雨が運んできた恋
第1話 雨の日の出会い
琳音<<りんね>>くん。私の友達、私の勝手に片想いしている相手、私の大事な人。そして、自分も片想いを引きずっている男の子。いや、女装しているから男の娘なのかな……。
私が琳音くんと初めて出会ったのは十四歳の時、最寄駅に近いコンビニで大量のお惣菜やお菓子を買い込んでいる子がレジに並んでいた。その子がレジの店員と顔を合わせた時、後ろにいる私は彼の赤いレインコート越しに、その顔を見た。
弧を描く円のように丸い額に少し太く描かれた眉、キッと吊り上がった大きな猫目に光る虚ろな輝き……。長い黒髪がレインコートから伸びている。もう言葉では表現できないほどの美しさと儚さをオーラとして身にまとうその姿に、私は一目惚れした。
なんて言うんだろう。もう見た目だけで誰からも愛されそうなその姿に、誰も惚れないわけがない。きっと私のような状況になったら、誰でも琳音くんに一目惚れするだろう。
そんなわけで大雨がザァザァと大きな音を立てているにも関わらず、買ったばかりの傘をさすのも忘れて外へ出た。先に用を済ませて外へ出た琳音くんの後をこっそりつけて、駅に近い公園へ道沿いへと歩いていく。
緊張感が強かったのか、私はイヤホンを付けて、胸からこみ上げてくる感情の様々をごまかす。人形特撮劇のテーマソングを聴きながら、私は琳音くんの後をこそこそ付けていく。まるでストーカーのように。
十分ほど歩くと、琳音くんがふと立ち止まる。何が起きたのか分からず、私はじっと彼が自分のもとを振り向くのを待っている。どうしてだろう。音楽を聴いているにもかかわらず、冷や汗は流れるし足も動かない。
私が緊張したまま立ち尽くしていると、琳音くんが後ろを振り返って大きな声で叫びだす。
「ちょっとそこのお前、なんで俺をつけてるんだ?!」
『俺』? 待って、そこに立っているのは長い髪の女の子。それもスカートを履いて、赤いレインコートを羽織った可愛い子。琳音くんの放った一人称で、私の脳内はこんがらがった。すると、彼がまた私に何か話しかけてくる。
「俺男なんだけどさ、知らないでついてきた?」
自分から名乗ったよ、この子。自分が男だって。それでも私は必死に何か話そうと、脳内で言葉を探す。
「あっ、あなたが可愛いからつけてきちゃったの! ごめんなさい」
そう謝って私が立ち去ろうとすると、琳音くんが私に返してきた。ふたりの距離感はおよそ二十メートルほどだろうか。大きな声で彼は私に手招きしてきた。
「お前びしょ濡れじゃねえか! 公園のトイレで雨宿りしよう」
赤いレインコートの少年は、私が思うよりも積極的な子で私はその力強さに惹かれ、思わずついて行ってしまった。
「なあお前、傘持ってんのに、なんで使わねえんだよ?」
傘を手に持っていた私に、琳音くんが睨みつけて私に質問してくる。腰に手を当てて、片足を前に出すその姿勢がまるでモデルのようで、本当に綺麗な男の子だと思わされる。
「ねえ、さっき『俺男だけどなんで付けてきた』って言ってたけどさ、あれどういう意味?」
「……たまにつけられるんだよなあ。変なおっさんとか、ヤンキーの兄ちゃんに。そのたびにあいつらは言うんだよ。『可愛い子だねえ』って」
つまり私は変質者と同じ扱いを受けていた。いや、受けているということか。自分のしたことに恥ずかしくなって、私は思わず顔を赤くして、両手でもじもじしだす。
「お前名前は?」
琳音くんが近づいてくる。睨みをきかせたその顔も綺麗で品がある。本当にいつまでも眺められていたい。それなのに私はその眼に映る自分が恥ずかしくて顔を潜める。こうして何秒も続く沈黙に、琳音くんもイライラしだしたのか、さらに睨みを強くする。
「……ねえ、やめて。話すから」
「じゃあ話せよ」
「まなか。千代真中<<ちしろまなか>>っていいます……。十四歳です」
すると琳音くんがレインコートのフード部分から顔を現して、その長い髪をフードの中から出した。その仕草にさえ私は見惚れてしまう。
「…………」
