第77話 不老不死


 転がった死体は、老婆の物でした。近づいてよく見てみると、鼻はそがれ、目は潰され、ぽかりと開かれた口の中には、歯がありません。両手の指もなく、身体の至る所に、大きな釘が刺さっています。

 壮絶な、拷問の痕が伺えるその老婆は、一体何者なのでしょうか。また、どうして、こんなにひどい拷問を受けたのか、私はその死体から目を逸らしながら、疑問に思います。


「っ!?」


 ふと、足に何かがまとわりついてきました。私はまとわりついたそれを見て、声にならない悲鳴をあげました。


「あ、ぅ……」


 足にまとわりついたのは、死体だと思っていた老婆です。老婆は、わずかに呻きながら、力なく私の足に、指のない手を回して来たのです。

 私は驚きのあまり、地面に尻餅をつきながら、引き下がりました。指がないせいか、力は何もなく、私はその老婆からすぐに離れる事ができて、ついたお尻が痛いのも気にする事無く、そのまま引き下がりました。


「死体が、動いた……?」

「っ……!」


 私は、すぐに駆け寄ってくれたオリアナに抱き着きながら、その死体を見ます。

 その老婆は、間違いなく死体です。だって、大きな釘が、全身の至る所に刺さっていますからね。コレで生きていられたら、それはもう人間ではありません。


「コレは一体、なんだ。ゼン、説明しろ!」


 動く死体に驚くのは、父上も同じです。そのあまりの不気味さに、父上も、お母様の死体で落ち込んでいるどころではなくなりました。


「へ?コレも、貴方の大切な奥さん。メティア様ですよ?見て、分かりやせんか」

「お、お母様……?」


 ゼンの言葉を踏まえて、もう一度、その老婆に目を向けます。

 それは、しわくちゃになり、皮膚のただれた人間。拷問の痕を覗けば、誰しもが、年を取れば至る姿なのかもしれません。お母様とは、あまりにも似ても似つかない姿に、私はゼンの言葉を疑います。


「──フェアリーの粉を、多量服用した者の末路ですね」


 そう呟いたのは、レストさんです。


「フェアリーの粉には、生物の成長を遅らせる作用があります。フェアリーの粉を、不老不死の道具として見る者が後をたたないのは、そのためです。でもそれは、その者の命を削り、逆に命を縮める行為なんですよ。使用して、しばらくはいいですよ。でも、次に使用する時は、より多くの粉を摂取する必要があり、それでどんどん、多くの粉を摂取しなければ、効果がでない身体になっていくんです。勿論、多量に使用すれば、命が一気になくなり、そして死に絶えます」

「ひひひ。その通り。コイツは、フェアリーの粉を大量に使って、次の日に見たら、ビックリ。こんな老婆になっちまった。一瞬だけ、イイ女になったんだがなぁ……残念だけど、その代わり、コイツは驚くことに、死なねぇ。どうしてだと思う?」

「……入れ替わったんですね。表と、裏が」

「あんた、頭良いなぁ!」


 ゼンは、レストさんの答えに、また嬉しそうに笑いました。

 私には、意味が分かりません。この老婆がお母様で、お母様の死体は隣にあり、更にもう1人。兵士に拘束されているお母様もいます。この場には、お母様が3人もいる事になってしまいますよ。


「ミストレスト……どういう事だ。この老婆は、本当にメティアなのか?」

「恐らくは、そうでしょう。コレだけの事をされて生きていられる人間は、いませんからね」

「では、どうして……」

「この死体が、本当の貴方の妻で、何らかの原因で、この裏の世界で死んでしまったんです。その時、世界は補修作業に入りました。表裏が分離し、裏の世界にいたこの人だけが死に、表の世界ではこの人が存在してしまう事になったんです。そうなったら、裏の世界にこの人は存在しない事になってしまいますよね。そんな事態を避けるために、裏の世界に新たなこの人が生まれたんです。そうですねー……この死体が、最初の一人。この動く死体は、表の世界に取り残された、おばあさん。そっちの、拘束されている方は、世界の補正作業で作られた、新しいおばさん。この、裏の世界で生まれた、この世にならざる物といったところですね」


 それは、レストさんが少し前に言っていた、裏の世界で死ぬ事の意味を、目の前で実践して見せたような物なのかもしれません。

 レストさんの言う通りだとしたら、お母様が3人いる理由も、理解できます。でもそれは、あまりにも突拍子もなく、衝撃的で、すぐに受け入れるには、あまりにも気持ちがついていけません。

 また、死んでしまったのならまだしも、こんな状況になっているお母様が、あまりにもみじめで、見ていられません。私は、吐き気を必死に抑えながら、代わりに、涙があふれ出てくるのを感じました。


「で、では……おかあ、様が……生きているのは、何故ですか?」


 私は、溢れ出て来た涙を慌てて拭いながら、レストさんに解説を求めました。


「裏の世界で死んで、表の世界に残されたこのおばさんの命は、失われました。代わりに、新たに裏の世界で生まれた、自分ではない自分の命が、このおばさんの命となったんです。だから、この人が死ぬためには、そこの拘束されているおばさんを殺すしかありません」

「もう、良い。必要な事は、大体分かった。このメティアが年老いているのは、フェアリーの粉が原因だという事も。それが意味するのは、メティアがこの一連の事件に関わっていたと言う事になるのも」


