18 大人しそうに見えてかなりの問題児ね


 少し気怠い目覚めだった。なんだろう。疲労感が抜けないというか、体が硬直している感じがする。

 うっすらと目を開けると、目の前に美形。なんだか見覚えがあるわ。

 そう、【旦那様】だ。宗教画に出てきそうな儚い雰囲気を纏って,大人しい寝息を立てている。寝る姿まで綺麗とか、ずるいわよね。体が重く感じたのは、がっしりと抱きしめられていたから。お揃いのパジャマで一緒に寝てるとからぶらぶ感があってすごくいいと思うわ。

 それにしても、【旦那様】があたしの作品を着てるってなんだかとっても不思議な感じね。普段の彼なら絶対選ばないデザインだろうし。

 昨夜抱えられたときは本当に焦ったけれど、すぐに凄テクで寝かしつけられたし、たぶん、またなにもなく終わったのね。

 それにしても、昨夜の【旦那様】はいろいろおかしかったわ。怒っていたからというのもあるかもしれないけれど……あたしのファンってあんなに全面に出されたのは初めてのような気がする。

 好きって言ってもらえるのは嬉しいけれど……あたしが欲しい好きじゃないのよね。

 ちょっと複雑な心境でいると、顔に吐息が掛かる。気がつけばすぐ目の前に【旦那様】のお顔が接近していた。

 いやいやいや、流石に近すぎるでしょ。心なしかさっきから抱きしめる力も強くなってる気が……。

「旦那様、流石に少し痛いわ」

 声を掛ければぴくりと反応がある。

 あー! これ、寝たふりだ。酷い。あたしがちょっと気を利かせてもう少し寝かせてあげてもいいかななんて考えてあげたのに寝たふりをしているのね。

「旦那様、寝たふりしたってわかるわ! 今反応あったの見逃さなかったんだから!」

 目の前で急に大きな声を出されたからだろう。【旦那様】は驚いたように目を見開く。

「アンジェリーナ……朝から元気だね」

 困ったように笑う彼はあたしの大声の衝撃に少し耳が痛いと言った様子を見せる。けれども解放してくれる気はないらしく、苦しくない程度に抱き直された。

「次はもう少し静かに起こしてもらえたら嬉しいな」

「……気をつけるわ。でも、旦那様、あたしより先に起きていたでしょ?」

「じっと見つめる君が可愛らしいからもう少しそのままでいたかったんだ」

 やっぱり、【旦那様】はなにかヘンだわ。あたしが問題行動ばかり起こすからとうとう壊れてしまったかしら。

 寝起きだし、酔っているわけでも、お薬が効いているわけでもなさそう。副作用? あたしは詳しくないけれど、服薬の量が増えていたならそういうこともあるのかもしれないわ。

「アンジェリーナ?」

 あたしが考え込んだからだろうか。【旦那様】が心配そうに声を掛けてくる。

「旦那様、お薬の過剰摂取とかじゃない? 大丈夫?」

「……うん。君ならそういう反応だとは思っていたけれど……少し傷つくな……」

 深い溜息を吐かれるとちょっとムカつく。あたしがやらかしたみたいな反応はなに? 心配してるのに。

「私だって君に触れるには相当な覚悟が必要なのに……ジュールは随分君に近いし、チャドだってあんまり寂しい思いをさせたらすぐに乗り換えられるって……いや、アンジェリーナの行動を制限するつもりはないけれど……いや、やっぱり嫌だ」

 説明していると言うよりは自答しているようにしか見えない。

「ジュールに君を渡したくない」

「……あたしは旦那様の蒐集物コレクションの一部ってことでいいかしら?」

 あたしのファンらしいから、きっと他にもファンがいるって聞いて少し焦ったのね。そうよ。それで無理をしているんだわ。

「確かに、私は君のファンだが、君の作品は一つ残らず手に入れたいが……それだけじゃないよ。アンジェリーナ」

 いつの間にか【旦那様】の下敷きにされている? え? なんで上に乗っているの?

「旦那様の愛人の方も芸術家なのかしら?」

 ずっと気になっていたことを口にしてしまう。チャドはありえないと言っていたけれど、本人に確認しないと納得が出来ないわ。

 見上げれば、【旦那様】は硬直している。やっぱり疚しいことがあるのかしら。別に愛人がいてもあたしのこともちゃんと可愛がってくれるなら構わないわ。そう、言おうとしたら、なぜか口を手で塞がれる。

「アンジェリーナ、君がどういう経緯でそんな誤解をしたのかはわからないけれど、まずはなにも言わないで。ありえない。私が君以外に惹かれること自体ありえないよ。十三年掛けてやっと手に入ったんだ……愛人などいるはずがない。心配なら屋敷も別邸も全部調べるといい。資産状況も確認していい。アンジェリーナ、私には君しかいない。君がたった一人の私の家族だ」

