12 アンジェリーナ・ハニーという魔法



 壁にぺたぺたと絵の具を塗ったくっていると来客があった。

 既に作業二日目の大作はまだ下塗りの段階だけど、あたしの心境を表すには十分な段階だとは思う。

「アンジー、相変わらずすごいね。こんなに大きいのを一人で描くなんて」

 来客、クリスは驚いたように言う。

「あたしの魔力は浮くことしか出来ないけど、大きな絵を隅から隅まで描くのにはちょっと便利なの。逆さまになって浮くと角までしっかり描けるわ」

 今日は髪が邪魔にならないようにベティに編み込んでもらっている。少し幼く見えるかもしれないけれど、それはそれでいいことにする。だって逆さまになっても髪が崩れないもの。

「浮く魔力は便利だね。僕の魔力ももう少し使い道があればいいのに」

 クリスは笑うけれど、彼女の魔力は雷。とても珍しく強力な魔力だし、純粋に熱エネルギーにも利用できるからとても恵まれた魔力だ。

「あたしはクリスの魔力もちょっと欲しいって思っちゃうわ。純度の高いエネルギーでしょ? コートニーみたいな仕掛けのドレスを動かすときとかに便利だもの」

「アンジーはいつも実用重視だね」

「魔力って一人に一つだけなんでしょう? この便利な魔力を手放さなきゃいけないなら他は望まないわ。旦那様のはちょっと羨ましいけど」

 無限にシャーベットを出せるなんて。あんなに美味しいやつをただで食べ放題。あたしなら王都に店を構えてぼろ儲けを企んじゃうのに彼はそれもしない。ただ、親しい人に振る舞うだけ。それは少し勿体ない。

「旦那様? ジェリー侯爵の魔力はそんなにすごいの?」

「ええ。王都の専門店も敗北を認めざるを得ない美味しいシャーベットを生み出す魔力よ」

 どう? すごいでしょうと胸を張って言えばクリスは一瞬固まる。

「え? それだけ? 他になにかあるとか? 食品を冷凍保存できるとか」

 クリスだって十分実用重視で考えてるじゃないの。

「シャーベットを生み出すだけって聞いたけど、でもすごいのよ! 食べても食べても減らない美味しいシャーベットは置きっぱなしにしても溶けないの!」

 すごく美味しいんだからと言っても、クリスは呆れるだけだ。

「まぁ、アンジーが嬉しいならそれでいいと思うよ。それより、前に頼んでいたことなんだけど……」

 クリスは遠慮がちに本題に入ろうとする。

「絶世の美女になりたいって?」

「うん。本当に出来る?」

「勿論。クリスはもう十分に美しいわ。それに、変身する覚悟もある。さぁ、胸張って美女らしく歩きましょう!」

 パレットを壁に貼り付けて筆を置く。戻ってきたときには固まっちゃうかもしれないけどそれはそれでいいことにしよう。

「まずはどんな風になりたい? 任せて。何でも作るから」

「アンジーみたいになりたい。すごく自由で、自分を大好きって言えるように」

 あらあらあら……そんな嬉しいことを言ってくれるなんて悪い妹ね。

「任せて。アナ、ドナ、クローゼットを開放して頂戴!」

 二人に指示をして、部屋に入る。

「奥様、流石に男性をお部屋に入れるのは」

「メイドがたくさん居るから大丈夫よ。それに、クリスは女性よ。間違えないで頂戴」

 全員に説明をするのはめんどくさい。

「僕の事、女性として扱ってくれるのはアンジーだけだよ」

 クリスは少し嬉しそうだ。

「あら、本人が女だって言ってるんだもの。そう扱うのが普通でしょう? あたしはあたしだけど,なろうと思えば男にもなれると思うし、蠅にも豹にもなれるわ」

 そう答えればクリスは笑い出す。

「アンジーらしい。いいなぁ。そういうの」

「でしょう? まずは靴からかしら。ヒールを履くと背筋がしゃんとなるし、一気に女らしくなると思うわ」

 それに慣れるまでは少し大変だから早く慣らさないと。

「クリス、靴のサイズどのくらい?」

 滅多に履かない室内履きを拾ってクリスの靴と比べてみる。あ、この子足がめっちゃ大きい。

「……ねぇ、クリスが履けそうな靴ない? こんなにたくさんあるけど」

「全て奥様の為に用意した物なので他のサイズは用意されていません」

 きっぱりと言われてしまう。

 仕方がない。作るか。

 作る? え? 待って。あたし、靴は作ったことがないわ。

 だって専門の職人に任せきりだもの。

「……鞄までなら作ったことはあるけど……靴は作ったことがないわ」

「大丈夫。靴はちゃんと買うから……うん。王都に行けばたぶん……そういう変わった人他にもいるよね?」

 クリスは不安そうに言う。やっぱり一人でハイヒールを買いに行くのはハードルが高いかしら? そもそも我が国は遅れているのよね。男がヒールを履いちゃいけないなんて決まりはないのに男性に見える人が女性への贈り物以外でヒールを買うなんて悪意を持った噂を流される覚悟をしないとできないことよ。

