17 一瞬前世のさえない男に戻りそうになった


 【旦那様】はやっぱり調子が悪いみたいで、結局デートらしいことは一切出来ないままお屋敷に帰ることになってしまった。帰りの馬車ではいつも以上に大人しいというか、あたしが話しかけても反応が鈍い【旦那様】はたぶん素面なんだろうけれど、顔色も悪い。

「あたし、またなにかしてしまったかしら?」

 訊ねても、なにも答えてくれないので、このもやもやは作品にぶつけるべきよね。折角新しいおもちゃを貰ったのだから、使ってみようと『端末』を起動させる。【旦那様】用のは通信と写真撮影の二つの機能しかないけれど、あたしのにはお絵描きの機能が付いていて、三つのアイコンからパレットのマークを選ぶと、あたしが知っているお絵描きソフトよりもずっと高性能っぽい物が現れ、思わず興奮してしまう。

「これ、すごい。いろんな画材を再現できるのね!」

 あたしが興奮していても【旦那様】は項垂れているだけ。狭い馬車であたしがこんなに騒いでもずっと沈んでいられる【旦那様】はある意味才能ね。後ろ向きの才能。あたし好みじゃないわ。

 ちょっとむかむかするから、沈んでいる【旦那様】をそのままデッサンする。普段はあまりこういう絵は描かないのだけど、この画材の再現がどのくらいしてくれるのかも確かめたい。

 実際『端末』は凄かった。付属のペン一本で描いているはずなのに、いろんな絵の具や筆を切り替えて使えるみたい。ちゃんと水彩の質感まで再現してくれている。

「これはくせになりそう……」

 魔玉の消耗が恐ろしいわ。あたし、一日中使っちゃいそう。

「これをシーツに印刷できたら一人でも旦那様と一緒に居る気分になれるかしら?」

 時々寝室に来てくれない日もあるから、寂しくないと言えば嘘だ。あたしの気を紛らわせる為にも、シーツは何枚か作りたい。

「……旦那様の絵入りのシーツ……売れるかしら?」

 確か前世ではキャラクターのイラスト入りのシーツが売っていたような気がする。あれは子供向けの商品だけなのだろうか? 【旦那様】はご婦人方にも人気だし、売れば売れるかもしれない。

「……アンジェリーナ、流石にそれは止してくれ」

 さっきまであたしが騒いでも反応のなかった【旦那様】が力なく言う。

「やっと反応してくれたのね。旦那様が構って下さらないからあたし、本当にシーツを量産しようかと思ったところだったのよ」

 全力で構ってアピールをしているのに、彼はなんというか、負のスパイラルに陥っていそうな状態だ。

「……君は、自分の夫を描いたシーツを販売してどうするつもりだい?」

「え? 旦那様人気者だからみんな欲しがるかなって」

 実際あたしは欲しいと思ったから作ろうとしているわけだし。

「……アンジェリーナ……君が個人的に使うのであれば……いや、共有の寝室にはやはり複雑な気分だけど……君が使う分を作ることは止めないけれど、販売は止してくれ」

 ああ、とても真剣に考えた結論なのね。あたしの思いつきがまた【旦那様】を悩ませてしまったのだわ。

「あたしの柄のシーツも一緒に販売しようと思ったのに」

「……それは許可できない。けど……私の分も用意して……欲しい……」

 え? 本気? 冗談のつもりだったのだけど。

「ねぇ、旦那様、あたしのシーツ、なにに使うつもり?」

「それは……書棚を覆うのに……君を見ながらなら仕事が捗るかもしれないし」

 なんか、それ、凄く危ない人みたいよ。【旦那様】やっぱりものすごくお疲れなのね。

「旦那様、きっと凄くお疲れなのよ。あたしのシーツはみんなダーツの的とかに使いたがると思うけれど、間違っても書斎になんて置いちゃダメよ」

「そんなことはない。君をダーツの的になんて使ったりはしないよ」

 慌てた様子で手を握られる。やっぱり、今日はとってもヘンね。お薬の副作用かしら?

