海の雷鳥〜愛を探す者に花束を〜

夏山茂樹

プロローグ

「なあ真中まなか……」


 夕刻を過ぎた保健室。窓から入ってくる夕陽の光をカーテン越しに浴びる先生と私。中学二年生の私は、大きくなった胸を制服のブラウス越しに揉まれながら先生とベッドで戯れている。


 奥塚(おくづか)先生は爽やかなカッコよさで女子生徒をはじめ、学校の女という女、あらゆる女たちから好意を向けられている。幼い頃に、テレビで見た土井先生のようなお人好しで、私はそんな彼が担任をするクラスの生徒だ。


 戯れるなか、視界で一瞬見えた時計の針は十八時十分を指していた。ああ、今日は帰りの時刻を過ぎてしまった。それでも先生の柔らかい手に揉まれる胸はどこかくすぐったくて、子供の頃には決して味わえなかった甘い気持ちに蝕まれている。

 この感覚がずっと続けばいいのに。そう思いながら夕陽を浴びる先生を少し見る。夕陽越しに光がさして、先生が仏様のように見える。まあ、彼がやっていることは犯罪だけど。


「せんせ、キスしよ?」


 私がトロンとした瞳の上目遣いで先生を眺める。すると先生は優しい瞳から己の影を出してニヤリと笑った。


「もちろんだろ? 真中」


 先生に上唇をはまれた私は一瞬体をピクリと動かした。いや、まさか好きな先生に唇を食まれるなんて。そんな簡単に甘噛みして、甘い果実をしゃぶるような感覚で教え子の唇を蹂躙して。


 この先生、いやこの男。優しそうな外見に反して案外プレイボーイなところがあるなあ。

 私はプレイボーイのキスを受け入れながら、先生のシャツを掴んでキスを受け入れた。春の日差しが暖かくて、頭がやられてしまったのか。私は先生の口の中に自分の舌を差し入れて、先生が私にするように蹂躙しようとした。


 だが先生がそれを悟った様子で私の舌と自身の舌を絡ませて、唇からふたりの唾液が一本の糸となりこぼれ落ちる。まるで蜘蛛の糸のようだ。この欲望の糸にしがみついて、私と先生はひたすら快楽の頂点を目指している。


「お前もなかなかやり手だな……」

「先生がうまいだけだよ」

「じゃあ、その上手いキスを受け入れろよ」


 私が受け入れる前に先生は私の唇を舐めて、鼻を甘噛みして、上へ上へと頭の頂点までその口と歯で私の汗を舐め、お互いの額を合わせる。

 すると、私と先生はお互い目を見開いて、一瞬黙り込む。それから私が事態を察すると声を出さないように笑い出す。そうしたら先生もつられたのか笑い出し、私と先生の唇を重ねた。


「ここで今日は終わりだな」

「ええ、そうですね。でも今日は帰りたくないなあ」


 私がベッドの上で座り込む隣で、先生が私の顔を見て笑う。笑った先生はそうしてできたエクボが可愛らしい。アーモンド状の少し吊り上がった大きな瞳は小学校時代、毎日見ていたアニメの先生みたい。

 茶色に近い黒髪は少し痛んでいて、喉仏も少し大きいけど男らしく筋肉のついた腹筋と、大きく張った胸板。それでも服さえ着れば笑った童顔が可愛らしくて、それでいて先生らしい落ち着いた声が私の心を揺らがせる。


 二年C組の私は変な性格と空気を読まない態度でよく相手を怒らせ、授業では目立ち、昼食に誘ってくれる友達一人居ない、いわゆるぼっちだ。生徒会に親戚の瑠月るつきはいるけど、彼女はプライドが高いから。私がお昼を誘っても色々言って断ってくる。

 そんな中今年の春、私は関東の私立男子校からやってきた奥塚流おくづかながれという先生に一目惚れした。幼い頃によくみた公共放送のアニメに出てくる先生によく似ていたからだ。

