14 お客様とハイヒール


 夕食の席には少し落ち着いた【旦那様】の姿があった。けれども言葉数は少なく、ただ、明日、来客があるとだけ教えてくれた。客人に会いたくなければ部屋に籠もっていてもいいし、ハニー伯爵家の屋敷に泊まりに行っても構わないとまで言われてしまったのは少し驚きだ。

「伯爵家の屋敷に行ったら帰ってこなくなってしまうかもしれないわよ? いいの?」

 思わず訊ねると、【旦那様】はフォークを落とし硬直してしまう。

 ああ、また困らせてしまったわ。

「ご安心下さい、旦那様。アンジェリーナ様は明日の夕方には私が連れ帰りますから」

 アーノルドが宥めるように言う。それはまるであたしがハニー伯爵家の屋敷に帰ることが決定事項みたいだ。

「別に帰らないわよ? 少しでも旦那様と一緒に居たいし、お客様にも興味があるわ。どんなお方?」

「高貴なお方です。失礼がないようにアンジェリーナ様にはどこかへ行って頂きたいのですが」

 あたしには全く礼儀を思い出せないアーノルドは本当に失礼ね。あたしこれでも一応侯爵夫人なのよ? 一応だけど。

「私の友人が私的に会いに来るだけだよ。アーノルド、アンジェリーナを追い払うようなことは言わないでおくれ。彼女の行動は誰にも制限されるべきではない」

 優しい声が響く。どうやら復活したらしい。

 それにしても、【旦那様】は本当に不安定だ。どうしてしまったのだろう。

「あたし、明日はお買い物に行く予定なのだけど、お客様はいつごろいらっしゃるの?」

「夕食にお招き……させられてしまってね……」

 あれ? とても不本意そう。まるで胃が痛むと言わんばかりの仕種で胸元を押さえている?

「本当にその方は旦那様のご友人なんですか?」

 これはあたしでなくたって訊ねるだろう。だって、【旦那様】の顔色がどんどん悪くなっていくもの。

「……古い付き合いではあるのだが……少し変わったお方でね……」

 言葉を濁す。が『変わったお方』? その人はあたしよりも変人なのだろうか?

「その方とあたし、どっちが変人?」

「アンジェリーナ……そう言う意味じゃないよ。その、彼は……ふくよかな人が好きでね……とにかく他人に食事を勧めたがるんだ。食べきれないほどの量をこんもりと……私はあまりたくさん食べる方ではないから……少し苦痛に思ってしまうよ」

 それを言うなら【旦那様】だってチャドにたくさんシャーベットを食べさせるのが好きよね。

「その方は食べ物を無限に生み出す魔力でもお持ちなのかしら?」

「いや、それはないよ。ただ、きっと君にもとてもたくさん食べさせたがると思うから。特に甘い物をたくさん……それこそ山のように……」

 それは乙女の夢ね。テーブルに沢山色とりどりのケーキ。全部独り占め出来るなんて最高よ! とは思うけれど、現実はそんなにたくさん食べられないわね。

「食べられないなら無理に食べる必要はないわ。残ったら、メイド達が喜んで食べるもの。特に、ドナは甘い物が大好きだからデザートの残りは喜ぶと思うわ」

 使用人達も上質な食事を与えられているとは言え、やはり貴族の食べる甘味となると話は別だ。

「旦那様のシャーベットもメイド達には好評だし、たくさんあるならみんなを招いてわいわい食べるのもいいと思うけど」

 あれ? あたしまた変なことを言ってしまった? 【旦那様】がとっても沈んでいるように見えるけど。

「……アンジーは…………シャーベット……」

 消え入りそうな声が聞こえた気がする。けど、詳しい中身が聞き取れない。

「旦那様?」

 今の会話のどこに傷つける要素があったかしら?