「その、写真も印刷できるのであれば……是非とも等身大のアンジェリーナを……」

「……旦那様? 本当になにに使うの?」

「実物は直視出来なくとも布に印刷された姿なら……」

 本人を前になにを言っているのかしら。

「まだ、あたしが怖い? あたし、旦那様になにか酷いことをしてしまうかしら?」

 あたしの大好きは、【旦那様】には伝わらないのか、迷惑になってしまうのか。

 握られる手が痛い。

「アンジェリーナ……君はなにも悪くないよ」

 声はとても優しいのに、【旦那様】の手はどんどん力を込めてくる。

「痛いわ」

「ああ、すまない。だけど、アンジェリーナ……君はなにも悪くない。だから、落ち込まないで欲しい」

 ゆっくり、名残惜しむように手が離れていく。

 【旦那様】は再び俯いて、それきりなにも口にしてくれない。

 困らせてしまっている。それは、なんとなくわかる。けれども。

 あたしは、いい子でいるよりあたしでいたいと思ってしまう。

 これじゃあ、【旦那様】が怯えてしまうのも仕方がないわね。




 ジェリー侯爵家の大きなお屋敷に戻ると、少し前まで工事中だった別館が仕上がっていた。【旦那様】は軽く中を案内して、すぐに本館に戻ってしまったけれど、この別館は凄すぎる。あたし、【旦那様】がいなかったら本館に戻らなくなってしまうかも。というのも、欲しいものが全部揃っている。

 高性能のミシン、あたしのサイズのボディに【旦那様】のまである。それにジュール様とカロリー様のもあるのね。お名前が入っているわ。壁一面に生地のロールが。使い放題ね。きらきらのストーンやかわいいビーズ、釦だってたくさん。それに目玉はプリンターね。ここならどんな服だって作れちゃうわ。

 けれどもこの別館、これだけじゃないの。ドレスを作れる被服室の他に、工芸室みたいなお部屋と美術室みたいなお部屋がある。しかも道具も材料も驚くくらいたくさん揃っているの。作りたい物作り放題よ。絵の具も画帳も棚にぎっしり。筆もいろんな種類があるし、あたしが使ったことのないような塗料まである。しかも、蓄光塗料まで。凄い。高級品よ。でも残念。この塗料はこっちのお部屋じゃないわね。ドレスにぶちまけた方が素敵よ。

 蓄光塗料を抱えて美術室から被服室に移動する。このプリンター、蓄光塗料をぶち込めないかしら? なんて考えながら、とりあえず使い方のマニュアルらしき物を見るけれど、「専用のインク以外は使用しないで下さい」ってマーカーを引かれているわ。たぶん、これはジュール様の仕業ね。あたしの性格を把握しているみたい。

 仕方がないからプリントの上にペイントをすることにしたわ。スプレーで吹きかけるのもいいかも。出来ることがたくさんありすぎてわくわくしちゃう。

 作業台の上に使いたい素材を並べていく。ジュール様は運動服が欲しいと言っていたけれど、その前に試作品を作ることくらい許されるはずだ。

「やっぱりあたしといったらミツバチちゃんよね」

 蜂の巣のデザインにしよう。そういえば、求婚された日も蜂の巣を頭に挿してたわね。そんなあたしに求婚するなんて、【旦那様】もハチが好きなのかしら? あ、折角ボディがあるもの【旦那様】の分を作ってもいいわよね?

 思いついたら即行動がアンジェリーナ・ハニーよ。

 『端末』はとっても便利ね。画材を持ってこなくても思い通りの絵が描けるもの。

 蜂の巣と蜂蜜。あとはチャームポイントにかわいいミツバチちゃん。

 プリント生地の難しいところはペイントと違って上手い具合に絵柄の方向で生地を使わなくちゃいけないことね。

 黙々と作業に入ってしまったあたしは、一番大事な【旦那様】の言いつけなんてすっかりと抜け落ちてしまった。




「できたー」

 ジャージー生地のリラックスウェア。裾の蜂の巣と右肩に流れる蜂蜜がチャームポイント。背中には一匹だけこっそりミツバチちゃんがいるの。【旦那様】のサイズよ。それに、あたしもお揃いでワンピースを作ったの。お揃いのパジャマってらぶらぶ感があっていいわよね。早速【旦那様】に見せよう。

