6 とても美味しいシャーベット



 創作意欲が赴くまま、大作ができたと思う。我ながらとても良い出来だ。

 それに夫を描くなんて、すごくラブラブ感があって好ましい。まぁ、一方的な物だけど。

 作品も仕上がったし少し寝ようと寝室に入るともう日が昇っており、丁度【旦那様】が目覚めたところだった。昨日のことがあるから、少しくらいは可愛がってもらえるかもしれないと期待してしまう。

「おはようございます。旦那様。今日もアンジーをたくさん可愛がってくださいませ」

 それはもう、勢いよく、ぎゅーっと抱きつけば【旦那様】は一瞬呻き、硬直する。構わず擦り寄り様子を観察するが、動く気配はない。

 どうやら深呼吸をして落ち着こうとしているようだ。

 そしてようやく、彼の口が開かれた。

「アンジェリーナ、離れてもらえないか? これでは動けない」

 少し震える声だったが、初めてまともに話しかけられたかもしれない。素面だとこうなのだろうか。

「ごめんなさい。でも、旦那様が声を掛けてくださって嬉しいわ」

 大人しく従い彼から離れる。

 瞬きを繰り返し、目が合うと視線を逸らす【旦那様】はやはり昨夜の彼とは別人に思えてしまう。

「ジュリアン様、朝食は執務室にお運びしてよろしいでしょうか」

 扉の向こうで聞こえるのはアーノルドの声だ。

「あ、ああ。それと、見積もりを確認する」

 彼はゆっくりと立ち上がり、軽く伸びをする。

「あ、旦那様。絵が仕上がりましたの。一番に見て頂きたくて」

 こっちよと彼の手を引けば、また硬直されてしまう。

 やりづらい。非常にやりづらい。あのきらきらしすぎの彼もなにを考えているのか理解できなくて居心地が悪いが、こうも硬直を繰り返す【旦那様】と友好的な関係を築けるかも不安だ。

「ここ最近で一番の自信作ですわ」

 ばーんと【旦那様】に絵を見せるが彼は数回瞬きを繰り返すだけでなにも言葉を発してくれない。

「あ、あの……お気に召しませんか?」

 作品が目的で求婚してくれたのなら作品に満足されないのは非常にまずい。彼はとても良いパトロンになってくれるから失望されたくない。

「……いや……」

 彼はなにかを言いかけて、背を向けた。

 これは、あまり良くない反応だ。

「旦那様?」

 少しくらい感想を聞かせて欲しい。そう思うのに、すたすたと立ち去ってしまう。

「……すごくいい出来だと思ったのに……」

 信念が折れてしまう。

 きっと、寝不足のせいね。

 旦那様がいなくなった広いベッドを独占できる。

 寂しいけれど、今はそうするのが一番だ。




 夕方近いお昼にのっそりと起き、昨日【旦那様】の上着で作ったドレスに着替える。もしかすると上着がないと探していたかもしれないと少し期待していると、廊下でチャドに遭遇した。

「アンジー、そのドレスいいね」

「でしょ? 旦那様の上着なの」

「え? あー、そういや見たことあるような……アンジー、許可貰ったのかい? まぁ、ジルなら怒らないとは思うけど……それ、俺の給料より高いぞ」

 チャドは呆れた顔で言う。高価だとは思ったが、チャドの給料がどのくらいにせよそこそこまずい品物だったかもしれない。

「旦那様が構ってくださらないから少し怒らせてみたいと思ったの」

「え? 昨夜もだめだったのかい?」

 チャドは信じられないと目を見開く。

「昨夜は、旦那様、酔っていらっしゃったみたいで……たくさんかわいいとは言ってくださったけど……今朝は固まってばかりだったわ。でも……初めて名前で呼んでくださった……」

 ああ、今朝はちゃんと「アンジェリーナ」って。でも、酔っているときは「アンジー」と呼んでくださるのよね。

「たくさん可愛がって欲しいのに、名前すら呼ばれないのは寂しいわ」

「酔うとアンジーの話ばかりだよ? 彼は」

 胡散臭い。どうもチャドは調子がいい。

「昨夜旦那様にお酒を飲ませたのはあなた?」

「うん。いいワインが手に入ってね。それにアンジーもその方が喜ぶかなって。たくさんかわいいって言われたんだろう? え? 同衾拒否されたの? また」

 酔っててそれはないだろうと彼は言う。

 確かに昨夜、同衾を拒否したのはあたしの方だ。

「昨夜は創作意欲が刺激されすぎて旦那様を放置して一晩中絵を描いていたわ」

「なにやってるんだよアンジー、折角のチャンスが」

 昨日のあたしの首を絞めてやりたい。あの【旦那様】だって一度事実ができてしまえば諦めてくれるはずだ。諦めておいしいディナーかわいいアンジー をたくさん食べて可愛がつてもらわないと。

「まぁ、アンジーの新作ができたならジルも満足なんじゃない?」

「朝一番に見せたのに、硬直してなにも感想くれなかった」

 気に入らなくてなにを言っていいのかわからなかったのかもしれない。

「いや、今頃ぴったりの額縁を探しているって」

 どうしてチャドはそんなことを言えるのだろう。

「旦那様のあの冷たい顔を見ていないからそんなことを言えるのよ……やっぱり、結婚できない女のままでよかったわ……旦那様が熱心に求婚してくださったと聞いたから……期待しすぎてしまったのね」

