16 あたしを利用する気満々ね。
一体なにを訊かれたのか理解できない。どこから来たって。そんなの決まってるじゃない。
「旦那様のお屋敷からよ。それとも、ハニー伯爵家と答えるべき?」
どこから来たかなんて、お家からに決まっているわ。おかしなことを訊ねるのね。
「そう言う意味じゃないよ」
ジュール様はうっとうしそうに溜息を吐く。
「僕はね、君が転生者なんじゃないかって疑っているんだ。実際、君の行動や発言には我が国とずれた認識が多いからね」
転生者? つまり生まれ変わったというか、前世の記憶があるとかそう言う話かしら?
「そうね。あたし、前世の記憶があるわ。でも、今はアンジェリーナ・ハニーよ。あ、結婚したからジェリー姓ね。まだ慣れないの」
だってもう十九年もアンジェリーナ・ハニーなんだもの。
それにしても、ジュール様はどうしてそんな突拍子もないことを考えたのかしら。まぁ、あたしの他にもそう言う人がいないとは言い切れないものね。もしかするとこの世界にはそういうのが多いのかもしれない。
「どこから来たの? 職業は?」
静かに訊ねられるけれど、少し警戒されているようにも思える。
「それって前世の話?」
「そう」
「日本よ。つまらない公務員だったわ」
そう答えると、彼は大袈裟に驚いた表情を見せる。
「正気かい? 君の性格で公務員が務まるとは思えないけど……」
今すごく失礼なことを言われた気がするわ。でも構わない。今のあたしは前世のあのさえない男とは別人だもの。
「前世のあたしってとっても気が弱かったから親の言いなりで妹にこき使われて嫁に蔑まされて生きていたの。だから今は自分のやりたいことをぜーんぶやるわ。だってこんなにかわいく生まれ変わったのよ。両親も兄も協力的だったし、あたしでいるって最高。もうなにも我慢なんてしたくないけど、旦那様の為なら少しくらいは我慢してあげてもいいわ」
完全に上からの言い方だけど、でも、アンジェリーナ・ハニーはそういう女よ。やかましくて派手で楽しくて傲慢。世界で一番自分が好きなんだもの。自分を優先させて当然よ。
「ちょっと待って……え? 君……前世は男なのかい?」
あら? ジュール様、食いつくのはそこ?
「そうだけど、それが何か問題かしら? あたしは今のあたしを受け入れているし楽しんでいるわ。前世は確かにさえない男だったけど、別にあの男は同性愛者じゃないわ。ただ、ちょっとハイヒールを履いて歩くのが好きだっただけ。でも気まぐれで自分の顔に絵を描いたら美女になったから調子に乗って女装して歩いたらそのままくたばってあたしになっちゃったみたいなの」
ジュール様から表情が消える。そして彼も【旦那様】に負けないくらい硬直している。
どうもこの国の男性はよく硬直するみたいね。想定外の事態に弱いのかしら。
「……いろいろ濃すぎて驚いたが……今の君は女性?」
「そうよ。でも男にもハチにも蠅にもなれるわ。あたしはいつだってなりたいあたしになれる。美しくもかわいくもヘンにもなれるの」
そう答えると、ジュール様は笑い出す。
「君は……本当に面白いな。君は特に前世の知識を悪用しようとかは考えていなさそうだし、僕たちの理解者になってくれると思う。確かめたくて声を掛けたんだ」
僕たちの? それに、前世の記憶ってはっきり言ったわ。
「僕も、転生者だ。前世はモデルだったのもあって着る物には少し口うるさいよ。でも、自分で作るのはからっきしでね。カロリーに頼んで作ってもらうこともあるけど、僕は選ぶことは出来ても、自分でデザインする能力はないみたいなんだ。だから、君の斬新な思考が欲しい。どんな服でも着こなす自信はあるけどね」
また完璧な笑顔に戻る。うん。すごく完璧な笑顔よ。そしてあたしを利用する気満々ね。
「アンジー、試作品とは言え最新の『端末』を君に用意するし、プリンターだって最新の、最高の物を手配した。材料だって必要な物は必要なだけ渡すよ。だから、着やすくて動きやすい服を……肩が凝らない服を作ってくれ」
え? 肩が凝らない?