「あ、使用人と一緒に食べるのは侯爵家としては問題だったかしら?」

「……いや、アンジェリーナが望むなら……お客様の居ないときなら構わないよ」

 額に手を当てながら【旦那様】は答える。

 だったら、なにがそんなに彼を傷つけてしまったのだろう。

 この夜、【旦那様】は寝室に来てはくれなかった。




「アンジー!」

 ハイテンションで両手を振って迎えてくれるのはクリスだ。

 今日は二人でショッピング。いや、メイドが三人同行しているけど。

「今日が楽しみすぎで眠れなかったわ」

「そう? まずはヒールを買いに行きましょう。それから、ドレスの生地ね。ヒールを選ぶときは伸縮性が大事なの。たくさん履いて歩きやすいのを選ぶのよ」

 あたしはある程度高さのあるヒールが好きだけどヒールが怖いなら低いのでもいいと思うわ。あたしは十センチのフレンチヒールが好きだけど、靴って人によって歩きやすさも違うから、とにかく履いて試すしかないのよね。

「アラン、彼女にぴったりのヒール探すの手伝って」

 すっかり馴染みの靴職人、アランに声を掛ける。

「アンジーが来たってことはまためんどくさい特注があるってことだろ? で? 彼女って、どこに居る?」

 赤毛の堅物そうに見えるアランは職人気質で髭もじゃだけど、いい人よ。あたしの趣味もめんどくさいとは言うけれど否定はしないで付き合ってくれる。

「ここに居るじゃない。素敵なレディが。あたしの妹のクリスティーナ・ハニーよ」

「妹って……いや、もう、アンジーが言うなら妹でいい。足の大きさは?」

 アランは少し諦めたような様子でクリスに手招きをする。

 クリス、結構足大きいから特注になるかもしれないわ。なんて考えたけど、アランのお店は王都で一番品揃えがいいの。男性サイズのハイヒールも勿論ごろごろごろごろあるわ。

「最近は足の大きなご婦人も多くてな。しっかし、巨体でヒールを履こうとするご婦人には参る」

 アランは溜息を吐きながら愚痴をこぼす。

「巨体でヒール?」

「ああ。侯爵家のご令嬢なんだが……身長の割に体重があるというか、足の大きさの割に体重があるというか……細いのばかり選ぶから……ああ、店の商品を五足ほどだめにしてくれた」

 それはすごい。しかしそれだけではないらしい。

「まだヒールが流行中だからな。殿下の靴を作れと命じられたときは……死を覚悟した」

 アランはお客の前では話しちゃいけないだろうに、あたしの前だとうっかりお口が滑らかになっちゃうのね。

 アランとはそう短い仲じゃない。あたしが十三の社交デビューの歳にどうしても気に入る靴がないから特注しようと職人を探しているときに出会った。自慢のドレスとデザイン画を持って。

 彼は一目で面白いと思ってくれたのだろう。文句も言わずにぶかぶかの革靴を作ってくれた。あれは今もあたしのお気に入りよ。ちょっと小さくなってぶかぶか感が足りないけど。

「大体あの体重でハイヒールで歩こうって言うのが無茶なんだよ。むしろなんで歩けるんだよ」

 アランはぐちぐちと言い続ける。つまり、我が国の二人の殿下を貶している。これは投獄されても文句は言えない。

「太っていることは美を諦めることじゃないわ。確かに安物の靴だと危険かもしれないけれど、あなたぐらい立派な職人が作った靴なら大丈夫でしょう? それに、美の価値観は人それぞれよ。アラン、あなたが痩せ細った人を美しいと感じるからと言って他の人も同じとは限らないわ」

 我が国の二人の殿下、いや、我が国には一人の王子と三人の王女がいるのだけど、そのうち二人の王女はとてもふくよかな女性らしい。あたしはあまり他人に意識が向かないから、夜会で会っていたとしても記憶に残っていないけれど、コートニーは「よくあれで歩けるものだと驚いてしまいましたわ」なんて言っていた。何でもコートニーの三倍は横幅があるらしい。それはいくらなんでも盛っていると思ったけれど、その日のあたしはボディラインなんてあったもんじゃないというほどボリュームたっぷりに膨らませたドレスを着て竹馬に乗っていたから真相を確認する気力もなかった。

