不満があるわけじゃないけど
幸せと言えば幸せよ。今の生活。とっても大好き。
あたしの【旦那様】はちょっとヘンだけれどたくさん甘やかしてくれるし、創作意欲を刺激してくれる。あたしにぴったりの【旦那様】で、画材もたっぷり提供してくれる最高の
一部の使用人とはまだちょっと打ち解け切れていない気がするけれど、好きな格好をして好きな作品を作れる。最高の環境よ。不満があるなんて言ったら罰が当たるわ。
……そう、思ってはいるのだけど……。
時々。
ほーんのちょっぴりだけ前世が恋しくなることがあるのよねぇ。
今まで考えたこともなかった想定外のことよ。たぶん、ジュール様だとかカロリー様だとか、コートニーみたいに転生者とたくさん触れあっちゃったのが原因。
本当に、些細な事よ?
でも、思い出すと妙に恋しくなっちゃうの……。
『端末』を使ってジュール様に連絡。
【旦那様】に知られたらきっと拗ねられちゃうから見つからないようにこっそり。そう、カロリー様の新作ドレスの打ち合わせをしている振りをしながら密談。
我が国の王子様はすぐに快諾してくれた。
そうよね。あの人、他人に何かをだべさせるのが大好きだもの。食べ物の相談ならすぐに乗ってくれるわ。
あたしの
「アンジーからこういう相談を貰うとは思わなかったな」
ジュール様は面白そうな表情を見せる。すらりと細い体には不釣り合いな大きな荷物をいくつも……ええ、カロリー様まで似たような大荷物で来てくれたわ。
「……随分大荷物ね。旦那様に見つからない程度にしないと。また拗ねられて面倒くさいことになるわ」
大荷物の中身はお米、お肉、タマネギ、白滝みたいなもの、生姜、お醤油に似たなにか、お砂糖、日本酒に似たお酒などなど。それに土鍋っぽいお鍋に丼みたいなお皿ね。お箸がないのはちょっと残念。
ええ、こっちのお料理も好きよ。特にジェリー侯爵家の料理人は最高の仕事をしてくれてる。毎日美味しいご飯をたくさん食べさせてもらっているわ。
それでも。時々恋しくなる食べ物があるのよ。
「丼が食べたい! お肉たっぷりの牛丼が食べたい! とは思ったけど、あたし少食よ?」
そもそもジュール様なんて普段はうさぎの餌みたいなものしか食べないくせに、他人にたらふく食べさせるのが趣味の変態なんだから。この量を一体誰が消費するつもりなのかしら?
「余ったらジルに食べさせればいい。アンジーの手料理なら喜んで食べるだろう?」
それは納得ね。
「二人は恋しくなったりしないの? 丼ご飯」
「うーん、時々ハンバーガーが食べたいような気がするのと似たような感覚かな?」
「私は……あまり……」
二人とも自分が食べることに関してはそこまで拘りがないみたいなのよね。
「まあいいわ。とりあえず、それっぽい物が作れるか試してみましょう」
まずはご飯がちゃんと炊けるかね。こっちのお米、微妙にあたしが知ってるお米と違うのよ。
「ジルに隠れてこそこそ頼むなんて何事かと思ったけど……料理を失敗するところを見られたくなかったってこと?」
「いいえ。でも、失敗作の牛丼もどきを牛丼だと思われたくはないわ。あの庶民的な味は言わばソウルフードなのよ。それを誤解されるなんてあんまりだもの」
そもそもお米の種類が違うのに同じ炊き方でいいのかしら?
「このお米ってどっちかっていうとパエリアとかそういうのに向いていそうなのよね。丼との相性ってどうなのかしら?」
「確かに、日本で見たような米はこちらでは見かけないね」
似たような物はあるけど、完全に同じではない。お酒やお醤油もそうね。
だけどその似たような物をこんなにすぐに集められるジュール様ってやっぱりすごく【権力者】なのよね。さすが我が国の王子様。
お肉もいろんな部位を持って来てくれたみたい。これなんてすき焼きにも使えそうよ。
でもね。丼はもっと安っぽい味の方がいいの。
ええ、スジ肉をじっくり煮込んでとろとろに……タマネギもしっかり煮込んだのがいいわ……。
「ふふふっ……お料理なんて何年ぶりかしら……」
そう言えば、実家でも「アンジェリーナを台所に近づけるな」って言われていたわね。
別に下手な方ではないのよ。味はちゃんと食べられるものを作れるし。
ただ、ちょっと人より遊び心があるから……ええ、青いシチューや紫色のケーキを作ってジーンを絶叫させてしまったことが何度かあるだけ。
そう、決してお料理が下手なわけではないわ。誓って。
何に誓えばいいのかしら?