 その上私がお昼を一緒に食べてくれる人を諦めて食堂で弁当を食べれば、先生が隣に座って母さんの作った弁当を褒めてくれる。


 本当は国立の中学を目指していたのに、両親に反対されて私立であるこの学校を受験したという私の愚痴から、可愛い四歳の弟が機関車トーマスを見て「ヘンリー、らいぞーの声だ!」と私に言って笑ったこと。


 色々家で起きたことを話題に出すと、先生は話を聞いてくれて、うんうん頷いてくれて、「わかるよ」と言ってくれる。そんな先生が好きで、私も次第に先生が話す生活の話を聞くようになった。


「最近東京に住む彼女が浮気しているみたいでさ。俺のlineを既読無視してもう何日も経つんだよね」

「校長先生って話が長いよね。十五分の礼拝時間で何分を説教に費やしてるんだよ」


 そんな愚痴をこぼす先生に私も思わず笑って、こう言ってみせた。


「先生ってやっぱり若いですね」


 そう言うと、先生は苦笑いして私に答えた。


「当たり前だろ? まだ三十になってないんだから」

「ですよね」


 そう言って私は何となく言ってしまった。ご飯を食べたあと、ウィンナーを口に運ぶ前に先生の目を見て、はっきりと。


「先生の笑う顔が好きだなあ。東京に住む彼女さんから奪っちゃいたいな」


 そう笑って本音を吐くと、先生が私に顔を向けてくる。赤い顔をして、どこか様子が変だ。周りには私たちを一瞬見る女子生徒が何人かいた。だが私たちはそんなことも気にせず、話しを続ける。


「……俺も、お前の笑う顔が好きだ。一緒にごはんを食うときも、同じ教室にいるときも」


 私の心が一気に湧き上がって、先生の唇にキスしたくなるがそんな衝動を抑えて先生の耳元にささやく。


「……放課後、共用トイレに来てください」


 ああ。と先生が小さくうなずいた。それから放課後、私たちはお互い初めて危険な恋を始める儀式をして今に至る。まあ、お互いの好きなところを言い合ってキスするだけだったけど。


 さて、それから保健室にいる今。私たちは別れのキスをしてさよならを言った。けどまさかこれが最後の恋になるなんて、思いもしなかった。


 実は告白からずっと私たちを監視する女子生徒たちがいて、とうとう音のでないカメラアプリで現場の写真を撮られてしまった。


 奥塚先生はクビになり、私は学校中から「ビッチ真中」と呼ばれるようになった。それでも私は先生とlineをして、その中で聖ビルギッタ学園の柚木という教師のことを知った。どうやら先生の大学時代の友人らしい。


 彼は誘拐事件を起こし、逮捕されたがそれからのことが全くネットで調べても出てこない。被害者の桜野琳音さくらのりんねが私の地元である藤峰(ふじみね)にて開業医をしているまどかという男に引き取られたようだが知らないか。


 そんな話をされて、私は困惑した。円医師の息子さんって売春して自分の病気を客に移したとか、大津で起きた強姦傷害事件の被害者だとか色々噂の絶えない人間だからだ。だが、地元にいても私は彼の姿を見たことがない。


「知りません」


 そうテキストメッセージを送ると、それから先生の返信は来なかった。

 これが私の悲しい結末で終わった初恋。それでもきっと誰かに上塗りされて忘れていくのだろう。


「真中ってビッチだよなあ」


 電車で痴漢してきた男に私は車内のトイレで体を触らせ、先生と楽しんだあの頃の快感を感じようとする。だがなかなか感じることができず、結局男から数千円を受け取ってそのまま家に帰る。


「あー、あの野郎……。ニーソに出しやがって……」


 電車を降りると土砂降り大雨。私はそんな雨に自身の穢れもニーソの汚れも綺麗に洗ってもらおうと、汚れを受け取った傘をゴミ箱に捨ててそのままコンビニに向かったのだった。家に帰るための傘を買いに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る