 とにかくアランは、噂の王女二人を貶している。これは問題だ。

「まぁ、我が国の王子殿下は女性は体重が百三十キロを超えてからが美しいと常日頃から公言しているお方だからね」

 クリスは困ったように笑う。会話に混ざっていい物か悩んでいるのだろう。

「旦那様もふくよかな女性の方が好みなのかしら? だとしたら増量を頑張らないと」

 けれども体重を百キロ以上にするとなると生まれ持った才能が必要になる。あたしにその才能があるかはまだ未知の領域ね。試したことがないもの。

「アラン、効率よく太るにはなにを食べたらいいかしら?」

「……それこそ王子殿下に訊け。『端末』で質問すれば気さくに答えて下さる方らしい」

 『端末』? なんだろう。聞き慣れない言葉ね。

「『端末』って?」

「最近若いやつの間で流行ってるんだよ。文字のやりとりや写真の共有が出来るらしい」

 それは、前世の携帯電話のようなものだろうか? メールや写真のやりとりが出来るってこと?

「なんでも『スタジオ』とやらに自分の自己紹介を書き込んだり不特定多数に今なにをしているかやどんなドレスで買い物に出かけるか、なにを買ってきたかなんて写真を公開出来たりするらしいぞ」

 貴族や一部の金持ちで流行っているだけだがと彼は付け足す。

 うーん? 微妙にあたしの前世よりも発展している?

 あたしの前世ではやっとデジカメと同等の写真を取れる携帯電話が登場したところだったはずだ。仕事で通話とメールしか使わなかったあのさえない男にはあまり関係のない話だ。

「それってどこで買えるの?」

 楽しそう。何より、他人の噂話を覗けるなんてアイディアの宝庫だ。

「さあな。コネがないと入手出来ないらしいから俺みたいな庶民は入手経路なんて知らねーよ」

 そんな雑談をしている間に、クリスにぴったりの靴が見つかったみたい。

「ストーンをたくさん貼ってきらきらさせたらもっと素敵だと思うの」

「俺の自信作に手を加えようとするな」

 あーあ、アランのこういうところ嫌いよ。デザイン画を持ってオーダーするか彼の作った状態そのままで履くかどちらかにしないととっても不機嫌になるのよね。

「アンジーは歩かないからいいかもしれないが、他の客は、手を加えて怪我でもされたら俺の責任になるだろ」

 なるほど。正論だ。

「じゃあ、これと同じ大きさのきらきらのも作って」

「仕上がりは二週間後だな」

 あっさりと作ってくれるらしい。

「じゃあ、あたしもー、旦那様にたくさん可愛がってもらえるようなお靴作って」

 今日はデザイン画持ってきてないけど、アランなら無茶ぶりすればなんとかしてくれると信じているからこそのオーダーだ。

「お前な……流石に無茶だろ。つーか、旦那様って?」

 呆れ顔で訊ねられてしまう。

「あれ? 言わなかったっけ。あたし、結婚したの。噂の優良物件、ジェリー侯爵と」

「は?」

 アランが固まる。

「いや、冗談だよな? あの競争率がやたら高い……無駄にきらきらした感じの……いや、そういやアンジーのデザインの靴を買っていったことがあったか?」

 無茶ぶりだけだと可哀想だから時々あたしのデザインの靴の販売許可をあげている。

「あれ? 紳士靴って許可出してたっけ?」

「いや、婦人用」

 え? どういうこと?

 あたしのクローゼットにはそんなのなかった……。

「旦那様に愛人がいるの? そんなの聞いてない!」

 だって女に靴を買うってそういうことよね? 愛人がいるからあたしのことは可愛がってくれないの?

「いや、妹や姉にかもしれないだろ」

「旦那様に姉妹はいません」

 そんな話聞いたことがないもの。

「アンジー、ジェリー侯爵なら……アンジーの作品が気に入って飾ってるだけかもしれないし……」

 クリスはそんなことはありえないと知りつつあたしを慰めようとしているようにしか聞こえない言葉を口にする。

「あたしの旦那様にあたしより可愛がられているやつは全員敵よ!」

 普段のあたしなら絶対に言わない言葉を叫んでしまった。


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