アンジェリーナ・ハニーのそう長くはない人生で生み出した作品すべてと蜂蜜に誓おうかしら。
煮込んでいる間って暇よ。
そう思って天井に絵を描いていたら時間ってあっという間ね。
「アンジー、お鍋がいい頃じゃないかしら?」
カロリー様の声に手を止める。
確かにいい感じの匂いがするわ。
慌てて手を洗ってお鍋に近づく。見た目もなんだかそれっぽい。あのお醤油っぽい色よ。ほかほかのご飯と合いそうな!
さっそく丼にご飯。やぱりお米の種類が違うのが気になるけどこればっかりは仕方ないわね。あくまでそれっぽいもの。異世界なんだから多少は我慢しないと。
「牛丼もどきの完成ね。二人も試食して。あたしの味覚が変わってたらこれで合ってるのかわからないもの」
まあ、転生者は現地の味覚になっていても全く驚きはしないのだけど。
三人分、テーブルに丼を並べて、スプーンを手に、いただきますと手を合わせる。
その瞬間、急に寒くなったのは気のせい、だと思いたい。
あーんと、大きなお口で、スプーンで掬った物を口に入れようとした。いいえ、口には入ったわ。でも、期待してたほっかほかの物じゃなくて、未解凍の冷凍食品ね。
「……旦那様……もしかしなくても仲間はずれにしたこととっても怒ってる?」
振り返りたくない。きっとにっこり微笑んだ【旦那様】の周囲は幻覚じゃなくて吹雪よ。シャーベットしか生み出せない魔力のくせに。
「アンジェリーナ? 私を仲間はずれにしたのかい? ジュールとひそひそ何をしていたのかな?」
声はとっても穏やかよ。でもお部屋がとっても寒いの。
「ひそひそって……それに、カロリーさまも一緒よ? えーっと、ちょっとした転生者の集会ってやつよ。たぶん……」
もうちょっとマシな言い訳があるでしょうに、このひんやり空気が苦手なのよ。
「私も誘っておくれ?」
ひんやりとした手が頬に触れる。これはとってもご機嫌斜めね。
「……旦那様には完璧に出来たのをあげようと思ったのに……」
すっかり冷凍食品になってしまった牛丼もどきをあーんと口の前に差し出してみる。【旦那様】は本当に躊躇わずにぱくりと食べてしまったわ。呆れた。
「冷たくて……変わった食べ物、だね」
「冷たいのは旦那様のせいよ? せっかくほっかほっかの牛丼を作ったのに……」
拗ねてやるわ。と、ムッスゥと答えたら【旦那様】は少しだけ困った表情を見せる。
「すまない、けど料理をしたいのなら一言くらい相談しておくれ?」
「嫌よ。お屋敷のみんなったらあたしが厨房に近づかないように見張ってるわ。いいえ、実家も厨房は立ち入り禁止だったわね。青いシチューがよっぽどトラウマになっちゃったみたい。でも今日のは普通の色よ」
お醤油の色だわ。と丼の中の凍ってしまった物を見せる。
すごく楽しみにしていたのに酷いわと視線を向けながら。
「す、すまない……冷やすのはできるが、温めるのは専門外だ……」
しゅんとしてしまう【旦那様】は叱られた大型犬みたいね。とってもキュートだわ。
「ふふっ、ジルは相変わらずだね。アンジーには弱い」
「仕方ないだろう……アンジェリーナは私のすべてなのだから」
拗ねた様にジュール様を睨む【旦那様】は少し前よりずっと素直な感情を外に出せるようになったわね。やっぱりジュール様とは仲良しなのよ。
「前世の食べ物がちょっと恋しくなったから作ってみようと思って、食べ物に詳しいジュール様とカロリー様に材料集めをお願いしたの。だって、前世のあれこれって旦那様に言ってもわからないでしょう? あたしも説明するのよくわからないから、ね? で、それっぽい物が集まったから……お鍋コトコトしてたのに……これじゃあ冷凍食品よ」
今度アレクに頼んで電子レンジを作ってもらいましょ。あの人どのくらいいろいろ出来るのかは知らないけど、録音する機械を作れるならきっと電子レンジくらい作れるわ。
「確かにジルの能力が上手く使えたら冷凍保存にも向いているかも知れないね。でも、ジルがシャーベット製造以外に魔力が使えるのはアンジーに関わるなにかの時だけなんだよねぇ」
ジュール様はくっくっくと王子様が見せちゃいけないような表情で笑ってるわ。
「でも旦那様のシャーベットは王都の一等地にあるお店のよりもずっと美味しいから、そうね、旦那様、もしも国外追放されるようなことがあったら一緒にシャーベット屋さんになりましょう? 販売用のワゴンはあたしがとっても素敵なのを考えてあげるわ」
やっぱり【旦那様】のお顔をでかでかと描いたワゴンがいいわね。ついでに屋根はミツバチの巣かしら。蜂蜜味のシャーベットもあるととっても素敵ね。
なんて妄想を膨らませていると【旦那様】にひょいと持ち上げられてしまう。
「アンジェリーナがシャーベット店を開きたいのなら王都に出店してもいいけれど、国外追放されるような事態になるのなら先にジュールを人質にする方が問題解決に近いと思うな」
「あら、物騒」
「もしくは我々の協力者にカロリー嬢を獲得しておくべきだね」
悪戯っぽい笑みを見せる【旦那様】は気持ちが二十歳くらい若くなったのかしら?
