25 貢ぐだけじゃなく尽くしたい男なのね



 驚いたことにお屋敷に着いてすぐに高熱をだしたらしい。目が覚めた時には二日も寝込んでいたと言われてしまった。【旦那様】はずっとあたしの側に居てくれたみたい。ベッドの側に書類が散乱している。

「アンジェリーナ、大丈夫?」

 不安そうに訊ねられる。そう言えば、【旦那様】のお母様は病弱な方だったかしら? だとしたら家族が病気になると不安になってしまうわね。

「ぷかぷかは治まったかしら?」

 そう訊ねれば彼は微かに笑った。

「ああ、よかった。ちゃんと意識が戻ったんだね」

 穏やかな声に安心すると急激に空腹が襲ってくる。

「凄くお腹が空いてる気がするわ」

「すぐに食事を用意させるよ」

 立ち上がり、扉の向こうに声を掛ける【旦那様】。向こうには誰がいたのかしら?

 まぁいいわ。

 それにしても、【旦那様】はずっとここでお仕事をしていたみたい。書類の束もいろんな国の言語があるわ。あたしには読めない物が多いわね。

「あたし、旦那様の邪魔をしてしまったかしら?」

「いや、私がアンジェリーナの顔を見ながら仕事をしたかっただけだよ。うん。アンジェリーナの側の方が捗ったからこれからもずっとアンジェリーナを眺めながら仕事をしたいな」

 微笑んでみせる【旦那様】は少しやつれているように見える。きっとあたしの看病の為にずっと起きていてくれたのね。

「たくさん汗をかいちゃったみたい。お風呂に入りたいわ」

 あたしにつきっきりだと【旦那様】も疲れてしまうもの。あとはメイドに任せて【旦那様】を休ませないと。

「すぐに用意するよ」

 いやいや、それ絶対お風呂までついてくるやつ。

「アナに任せるから大丈夫よ。旦那様もお疲れでしょう? あとはメイド達にしてもらうから、先に休んでて」

 きらきらが足りないわとは言わないけど、少し老け込んでしまったように見える。そんなに心配を掛けてしまったのかしら。

「嫌だ。アンジェリーナの世話は私がしたい」

 痛いくらい手を握られてしまう。

「君が目覚めない間、ずっと不安だったんだ。君がもうこのまま……二度と私に笑いかけてくれなくなってしまったらどうしようと……アンジェリーナ、少しでも長く君の側に居たい」

 これは大人しく従った方がいいかもしれないわね。

「とか言って、むっつりの旦那様はあたしの裸見たいだけでしょう?」

 わざとおどけて見せると、彼は困ったように笑う。

 傷つけちゃったかしら?

「一緒にお風呂入っても良いけど、あんまり凄テクでぽやぽやにしないでね。ご飯食べないで寝ちゃいそうだもの」

 ベッドから起き上がろうとするとすぐに捕獲されてしまう。

「アンジェリーナ、無理はいけないよ。湯船でゆっくり温まって。後は私に任せて」

 どう見たってくたくたのくせにあたしの世話をしたくて仕方がないって感じね。

「普通嫁の方が世話するものなんじゃないの?」

 思わず訊ねる。けれども【旦那様】はどこか嬉しそうに笑っているように見えた。

「私は君の世話をしたくて仕方がないよ。そういうのが好きなんだ。私の癒やしだと思って思う存分甘えておくれ」

 貢ぐだけじゃなく尽くしたい男なのね。これは流石に落ち着かない。

「あんまり甘やかされたらあたしとんでもないわがままになっちゃいそう」

 手に負えないって追い出されないか不安になるわ。

「アンジェリーナのわがままはかわいいから嬉しいよ」

「そんなの最初のうちだけよ。あたしきっとすっごいわがままよ。旦那様も呆れるくらい」

 やれシャーベットが食べたいだのバナナなんて匂いも大嫌いだの言いたい放題よ。

 今もそんなに変わらないわね。

「私だって君にはわがままなのだからお互い様だ」

 優しい手が頬を撫でると同時に顔が近づいてくる。

 あ、キスされる。そう期待して目を閉じたのに、こつんと額をくっつけられた。

「……旦那様、キスより額こっつんの方が好きね」

「んー? 両方好きだよ。アンジェリーナと触れ合えるなら全部好きだ」

 優しい低音が心地よくて、名前を呼ばれる度にもっと好きになってしまう。

 大人しく身を委ね、彼のペットになったかのようにお世話をされることにした。




 とても幸せそうに「あーん」と食事を口まで運んでくれる【旦那様】を見てやっぱり逆じゃないかと思ってしまう。乙女の夢を横取りされたような複雑な心境だ。けれども相変わらずの凄テクでお世話されてしまった身は最早完全に彼の言いなりだ。

 やっぱりあのシャンプーはヤバい。気持ちよすぎて思考を奪ってしまう。

「だいぶ食欲もあるみたいだし一晩休めばもう大丈夫そうだね」

 優しく微笑む【旦那様】はやっぱりくっきりと隈がある。

「幸せ過ぎて昇天しそう以外はなにも問題ないわ」

 お着替えまでお任せになってしまったのはちょっと不本意だけど、ふわふわのかわいい寝衣を着せてくれたからまあいいことにするわ。見たことがないやつだからたぶんマダムのお店で買ってくれたやつね。脱がせやすさ重視の。