「この世界の装いは……特に貴族なんて、無駄にパーツの多い服が多いだろう? 重いんだよ。いろいろ。僕は身長もあるからその分生地も使うし、もっと気軽に一人で着替えられる……くつろげる服が欲しい……」
すごく切実そうに言われても困る。
「あたしはぶかぶかの服を作ってくつろぎスタイルにしてるけど……さすがに旦那様の前でその格好はかわいくないかなと思ってなるべくかわいく見せる服を考えてるけれど、ジュール様はくつろげる服なの? パジャマみたいな?」
「パジャマ! いいね。高級素材の寝衣が落ち着かない。無駄に透ける素材なのはなぜかと疑問を抱いているところだったんだ。綿素材の寝衣は確かに恋しい」
それこそ自分の婚約者に頼めばいいのに。
ああ、そうだ。プリンターの出番だ。
「かわいいプリントのパジャマを作ればいいのね」
単色じゃ寂しいもの。
「黄色のボーダーは遠慮したいよ。それこそ罪人みたいだ」
「そう言えば黄色も文化によっては罪人の色ね。まぁ、蜂蜜泥棒にはぴったりかもしれないけれど」
ハニー伯爵領は元は養蜂で栄えた地だ。あたしがハチのモチーフを好むのもそれが由来なのだけど、ジュール様は気に入らないのかしら?
「ワンポイント程度ならいいけど、君みたいに全身ボーダーは避けたい」
「ジュール様の前でそんな格好してたかしら?」
「ジルが君に求婚した場面、僕も目撃してるからね。直前にいつもの倍以上飲んでるところも」
やっぱり酔っ払った勢いで求婚していたのね。
「旦那様はなにかの罰ゲームであたしに求婚してきたのかしら? そうじゃなきゃ、酔って理性がなかったとか? だって、頭に蜂の巣を挿した変態に求婚なんて普通はしないわ」
「……自分でそれを言うのかい? 気になるならジルに直接聞けばいいよ。話がとても長くなると思うけれど……うん。彼が酔う度に何度聞かされたか……」
ジュール様は頭痛がすると頭を押さえる。
「ジュール様はどうして前世の記憶があるのかわかるの?」
訊ねてみる。彼の前世はどんな人だったのだろう。やっぱり、同じように抑圧されていたのだろうか。
「さあね。気がついたらこの国に生まれていたし、前世のマンガによくあったような転生者の使命やらなんやらには今のところ遭遇していないな。アンジーは? そういうのはあったかい?」
転生者にはなにか使命があるものなのだろうか? 生憎マンガとは無縁の生活だったからよくわからないわ。
「さあ? あたしが今するべきなのは旦那様にかわいがってもらう為の努力だけだからそんなことは気にしたことがないわ」
近頃【旦那様】は元気がないもの。アンジーが元気にしてあげないと。
「アンジー……君は……なんというか、本当に……フリーダムだね。普通生まれ変わったら少し焦ったり、自分が特別なんじゃないかと考えたりするんじゃないのかい?」
「あたしはもともと特別だもの。あたしはアンジェリーナ・ハニーというとても恵まれた器に生まれたし、前世で活かせなかった芸術の才能を余すことなく発揮しているわ。前世で出来なかったことを全部出来るのよ! いや、訂正、いちゃらぶ結婚生活はまだちょっと遠いわね。あたしは、前世の分も幸せになりたい。それだけよ」
あのさえない男が手に入れられなかった物を全部手にしたい。少し情けないけど、結局はそういうところなのよね。
ハニー伯爵家の両親は、アンジェリーナの奇行に頭を抱えながらも決して彼女を無理に抑圧しようとはしない。兄のジーンは優しく支えてくれる。かわいい服も、お化粧も、それにあんなに馬鹿にされたハイヒールも。全部アンジェリーナにぴったり。それに、素敵な友人だっている。作りたい物は作りたいと思ったときに作り始められるだけの環境も、実力もある。諦めようと思っていた結婚だって……。
「あたし、これでも旦那様のこと大好きなのよ」
「それはわかるよ。ふふっ、転生してきたのが君のような人でよかったな。下手に欲があるやつだと国が危険だったかもしれない。ああ、ジルの分も『端末』を用意してあげるから、君が使い方を教えてあげておくれ。彼はああ見えて……流行に疎いというか、新しいものを受け入れるのが少し苦手な男でね。環境が変わると慣れるまでにとても時間が掛かってしまうんだ」
ジュール様はそう言って、どこからか薄い板のようなものを二つ取り出した。
「こっちはアンジー用。絵も描ける。こっちはジル。こっちは絵は描けないけど写真を撮ったり送ったりできるよ」
この薄い板で?