 どうせ夫婦になるなら、仲良くしたい。たくさん可愛がってもらいたいし、彼のことを好きになりたい。けれども、この状況ではそれは難しい。

「アンジー、ジルは少し人見知りで緊張しやすいだけだ。確かにすごく繊細な男だけど、君を望んで求婚したことだけは確かだよ。それとも、ジルを捨てて俺に乗り換える?」

 慰めているつもりだろうか。笑うチャドに少し呆れる。

 すると彼の背後からすぅっと【旦那様】が現れた。

「チャド、シャーベットならいくらでも用意してやろう」

 穏やかな笑みなのに、彼の声がとても冷たく感じる。

「あー、いや、俺はいいよ……冷たい物はあんまり良くないだろ?」

 シャーベットはそのまま食べ物のシャーベットなのだろうか? だとしたら少し肌寒いこの時期には不釣り合いに思える。

「アンジー、たしかシャーベット好きだったよな?」

 チャドは少し緊張した様子で訊ねる。

「え? ええ。特にメロンのが好きよ。苺もいいわね」

 どうして急にそんなことを訊くのかしら。

「実は、ジルの魔力は本当に使えない魔力で、無限にシャーベットを生み出せるとか訳がわからない魔力なんだよ。唯一嬉しい点は好きな味のシャーベットを出せるってところかな。でもアンジーが好きならジルはいくらでも出してくれるよ」

 なっ、ジルと彼は【旦那様】を見る。すると、【旦那様】は一瞬あたしを見て、やっぱり硬直した。

「……メロン、苺……マンゴー、オレンジ……好きなだけ、選ぶといい」

 綺麗な硝子の器に色とりどりのシャーベットが盛り付けられる。

「美味しそう。素敵な魔法ね」

「ジルはこれしかできないけどな。だから魔術嫌いって言われてるんだ」

 別に嫌っているわけじゃなくて使えないだけだとチャドは笑うが、温度が下がった気がする。

「あたしはどこでも浮いていられるからいいけど、チャドは廊下でもらっても立って食べるしかできないわね。どこかでお茶にしましょう」

 二人に声を掛けるが、どうやらそれは叶わないらしい。

「あー、アンジーごめん。俺ちょっとジルと話があるみたいなんだ」

 顔色が悪くなってきたチャドが言う。

 一体どういうことだろう。

「チャドには新作のシャーベットを用意してやろう」

「いやいやいや、俺はいいって」

「遠慮するな。一晩中食べ続けても尽きないぞ」

「いやいやいや、機嫌悪いからって俺にシャーベット食わせようとするなって」

 どうやら【旦那様】は不機嫌らしい。確かに機嫌が悪いと魔力が不安定になったりするから何かで発散したくなる物よね。あたしの場合は大体浮いて過ごすからいいとして、【旦那様】の魔力は確かに不便かもしれない。

「旦那様の不機嫌はアンジーが癒やしてあげたいのに……」

 遠ざかっていく二人を見送るのは少し寂しい。それを誤魔化すようにシャーベットを口にした。

「あら、美味しい……」

 王都の人気店のシャーベットより美味しいかもしれない。

 これは、時々おねだりしたくなってしまうかもしれない味だ。




 一人での夕食にも大分慣れ、入浴後、ベティに髪を結ってもらう。

 今日は大人しい雰囲気のネグリジェにしておこう。

 それにしても、【旦那様】の不機嫌の原因はなんだったのだろう。別にあたしのドレスを見てという訳ではなさそうだったから、上着を切り刻んでドレスにしたことは怒っていないようだ。

 酔った勢いで別館を作ると言ってしまったことを後悔しているのだとしたら建築を中止させたっていい。プリンターがあったら素敵だとは思ったけれど、本当に買ってもらえるなんて思っていないし、あれは【旦那様】を少し困らせてみたかっただけだ。

 チャドに言ったことは嘘じゃない。こんなに構ってもらえないなら、ずっと実家でユージーンの頭痛の種として過ごしていた方が良かった。

 積極的な女の方がいいと思ったけれど、どうも【旦那様】の好みではないみたいだし、今朝のあの様子だと、やっぱり作品の出来が気に入られなかったようだ。

 嫁いできた日には満タンだった自信は既にガス欠状態のようで、心の元気がすっかりとエンスト寸前だ。

 あたしにしては珍しく、とても沈んだ気持ちでベッドに入る。ポジティブなところが取り柄のはずなのに、なんとも言えない悲しさが込み上げてくる。

「……たくさん……可愛がって欲しかったのにな……」

 一度沈んだ心というのは、簡単には浮上してくれないらしい。気付けば涙があふれ出す。それを誤魔化すように蹲れば更に悲しくなってしまった。

 たくさん泣いてしまったからだろう。すぐ後ろの気配に気付けなかった。

「アンジェリーナ、大丈夫?」

 後ろから、優しい声が響く。

「どこか辛いのかい?」

 優しい、大きな手が涙を拭った。

「だんな、さま?」

 彼はまた酔っているのだろうか。酔っていないとあたしには声を掛けられないひとだもの。きっとそうに違いないわ。

「私が……泣かせてしまったのかな」

 優しく抱きしめられる。そして、ぽんぽんと背を叩かれた。

 それがとても心地よくて、いとも容易く寝かしつけられてしまった。


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