバードって特撮があって、好きなんだよなあ……」

「イギリスで作られたやつ? 確かお金持ちのアメリカ人が、世界中の危機に瀕する人たちを助けるってやつだったよね。あれ小さい頃好きだったなあ……」


 するた琳音くんが明るい表情をして、私に少し切羽詰まったような様子で色々なことを尋ねてくる。さっきの冷静な姿とは違って、まるで趣味の合う同志を見つけたオタクのようだ。


「じゃあジェリー・アンダーソンって知ってる? ペネロープの声がその奥さんだったことも。モグラジェット機が日本映画の機械を基に作られたことも」

「ちょ、ちょっと琳音くん……。落ち着いて。私は小さい頃の再放送でしかサンダーバード を見てないの。でもテーマソングは好きだよ」

「ちゃんとバリー・グレイの作ったクラシックみたいなの? 日本語版の歌詞付きのものはやめてくれよ」

「バリー・グレイのやつ。軍歌みたいでどこかカッコいいよねえ」

「ああ。サンダーバードみたいな人形劇、他にないかなあ……」


 琳音くんが俯くと、私は少し前にテレビで日本語版を放送していたリブート版のことを思い出して、琳音くんに聞いてみた。


「ねえ、『サンダーバード・アー・ゴー』って3Dアニメみたいなの、知ってる?」


 すると琳音くんが目を丸くして、それからすぐガッカリした様子で私にリブート版のサンダーバードを嫌う理由を答えた。


「アレって実質的に3Dアニメじゃん。現代の技術でいかにもリアルっぽく見せようとしてもさあ……。それにジェフが、司令塔が行方不明なんだぜ? 十代くらいの子供が宇宙や地球の危険な出来事を解決する、ってのも納得いかない」

「じゃあ琳音くんは日本のアニメより、海外ドラマの方が好きなのね」

「……かもな」


 すると目の前にはまどか産婦人科の少し大きな建物がそびえ立っていた。その裏口には鍵がかかっているが、琳音くんはその鍵を開けて中へ入る。


「真中、早く入れ!」

「は、はあい!」


 広い庭には日本庭園があり、池の中では鯉と思われる魚が何匹も泳いでいる。手入れされた桜の木はすっかり葉桜になっており、夏の始まりを告げていた。


 瞬間的に私が見たのはこれだけ。どうやら円先生はかなり稼いでいるらしい。私はその中にこれから入っていくわけだけど、これからどうなるか。

 不安になりながらも、琳音くんの住む家の中へ入り込むのだった。


「おじゃましまあす……」

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