 そう思って、別館を飛び出した、まではよかった。

「……あれ? お外、真っ暗……」

 嘘でしょ? 夕食までには戻ってきなさいって言われていたはず……うん。別館に泊まり込みなんてダメって言われてたと思う。

「……初日にやらかしてしまったわ……」

 これはきっと【旦那様】もお怒りよね。

「アンジェリーナ……夕食までには戻ってくるように言ったと思ったのだけれど……」

 背後から悲しそうな声が響き、飛び上がりそうになる。いや、実際は浮いてるから飛び上がったりはしないかもだけど。

「だ、旦那様? いつからそこに?」

「……君がいないって、ドナが探し回っていたからね……君の邪魔をするべきではないとは思っているけれど……今、何時かな?」

 悲しそうな表情をしていたくせに、笑顔で訊ねられる。

 怖い。この人絶対怖い人だ……。あたしの一番苦手なタイプのお説教。

「ご、ごめんなさい」

 思いっきり、勢いよく頭を下げる。それ以外に方法が思い浮かばない。

「それで? こんなに遅くまでなにを熱心に作っていたのかな?」

 笑顔のまま訊ねられる。酔っているわけでも、お薬が効いている訳でもなさそうだ。たぶん、怒っているからいつもよりお口が滑らかなんだ。

「ミツバチちゃんのパジャマを作っていました……」

 素直に完成したパジャマを差し出す。

「ぱじゃま?」

 不思議そうに首を傾げ、それから完成品を手に取る【旦那様】は驚いた様子だ。

「これは、なにに使うのかな?」

「寝るときに着るの。旦那様はお休みになるときもあまりいつもと変わらない服でしょう? それに、あたしもお揃いがいいなーって……張り切ったら遅くなっちゃいました」

 怖いよ。凄く怒ってる。きっと。

 びくびくしていると、【旦那様】は興味深そうにパジャマを見る。

「私に? それは嬉しいな。けれど……君の作品を休むときに着るなんて……家宝にしたい」

 え? いや、あれ? あんまり怒っていない? あれ? 今凄く変なこと言わなかった?

「君の作品を着るなんて……勿体ないことは出来ない」

「着ない方が勿体ないので着て下さい」

 そう言えば、【旦那様】はあたしのファンなんだっけ? あんまり実感がないけれど、パジャマは気に入ってもらえたってことよね? やっぱりハチがお好きなのかしら?

「ケースに入れて展示する分も作ってくれるかい?」

 今まで見たことのないほどの勢いで接近してきた【旦那様】に真っ直ぐ見つめられてどきどきする。でも、このどきどき、あたしが欲しいのとは違うやつな気がするわ。

「展示って……服は着てこそ価値があるでしょう? 記念撮影くらいならいいけど……」

「書斎に飾りたい」

 ぐいぐい近寄られても困るわ。やっぱりこれ、凄く怒っているってことかしら?

「これは寛ぐ時用の服なので、飾られるのは困ります。制作者の意図を優先させるべきでは?」

 咄嗟に出たのはアンジェリーナ・ハニーらしくない言葉。たぶん、一瞬前世のさえない男に戻りそうになった。危ない。

「アンジェリーナ……わかったよ……けど……劣化が怖くて着られないよ」

「試作品なので是非劣化させて下さい。耐久度も気になるし、こういうのって劣化する過程も楽しむものでしょう?」

 剥げかけたプリントってのも中々味があるわよね。特に今回は蓄光塗料がぽろぽろ剥がれていくと思うの。

「劣化まで含めて君の作品?」

 訊ねられ、頷く。別にそこまで意図していないけれど、頷いておかないと着てもらえなさそうだ。

「ジュール様には悪いけれど、一番に旦那様に着て欲しかったの。だめ?」

 甘えるように訊ねれば、抱きしめられる。

 あら? 酔っていないのにどうしたのかしら?

「わかったよ。けど……こんなに遅くまで別館に籠もっているのはもうだめだからね?」

 優しく咎められるとどうしても居心地が悪い。【旦那様】は怒鳴ったりしない人みたい。ジーンみたいなくどくどとしたお説教もなし。でも、たぶん今夜は怒らせてしまったのね。怒らせてみたいとは思ったけれど、これは思っていたのとは違うわ。

「……気をつけます」

 でも、たぶんあたしのことだからまた約束を破ってしまうわね。

「もう遅いから、お風呂は明日にして早く休んだ方がいい」

 優しく頭を撫でてくれる。どうして今、撫でてくれたのだろう? あたしがとてもへこんだとでも思われたのだろうか?

「夢中になりすぎていたみたい。おなかぺこぺこ」

「……もう日付が変わっているからね。もう少し早く気付いて欲しかったな」

 【旦那様】は困ったように笑う。

「えっと、いつからお外で待っていたの?」

「寝室に君がいないと気付いてから屋敷を一周して、ここに来たんだ」

 次からは真っ先にここを探されそうね。

「中に入ってきてくれたらよかったのに。もう肌寒くなってきたわ。旦那様はお体が丈夫ではないのでしょう? 気をつけないと」

「別に病弱なわけではないよ」

 いつも『繊細な』を強調される【旦那様】が言ったって説得力がない。そう思うのに、気付けば抱え上げられている。

「旦那様?」

「君の気が変わらないうちに帰ろう」

 どうやら脱走するのではないかと思われたらしい。

「あたし、浮くから! 抱えなくても引っ張れるくらいに浮くから旦那様無理しないで!」

 標準くらいの体重だとは思うけれど、【旦那様】ってあんまり運動をする印象がないから心配になってしまうわ。

「だめ、ほら、もう遅いから大人しくして」

 どこか楽しそうな【旦那様】に圧されてしまう。

 なんだか、小さいときに木登りをしてお父様に捕獲されたときを思い出してしまうわ。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る