 父上は、そう言いながら、老婆になったお母様の頭を、優しく撫でました。それに答えるように、老婆のお母様が蠢きます。それが、何の意味を示していたかは分かりませんが、父上に縋っているような……そんな気がしました。


「だが分からんのは、どうしてこのメティアには、拷問された痕があるのだ」

「ああ、それはオレがやりました。だって、死なないのが面白くて。あと、暇だったんで。へへ」

「……」


 あっけなく、悪びれる様子もなく答えたゼンに対して、お母様から離れて立ち上がった父上が、剣を抜きました。そして、迷う事もなく、ゼンの胸に向かって、その剣を突きさします。

 その行動を止める者は、誰もいません。


「がはっ!」


 ゼンは、心臓を突き刺され、傷と、口から大量の血を流し、そして死にました。恐らくは、即死です。

 父上は、静かに怒りを燃やし、その目からは涙が溢れ出てきています。


「──痛いじゃないですか、国王様ぁ」

「っ!?」


 死んだと思われたゼンが、喋りました。血を流し、心臓を突きさされたゼンが、まだ生きていたのです。


「……」


 驚く私たちに対して、父上は冷静に、ゼンの胸から剣を抜き取りました。


「ぐぅー……!」


 痛いのか、ゼンは呻きますが、でも倒れません。その胸と、貫通した背中からは、とめどなく血が流れて、生きていられるはずがない。でも、生きている。その事が意味するのは、老婆になったお母様と、彼が同じ状況にあるからとしか、考えられません。


「ゼン……貴方は……!」

「ええ、そうですよぉ。オレも、死んでいます。殺されたんですわ。メティア様に」

「殺された……」

「オレはね、偶然迷い込んだこの場所で、フェアリーの粉を製造していたメティア様に、殺されたんですよ。でも、オレだってタダで殺される訳にはいかねぇ。反撃して、メティア様を刺し殺しました。でも、オレもメティア様から受けた傷で、死んじまったんですわ。で、気づけばこの裏の世界に入る前の自分が、倉庫の前に立っていた。夢かと、思いましたよ?でも、違う。オレは毎日、自分を呼ぶ、自分の声に悩まされて、眠れない日々が始まった。そこで、声に導かれるように、確かめに行ったんですよ。もう一度、この場所に。すると、どうでしょうねぇ。そこに待ち受けていたのは、自分自身ですぁ。オレはあっけなく、そんな自分に捕まって、入れ替わらされたんですよ。どうやら、表の世界に存在できるの自分は、一人だけみたいなんでね。おかげでオレは、ここから出られない。死ねない。そんな風になっちまいました」

「じゃ、じゃあ……私たちが、ゼンだと思っていた、あのキレイなゼンは……」

「オレ自身ですよ。裏の世界で生まれた、ね。メティア様も、オレと同じように確かめに来て、そこで入れ替わらされたみたいですね。オレが確かめに行った時は、既に入れ替わってたみたいで、拘束されていやした」


 この、汚らわしい男と、あの爽やかなゼンが、同一人物?見た目も、年齢すらも、全く違うように見えます。とてもではないですけど、同一人物とは思えないです。このゼンが、キレイに身なりを整えた、ああなるという事でしょうか。そのためには、年齢ですらもいじらないと、そうはなりませんよ。

 もしかしたら、フェアリーの粉も、関係しているのでしょうか。真偽は分かりませんが、可能性はありますね。

 一方、お母様の方は、完全にお母様で、その見た目は全く同じです。


「……貴様も、知っていたのだな。メティアが、拷問を受けていた事を」


 父上は、拘束されているお母様を睨みつけて、そう尋ねました。


「──勿論、知っていたわよ。入れ替わった私が、その男にどんな目に合わされていたか……でもそれは、あなたのせいよ、ギレオン。全ては、貴方が私を裏切った所から始まった。私が不老不死の力を求め、フェアリーの粉を密造するようになったのは、あの女と、あなたのせい……」

「あの、女?」

「お前の、本当の母親の事よ!」


 お母様は、私に向かい、目を見開き、怒りの形相を見せて、怒鳴りつけて来ました。


「ギレオンは、あの女に心を奪われ、子供まで作った!私に、断りもなく……!不老不死の女に心を奪われたギレオンは、私だけでなく、その女まで側室に迎えると言い出して……私は、その時からあなたの理想になるように、努力してきたのよ!どうしてそれを、咎められなければいけないの!?私は、あなたのためにやった事なの!あなたに、私を裁く権利はない!そうでしょう!?」

「……」


 父上が、黙り込んでしまい、そしてふと、床に尻餅をついて、倒れてしまいました。すぐに、兵士が心配して駆け寄りますが、父上はそんな兵士たちを手で制し、頭を抱えます。


「……私の、本当のお母様が、不老不死?」

「そう!お前は、あの化け物の子供なのよ!だから、嫌われて当然!汚れた血は、この国にいらない!死ね!死んでしまえ!」


 私に向かい、そう怒鳴りつけてくるお母様は、既に正気を失っています。だからもう、何を言われようと、私の心には響いてきません。

 代わりに、今の私の頭の中を巡るのは、私の本当のお母様についてです。

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