Dreamy Egg

書矩

Dreamy Egg

「ねえ、お願いがあるのだけれど」

 朝一番──と言ってもただ俺が今起きたというだけだから決して朝早い訳ではない──にこの女に会うとは来年は厄年かもしれない。早くもため息が出る。腐れ縁で付かず離れずの距離を繰り返す相手だ。果たしてどんな厄介事を持ち込んだのだろう。

「何だ」

「この卵を孵してほしいの」

 なるほど、奴の手には木箱に納められた一抱えもありそうな卵があった。

「俺は親鳥じゃないぞ」

「鳥類の卵だと決め付けないでくれる? それと、仮に『親鳥』と呼ぶものがいるならそれは私よ」

「そうかよ」

「そうよ。……やってくれないって言うなら帰るけど」

「待て待て待て。そもそもなんで他人に頼むんだ。しかもなんでその相手が俺なんだよ。自分で孵せばいいだろ」

「孵らないのよ。それでものを頼める相手のうちあんたしか空いてなかったのよ」

「それはうれしいな。暇人で良かったぜ。……上がるか?」

「……お邪魔させていただくわ」

 奴は手短に事情を語った。

 曰く、この卵はある日突然として現れた。曰く、何故だか分からないが孵さねばいけない気持ちに捕らわれている。曰く、温めても語りかけても孵らない。

「本当に何で俺なんだよ」

「あなた、学生の頃から常識はずれなことばかりやっていたから。何か思い付くんじゃないかって」

「失礼なのか何なのか分からない奴だな」

「ともかくお願いしたわね」

「あのなぁ……」仕方あるまい。「孵らなくても文句言うなよ」

「当たり前よ」


***


 俺は翌日から卵と格闘を始めた。しばらくしても動く気配すらなかったので、割った。

 途端に、卵の中に納まりそうもない量の、血と臓物の交ざったようなものが溢れ出た。ところどころ白く見えるのは骨か。うわあああ、どこかで誰かが叫んでいる。紛れもなく俺自身である。

 卵からは、キキ、と機械が擦れるような笑い声がした。


***


「ねえ、お願いがあるのだけれど」

 ……正夢になった、ということなのだろうか。奴は俺が起きてすぐに家を訪ねてきた。

「この卵を孵して欲しいの」

 手早く部屋に上げ、承諾を示す。

「あなたがそんな素直だと、気持ち悪いわ」

「失礼な奴め」

「まあ、いいわ。ありがとう」

 割る、という手は使えない。というか出来るだけ使いたくない。ではどうしよう。

 以前より長めに待った。それでも卵は孵らなかった。残念ながら俺は短気である。

 割った。

 少し成長した子供の、集合体のようなものが転がり出た。完成していない器官があるところを見ると、まだ成長途中だったのかもしれない。

 俺は始終冷静だった。



「ねえ、お願いがあるのだけれど」

 頼みを聞くのも三回目だ。夢から覚めた夢から覚めた……夢?

「どんな頼みか当ててやろうか。卵だろ」

「……不気味よ、そういうの」

「その木箱に入ってる」

「ええ、そうよ」

「俺が孵してやろうか」

 奴は怪訝な顔をしながらも頷いて俺に卵を渡した。

 根気強く待ってから割った。今度の中身は、成長し過ぎた肉体だった。

 別に筋肉がついているとかではない。単純に四肢やその他身体的特徴が重複しているのだ。

 ……なかなか次の夢に行かない。僅かに焦りが込み上げる。ソレは手足をもぞもぞと動かした。吐き気に襲われ、目を強く瞑ると、ようやく意識が途切れた。


***


 今度は玄関先で奴の願いを断った。

「何で駄目なのよ。まずひとの話を聞いてから──」

「卵の中身が無かったとき、卵の中身が化物だったとき、それを考えたら嫌だ」

「……卵のこと、私言ったかしら?」

「言ってない。でも俺は知っている」

「何で?」

「何でかな」

「じゃあ仕方ないわね……」

 良かった、奴は諦めてくれるようだ。地面に置いていた木箱を持ち上げ、それを抱え──。

 何故か俺に向き直った。

「卵のことだけ知られててもね、困るわ。油断ならない男ね」

 鈍い音。

 頭でなく喉に刺さった、なんで喉なんだ、これでは死ねない、痛い、こいつは何を──

「他の人には喋らないで置いてもらえると助かるわ」

 問い質したいことは多くあった。しかし喉の奥からは、が、ごぼ、という音と共に血塊が噴き出ただけであった。



 大丈夫なの、と焦った声がする。

「う……?」

「やっと起きたわね」

「なんでおまえがここに」

「熱出したから世話してやってくれ……ってあなたの兄さんに頼まれたのよ」

「熱……?」

「覚えてないのね。すごくうなされてたけど、夢でも見たの?」

「卵」

「卵? あなたの持ってるそれ?」

 俺が卵を持っている? 何を言っているんだろう、と思い下を見ると腕の中にクリーム色の大きな卵が抱えられていた。気味が悪くなって足元に置く。

「卵、って……お前のじゃないのか」

「はあ? それねえ、あなたの熱で孵ろうとしてるのよ」

「孵るのか? これが?」

「そうよ。あなたの寝てる間に何度か割ろうとしたのだけれど……その度腕の中に戻るのよ」

「……中身は、何だった」

「一回目が血と臓物、二回目が胎児、三回目が奇形の赤子」

「おぞましいな」

 言いながら、そっと卵を持ち上げる。卵のことを他の人間に言い触らされてはたまらない。考え事をしている奴に向けて振りかぶり──我に返った。これじゃ夢の中での奴と同じだ。危ない。

 ……なるほど。俺の夢とここの現実とは繋がっているらしい。そのことを伝えると、奴は苦々しい顔をした。

 二人して黙りこくる。

 ぱき、という音がした。腕の中の卵から出た音だった。

「割れるのか!」

「どうするの、出てくるのが化物だったら!」

「知るか!」

 俺が手を放したので、卵の殻が弾けて床に散らばった。

「どうして落とすのよ」

「卵の殻で死んだ男になりたくなかったからな」

「……ねえ、中身」

「ああ。……空だったな」

「これで夢見る卵事件は終わり?」

「多分な。迷惑をかけた」

「いいわ」

「なあ、教えてくれ」

「何?」

「『覚めさせる』卵がその役目を終えてしまった今、俺の居るのは夢か? 現実か?」

「さあね。少なくとも私の頬は痛いけど」

 頬を引っ張りながら奴が答えた。

「……」

「尽きない入れ子構造」

「何?」

「何でもないわ……。さああなたはまだ寝てて、卵の殻は掃除しておくから」

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Dreamy Egg 書矩 @Midori_KAKIKU

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