 家族。その言葉に驚く。ああ、そうか。夫婦になったから家族扱いなのね。ということはやっぱり【旦那様】にはお姉さんも妹さんもいないんだわ。

「だって、旦那様が婦人靴を買ってたって。靴を贈る人って特別な人でしょう?」

「靴? 君の靴ならたくさん買ったけれど」

「王都の職人から、あたしのデザインの靴を買ったって」

 アランは客をほぼ全て覚えているわ。特に目立つ【旦那様】のことなんて一生忘れないと思う。

「……あれか……あれで君に誤解されてしまうなんて……君の作品だから買ったのに……ドレスの複製レプリカと一緒に……書斎に飾っている。疑うなら見るかい?」

 いつもの沈み方以上にへこんでいる様に見えるわ。

 それよりも。

複製レプリカ? そんなの作らせたことないわ。あたしも許可してない」

「……ハニー伯爵に頼み込んだのだけど、実物を売ってもらえなくて……。すまない。無許可で作らせてしまった……」

 いやいやいや、普通婚約者でもない男がいきなり娘のドレスが欲しいなんて言ったら変態扱いされるでしょう。それも売れだなんて。

「旦那様、大人しそうに見えてかなりの問題児ね」

 とりあえずレプリカとやらを見せて貰おうじゃないの。

 【旦那様】を押し返し、むくりと起き上がる。

 あ、あたし昨日お風呂入ってない!

「お風呂に入ってから書斎を見に行くわ」

「じゃあ、一緒に入るかい?」

 誘われて驚く。だって、今までならそんなことを言ったら逃げられていたもの。急にどうしちゃったのかしら?

「ベティに髪を洗って貰うからいいわ」

「そう? じゃあ、朝食は、いや、もう昼かな? 一緒にどうかな」

 こういうとき、あたしの意思を尊重しようとしてくれるあたりは【旦那様】なのよね。

 お昼の約束を取り付けて、浴室に向かえばいつでも入れるように用意されていたところだった。




「このドレス、この靴には合わないわ」

 書斎で例の複製レプリカを見たあたしは真っ先にそう口にした。

 このヒール、きらきらでとってもかわいい。ドレスはドレスであたしにしては珍しいシックな印象なのよね。あと、縫製があたしより上手いからなんだかしゃきっとして見えるわ。

「あたしはこんな合わせ方はしない」

 そう告げると、【旦那様】は沈んでしまう。

「すまない……本物は手に入らないと思ったから……」

 ついでに着せられている人形もあたしに似せようと努力はされているみたいだけれど、メイクも髪もイマイチね。それにどうして頭に大きな靴を被っているのかしら。確かにそんな格好もしたこともあるけれど。

「なんていうか、あたしの昔の作品を無理矢理切り貼りしたような印象ね」

 パーツを見ればなんとなく似ている。けれども全部がちぐはぐな感じね。

「……ここは本人に修正して貰うのが筋だろうか?」

「別に旦那様が気に入っているなら構わないけれど……これ、前に売れた絵! 買ったの旦那様だったの?」

 お買い物のお小遣いの出元が【旦那様】だなんてちょっと複雑な気分ね。

「こういう抽象画も好きなんだ。特にこれは色が鮮やかで……心が落ち着く」

 気に入ってくれたなら嬉しいけど。【旦那様】、この絵、タイトルは『苦悩』なのよ? あたしも相当ずれているけれど【旦那様】も相当ね。

 うっとりと絵を眺めている【旦那様】にどう反応していいか悩むわ。

「ああ、これは君から直接手渡された絵だね。まさか本人に会えるなんて思っていなかったから覚悟が足りなくてみっともないところを見せてしまったけれど……こんなに素晴らしい作品を本人から手渡されたのだから少しの恥くらいどうでもいい」

 うん。あたし、まずい人に嫁いじゃったかもしれない。

「君の作品のために最高の環境を用意したいと思っているのだけれど、不足はないかい? 足りない物があったらいつでも言っておくれ」

 いつもの穏やかな笑みで言われるけれど、あの、なんというは心酔しきったような顔を見た後だと反応に困ってしまうわ。

「あの別館は理想よ。不満はないわ。門限以外」

 門限があるのはあたしに限らず芸術家ならみんな気にするところよ。

「そればかりは妥協できない。だって、アンジェリーナ、門限をなくしたら本館に戻ってこなくなるだろう? 初めは、君を側に置いて眺められるだけでいいと思っていたけれど……もう、それだけでは満足できない。妻に触れたいと思うのはいけないことだろうか?」

 夜会の優良物件そのもののきらきらを纏って、それでも宗教画の中の様な儚さを醸し出しながらしっかりと手を握ってくる【旦那様】にどう反応すればいいのだろう。

 ただ一つ、わかったことがあるとすると、あたしは追いたいタイプで追われるのは苦手ってことね。大好きなはずの【旦那様】なのに、苦手意識が大きくなってしまっている。

「あたしは……」

 たくさん可愛がって欲しかったはずなのに……どうしてしまったのだろう。

「君が毎日かわいすぎて……直視するのが辛い……けれど、他の誰にも渡したくない」

 気がつけば壁際に追いやられている。え? これあたし逃げ場がない?

「君の作品さえ全て独占したい」

 触れそうになった唇を拒む。

 これは違う。あたしが望んだものじゃない。

 だって、【旦那様】はあたしを女の子として可愛がりたいわけじゃないもの。

「……ごめんなさい。あたし……今、頭がぐっしゃになっちゃったわ……絵を描いてくる」

 しゃがみ込んで抜け出せば、少し反応の遅れた【旦那様】から逃げ出せた。

 あたし、今すっごく悲しいみたい。それがどうしてかわからないけれど。

 涙が勝手に溢れてる。

 行き場のない感情は全部作品にぶつけるべきよ。


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