「その時は勿論私はアンジーの味方だわ」
カロリー様は便乗してジュール様をからかうつもりね。
「三対一なら非力なあたしでもジュール様に勝てるかも」
きっと競技はシャーベットをぶつけるなにかね。
「カロリー、君は僕の婚約者だろう? 僕に協力してくれよ」
「アンジーを国外追放なんてしたら勿論ジュール様の敵になりますよ?」
笑顔でそんなことを言うけれど、カロリー様は本当はジュール様をからかいたいだけだって知ってるから見守っておくことにする。
そうすると【旦那様】にぎゅーっと抱きしめられるからそのまま後ろに体重をかけてみても、びくりともしないのがちょっとだけ悔しい。
そう、あたしにだらしない体型は見せられないって運動を始めてからとってもいい体になってきたのよね。もともと美形だけど、引き締まったっていうか、もう、筋肉って感じ。いいわよね。筋肉。とっても素敵よ。
なんとなく【旦那様】の腕を揉んでみるけれど、本当に筋肉ね。これは転生して気づいたのだけど、男も女も筋肉質な男が好きなのよ。ヒョロガリは論外だわ。
「アンジー、おかしなことを考えていないかな?」
にっこりとジュール様の笑みが冷たい。
「え? なにかしら? 旦那様の筋肉素敵だなって思ってただけだけどこれっておかしなことかしら?」
わざとらしく甘ったるい声を出してあげる。
お互い笑顔だけど、相手のこと嫌いって感じね。別に嫌っては居ないけど。
ジュール様は便利な物をたくさんくれるしからかうととっても楽しい人なのよ。
そんな風におかしな笑顔で見つめ合っていたら【旦那様】に目隠しをされてしまう。
「アンジェリーナ、ジュールばかり見つめないでおくれ」
こんなに素直にヤキモチ焼いてくれるなんて嬉しくなっちゃうじゃない。
「いいじゃない。普段は旦那様で目の保養してるわ」
間違いなくあたしの【旦那様】が世界一の色男だって言うことにしておいてあげる。もしかしたらもっと素敵な誰かに遭遇することがあるかも知れないけどあたしに求婚してくれた素敵な人は【旦那様】だけだもの、
「アンジェリーナ……まさかジュールが今日の目の保養?」
「今日は牛丼の予定だったのよ? それがひんやり……タレの味のシャーベットというか……冷凍食品に変身しちゃったわ」
わざと恨めしそうに言うと、【旦那様】はしゅんとしてしまう。
「まあいいわ。鍋に戻して温めたらいい感じかも」
どうせ胃に入れば混ざってても一緒よ。と、土鍋に丼の中身を戻せば、ジュール様は信じられないと言う目を向ける。
「君は食べ物の美しさだとかそういったことは」
「気にしないわ。胃に入れば一緒じゃない」
ジュール様の言葉に被せちゃう。
そもそも丼よ? 気取って食べるものじゃないわ。
そう、お鍋に火をかけると、【旦那様】が耐えられなくなったとでも言うように笑い出してしまう。
「なあに? そんなにおかしなことを言ったかしら?」
「いいや……アンジェリーナらしいと思って……君の、前向きなところがとても好きだよ」
笑いながら言われるとからかわれているような気分ね。
まあ、気にはしないわ。
だって今日の目的はこのお鍋の中身ちゃんだもの。
温め直した牛丼もどきは意外な事に前世で食べたそれよりもずっと美味しいような気がしたわ。
でもたぶんそれって一緒に居る人が居たから錯覚ね。
今度はあたしひとりの時にリベンジしてみることにするわ。
求婚されたはずなのに夫は私に興味がないようです。 高里奏 @KanadeTakasato
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