「どうやって? え? どうなってるの? なんで? カメラはもっと厚みがあるでしょ?」
だってこの『端末』は少し厚めのノートくらいの厚さしかないわ。それに大きさもノートくらいね。ちょっと落書きをするには丁度良さそうな大きさ。
「え? アンジー……君、前世は日本人だって……え? スマホがない時代の人?」
「すまほ?」
知らない単語。え? もしかして……この人ミレニアム世代? 嘘でしょ? あたしより年上に見えるのに。
「……アンジーの時代って携帯電話はあった?」
「ええ。デジカメと同じくらいの写真を撮れる機種もあったらしいけど、あたしは通話とメールさえ出来れば問題なかったから」
そう答えると、ジュール様は頭を抱える。
「……参ったな。使い方を最初から教えないといけないかな? 実はこれ、通話は出来ないんだ。文章のやりとりと、画像のやりとりはできるよ。チャットはわかる?」
「ええ」
「それに似たような感じだと思ってくれればいい。書き込んだらすぐに反映されるし、みんながそれを見ることが出来る。個人とやりとりをしたいときは、こっちの手紙のアイコンを選択して誰に送るかを選ぶと、あとはメールと同じ感覚かな?」
すごい。こんな物が持ち運べるのね。
「旦那様の分もあるってことは、あたし一日中旦那様にメールを送ることも出来るってこと?」
「それは迷惑行為になるんじゃないかな?」
ジュール様は笑っているけどこれはきっと呆れているのね。
それから『端末』の詳細な使い方を教えてもらう。絵の具がなくても絵が描き放題という画期的な道具にとても感動したけれど、その分とても魔力の消費は大きいらしい。ジュール様は別な箱を説明する。
「まぁ、充電器みたいなものかな? 魔玉を入れてその上に『端末』を置くとまた使えるようになるよ」
なるほど。貴族か一部の金持ちしか使えないと言われた意味がわかったわ。本体の入手経路が不透明なこともあるけど、これ、維持費がとってもかかる。
「ああ、僕の連絡先も登録しておいたから、アンジー、服のデザインが出来たらまずデザイン画を送って欲しいな」
「はぁい」
これ、しばらく遊べそう。寝転んでも絵が描けるなんて最高ね。わくわくしながら『端末』を起動した瞬間、後ろで思いっきり扉が開いたからびっくりして付属のペンを落としそうになってしまった。よかった。浮く魔力持ちで。落ちる前に持ち物も浮いてくれるわ。
「アンジー! いくらなんでも長すぎる。大丈夫? なにもされてない?」
ああ、【旦那様(泥酔)】だわ。ちょっと目を離した隙にどれだけ飲んだのかしら? 痛いくらいきつく抱きしめられたのでさっさと腕から抜け出す。あたしの腕に異常が出たらどうしてくれるのよ。芸術家よ。
「人聞きの悪いことを言わないでおくれ。僕はただ、アンジーに試作品の使い方を教えていただけだよ。ねぇ?」
前世の話は秘密だよとでも言うように、ジュール様は口元に指を当てる仕種をする。
「あっ、ジュール様、旦那様の分の『端末』にあたしの連絡先を登録するにはどうしたらいいの? あたしを一番最初にしてくれなきゃ嫌よ」
だってあたしの【旦那様】の『端末』だもの。
「ああ、それなら、『端末』の上に『端末』を重ねればいいんだよ」
「え? それだけ?」
「それだけ。まだ試作段階だからそのあたりのセキュリティが整備できていなくてね……放置しておいたら勝手に知らない人の連絡先が登録されている、なんてこともあるかもしれないから気をつけて。まぁ、君の『スタジオ』は誰でも見られるからそこから連絡してくる人もいるとは思うけど、夜会での会話と一緒だよ。興味がなければ無視すればいい」
さらりと酷いことを言っているわね。でも、それってつまり。
「旦那様は夜会でも大人気だから……だめよ。やっぱりこれ、旦那様には持たせられないわ。旦那様は律儀だからあたしに構ってくれる時間が減っちゃう」
これいらないと【旦那様】の分の『端末』をジュール様に返そうとすると、ジュール様は腹を抱えて笑い出す。
「アンジー……君は本当に……子供みたいな嫉妬をするんだね。ああ、カロリーもそうやって妬いてくれたらかわいいのに」
相当彼にとっては面白いことだったらしい。涙が出るほど笑っている。
「アンジー、本当にジュールになにもされていない?」
「今ものすごく馬鹿にされた以外はなにもされていないわ」
心配そうな【旦那様】には悪いけれど、特に面白いこともない。
ただ、あたしが最新のおもちゃを手にしてしまっただけだ。
「あたしも旦那様のお顔のパジャマ作ろうっと」
ペイントだったら一点一点描かなきゃいけないから大変だし、インクの種類によっては着心地が悪いけれど、プリントだったらお気に入りの肖像で作り放題だわ。
「……アンジーは私の顔を描くのが好きなのかい?」
「ええ。家族の顔を描くのは普通でしょう?」
前世のあのさえない男はしなかったけれど、家族が大切なら描きたいと思うのは普通のことのはずだ。
あれ? どうしてまた硬直しているのかしら? 【旦那様(泥酔)】はいつもより激しいはずなのに、なにか変よ。
震えている?
「旦那様? 大丈夫? お酒を飲み過ぎたせいよ。チャド! 旦那様が大変! どうしよう!」
慌てて呼ぶのがチャドのあたり、あたしも少し動揺しているのかもしれない。
【旦那様】は大丈夫だよと口にするけれど、どうもあやしい。
今日は大人しく休んでもらうことにするわ。
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