「新しい寝衣を買っておいて良かったよ。これなら私でも着せられる」

「脱着重視だったものね。でも旦那様、忙しいのにあたしのお世話ばかりしちゃダメよ。ペットじゃないんだからある程度は自分で出来るわ」

 嬉しそうな【旦那様】には悪いけど過労死されたら困る。

「あたし、まだ未亡人にはなりたくないもの」

「……勝手に殺さないでくれ」

「いいえ、このままお仕事もあたしのお世話もだったら旦那様が過労死しちゃうわ。だめよ。ほら、歯磨きは自分でするから旦那様もお休み準備して」

 確か前に作ったパジャマがあったはずだと箪笥を漁って引っ張り出し投げつける。

 がさつだって言われるかしら? なんて思ったけれど、【旦那様】は構い過ぎると余計にべたべたしてきそうだから仕方がないわ。

「アンジェリーナが私の着替えを用意してくれるなんて……」

 気にする必要なかったみたい。

 疲労で頭が残念なことになった【旦那様】は涙を浮かべて感激している。これは早く寝かしつけないと危険ね。

 蜂蜜味の歯磨き粉を使って歯磨きをしながらちらちらと【旦那様】の様子を確認する。

 だめね。着替えてくれる気配がないわ。

 別に、【旦那様】の裸体を見たいとかそういうのじゃ……ちょっとはあるけど……。

 あたしばっかり見られてちょっと不公平だって思うのよね。お風呂の時も【旦那様】は着たままだったし……。うん。美容室でシャンプーされる感じだったわね。

 ちょっぴり不満を抱きながら口をゆすぐ。あ、そういえば、お部屋に【旦那様】の歯ブラシはないわね。

 夫婦なのにバスルームが別というのはちょっと変な感じ。【旦那様】は増改築が好きみたいだから……【旦那様】のバスルームってどんな感じなのかしら?

 好奇心がつんつん刺激されてしまう。

 だめよ。あんまり根掘り葉掘り知りたがっては嫌われてしまうわ。

 歯磨きを終え、寝室に戻ると【旦那様】はまだパジャマを抱きしめて感激していた。

「旦那様、お着替えして。寝るわよ」

 あたしのせいできらきらオーラがなくなってしまうなんて悲しいわ。

 もう脱がせて着せるしかないかしらと【旦那様】のシャツに手を伸ばすと彼は飛び上がった。

「アンジェリーナ、じ、自分で着替えるから……その、先に寝ていて構わない」

 拒絶された。

 あたしの着替えはしたくせに。

 不満を抱いて頬を膨らませる。けれども【旦那様】は逃げるように奥の部屋へ行ってしまった。あっち側はあたしは入れない。だって、内側から鍵を掛けられたもの。

「クリスの魔力があれば破壊できるのに」

 絶妙に電撃をコントロール出来る魔力って素敵よね。ドアはボロボロになってしまうだろうけどあたしのぷかぷか浮くだけの魔力よりはずっと使えるわ。

 鍵穴から覗けないかなーなんて思ってドアに近づいた瞬間開いてびくりとしてしまう。

「アンジェリーナ? どうしたのかな?」

 無事に着替え終わった【旦那様】は少し困惑した表情を見せた。

「そっちのお部屋がどうなってるのかなーって」

「間取りは君の部屋と同じだよ。衣装部屋が少し小さいくらいかな」

「あたしに見せられないなにかがごろごろ転がっているお部屋ね」

 男性のお部屋だものいろいろあるわよねーと頷きながら、やっぱり【旦那様】の好みは把握しておきたい。

「王都で流行の官能小説とかえっちい写真集とかたくさんあるのかしら」

「君は私をどういう目で見ているのかな?」

 呆れたような顔をされ、調子が狂う。

「えー、男の寝室なんてそんなものでしょ?」

「ないよ。見てもいいけど、明日にしてくれ。流石に……眠くなってしまった……」

 ふわぁと口を押さえながら欠伸をする姿まで素敵とかずるすぎるわ。

「アンジェリーナはそういう写真だとか小説に興味があるの?」

 ベッドに腰を下ろした【旦那様】は眠そうな顔で訊ねる。

「んー、淑女としてはないって言わなきゃいけない部分かもしれないけど、ないといったら嘘になるかしら。好奇心は刺激されるわよ。どういうのが流行なのかとか。だって、旦那様にかわいがってもらう為にはいろいろ試さないと」

 でもあたし、文字が沢山だと眠くなっちゃうのよね。前世じゃ全然平気だったのに、アンジェリーナは一冊の小説を読み終わるのに一週間以上掛かってしまうわ。

「君はそのままでかわいいのに……あまり積極的になられては困ってしまうよ」

 優しい手がおいでと招く。

「君のことだから私の着替えを覗こうとしたのかと疑ってしまったよ」

 あら、ばれてたのね。

「旦那様、だいぶあたしの行動を把握しているわね」

「本当に覗こうとしたのかい?」

 驚いたように訊ねられる。

「いけない? だってあたしばっかり旦那様に肌を見られているじゃない。あたし、旦那様の肉体美には興味あるわよ」

「参ったな……少し運動をして引き締めないと……」

 疲れた笑みを見せられる。

 あ、もしかして、あたしに見られるのが恥ずかしいとか?

「太っているようには見えないけど」

「……若い頃に比べて筋力は少し落ちたかな」

 このところ書類仕事ばかりだからと眠そうな声が言う。

「今も十分若いじゃない」

 少なくとも前世のあのさえない男がくたばった年齢よりは若いはずよ。

 抱き寄せられる。

「とりあえず明日から軽い運動でも始めるよ」

 だいぶ動けるようになってきたしと彼は言う。

 ああ、そうか。ご病気で運動不足になってしまったのね。そりゃあ良いときと比べて衰えたら自信もなくなるかもしれないわ。

「あたしは今の旦那様も大好きよ」

 とりあえずへこませないようにしておかないと。

 擦り寄って甘えればとんとんと優しく背を叩かれる。眠たいから寝かしつけようとしているのね。わかっても憎めないわ。

「おやすみ、アンジェリーナ」

 甘い低音が心地良い。

 それからあたしはとろんと眠りに落ちた。

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