「一緒に買いに行く? 旦那様には特に外出は禁止されていないし。ついでに王都で珍しい画材がないか探してみたいわ」

 それに、コートニーのあのドレス。セロファンみたいな不思議な生地は気になっているのよね。

「本当? アンジーが居てくれると心強いよ」

 クリスはほっとした様子を見せる。

「頼って。あたしはクリスティーナの姉として精一杯頑張るわ」

 でもクリスティーナ・ハニーってなんか少し物足りないわね。ミドルネーム? 完成するまでになにか付け足せないか考えないと。

「とりあえず、まずはどんな感じになりたいか考えないとね。あたしは、キュートにもセクシーにもゴージャスにもヘンにもなれるわ。なりたいと思ったらその姿になるの。とっても楽しんでるわ」

「うん。アンジーならそうだと思うよ。僕は……ゴージャスになりたい。ゴージャスで魅惑的な感じ」 

 ふむふむ。ゴージャス路線か。なるほど。

「おっぱいは? いる? おっきい方がいい? それとも控えめ?」

 女装するときは結構重要なポイントよね。昔はこれでもかってくらい詰めたバイーンとしたスタイルが流行ったみたいだけど、最近はパットなしの中性的なのがいいのだとか。あたしの前世のさえない男はブラジャーの中に靴下を詰め込んだ状態でくたばったんじゃないかしら。恥ずかしい。かっこ悪いわ。せめてパットを入れておくべきだったわね。

「えっと……」

 クリスは恥ずかしそうに視線を逸らす。

「女らしい体型作るのには必要な場所でしょ? あたしだって、たまには詰め物するわよ?」

 求婚された夜はそれこそ胸の下に小さな枕みたいな詰め物をして上げていた。もしかして、思ったより胸がなかったから幻滅されてる? いや、それはないでしょ。この変人に求婚した人が。

「……やっぱり……大きい方が……」

 消え入りそうな声でクリスが答えた。

「大きいってどのくらい? メロン? スイカ?」

 あ、【旦那様】のメロンシャーベット食べたいなぁ。少し寒くなってきたけどやっぱりあれ美味しいのよね。

「不自然じゃない程度に大きく……」

「なるほど。お尻も詰めればいい体型作れると思うな」

 補整下着って締めるだけじゃないのよってことをまずはわかってもらわないとね。

 本当はシリコンの胸当てがあるといいのだけど、生憎あたしはそんな物を使わないので今日は詰め物で形を見る程度にしておく。

「アンジー、体型の補正にすごく詳しいのね。普段からしているの?」

「そりゃあ、やっぱり少しでも旦那様にかわいく見てもらいたいもん」

 寝衣で出来ることは限られているけど、セクシーに見せたりかわいく見せたりいろいろやってみたはずだ。けど、反応はイマイチなのよね。

「あたし、かわいいわよね?」

「勿論。アンジーはいつも自信に満ちあふれていてそういうところすごく素敵だと思う」

 面と向かって褒められると少し照れるわ。

 あたしはクリスのことをとても素敵な人だと思っているわ。よく話を聞いてくれるし、あたしのことを否定しないでくれる。少し自分を愛せていないのが気になるけれど、それはきっとたくさん抑圧されてきたせいね。

「あなたが自分をもっと大好きになれたら、きっとコートニーだってあなたのことを好きになってくれるわ」

 あたしは別にコートニーのことは嫌っていない。ただ、好きじゃないだけだ。彼女の過度な自信もある程度は認めている。ただ、あたしの好みじゃないだけ。自分を好きな人って輝いているわ。だから、あたしは常に輝いてる。

「クリスティーナは輝きが足りないのよ。もっと自分大好きって毎日感じなきゃ。自分を愛せなきゃ他人を愛せないわ」

 あたしはあたしが大好きだから、あたしの大好きなあたしを【旦那様】にも好きになって欲しい。

「アンジー……でも、難しいよ」

 クリスは困ったように笑う。

「魔法を掛けてあげる。座って」

 ドレッサーの椅子を指す。

「魔法って?」

「あたしね、昔は自分のこと大嫌いだったの。でも、ある日なんとなく自分の顔に絵を描いてみたら、理想のあたしだった。それからあたしは世界で一番あたしが好きなアンジェリーナ・ハニーになったの」

 嘘ではない。あのさえない男が自分の顔にアンジーを描いて女装して出かけたらその姿のままくたばっちゃって気がついたらアンジェリーナ・ハニーに生まれ変わっていただけ。

「やっぱりアンジーはすごいよ。アンジーがアンジーを嫌っていたなんて想像もつかないもの」

「大事なのは自信よ。あたし、いつも自分が一番だと思っているもの。そういう思い込みみたいなのもすごく大事なの」

 化粧道具をかき集めてクリスティーナに魔法を掛けていく。

 ゴージャスな美女。ちょっとダークできらきらした感じがいいかしら。

 クリスの顔はよく馬に似ていると言われるけれど、面長ですっきりした輪郭なのよね。とてもいい形だと思うわ。

「ウィッグも重要よ。プラチナブロンドがとっても似合うと思うのだけどどうかしら?」

「素敵。今日は全部アンジーに任せてもいい?」

「勿論」

 びっくりするくらい変身させてあげるわ。 

 きっと、鏡を見て自分が大好きになるはずだから。












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