「なにジロジロ見てんだよ。俺は円琳音<<まどかりんね>>」
こうして私は琳音くんの名前を知って、すっかり舞い上がってしまった。それから琳音くんは私にどこか不思議そうな表情で訪ねてくる。
「真中、お前寒くねえの? ずっと大雨だったのに傘さえささないで……」
「じゃあ脱ぐ? 私、何も拭きものを持ってきてないの」
「……お好きに」
それから琳音くんは私に話しかけるまでもなく、私をじっと見つめている。その視線から目を背けるように、私は黒いレースのブラジャーが透けているブラウスのボタンに手をかけた。
だがただ脱ぐだけではつまらない。いたずらっ子の気質のせいか、私は琳音くんの目の前でブラウスを半分だけ脱ぐと、琳音くんに近づいてその手に自身の片胸を当てた。
「ねえ琳音くん。私の胸、どうかしら? Fカップなのよ? クラス一大きいの」
できるだけ艶かしく言って、琳音くんの気を向けようとする。すると彼は私の胸を無表情で揉みはじめて、その感想を言う。
「うーん。確かに柔らかい」
でも俺の求めてるのはこう言うことじゃねえんだよな。そう言い放つ琳音くんの冷たい瞳からは、涙がかすかに浮かんでいる。
「どうして泣いてるの?」
すると琳音くんは俯いて、私の乳を揉む手を止めた。まるでその姿は涙が流れるのを隠そうとしている子供のよう。
「真夏<<まなつ>>だったら……。喜んでお前の胸を揉んでるだろうなって……。そう思うとなんだか悔しくて、悲しくて……」
あっ、ヤバい。なんだか気まずい雰囲気になってきた。とりあえず真夏というのは男の子? それとも物好きな女の子? 私はそっちの方が気になって、思わずきかずにはいられなかった。
「真夏って……男の子? それとも女の子?」
「男に決まってんだろ。バカ」
「……ごめん。それで、真夏って子は琳音にとってどんな人なの?」
すると琳音くんは一つ間を置いて、ゆっくりとその正体を話し出す。
「俺が苦しかった時に、心の支えになってくれたやつ。俺に人を愛することを、初めて教えてくれた人。もう最後に会ったのは四年近く前なのに、今でもあいつのこと、恋人だって……」
とうとう感情が決壊してあふれ泣き出す琳音くん。私は少しでも慰めになればと思って、ブラウスもブラジャーも脱ぎ捨てて生肌で琳音くんの背中に胸を押し当てる。
「……どう、あったかいでしょ?」
「…………」
琳音くんの胸に両手を回し、私は彼の低い体温に触れた。そして首筋にひっそりと知られないようにキスをする。琳音くんの肌は陶器のように白くて冷たい。そして桃のように柔らかい。
私の唇はたとえこれからどんな人と口づけをしても、この肌の感触を忘れることは決してないだろう。琳音くんが真夏という恋人を忘れられないように、私も琳音くんの真夏になりたい。そう思わずにはいられなかった。
「……それで、いつまでこの体勢なの?」
「あっ、ああっ! ごめん、つい感極まっちゃって……えへへ」
私は慌てて琳音くんから離れると、彼がレインコート を脱ぎ捨ててそれを私に渡した。
「ほらお前だって、いつまでもトップレスのままだと恥ずかしいだろ?」
赤い顔をして、私から目を背けながらレインコートを渡すその様子に、思わず笑みがこぼれる。
「ふふふ」
「何がおかしいんだよ?!」
「いやだって、琳音くんも赤い顔して目を背けるんだなって思うとさあ、男の子なんだなって」
「だからなんだよ! ……まあ、面白いやつだとは思うけどな、お前のこと」
『面白いやつ』……。初対面にしてはまあまあの評価ではないかな。私はそう思って笑い出す。それにつられてか、琳音くんも唇に手を当てて静かに笑い出した。
「ふふふ。こんなに面白いのに遭遇したの、久しぶり」
さっきまで泣いていた琳音くんが嘘のよう。少し瞳を細めて笑うその姿に、私は思わず胸が高なった。美しい宝物を壊さないように、これから彼と仲を深めて真夏のようになろう。そう思わずにはいられないのだった。
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