大型犬に懐かれた~勘を信じないとこうなる良い例~

天野建

大型犬に懐かれた~勘を信じないとこうなる良い例~

「あー」

 美音は、やっちまった感いっぱいの声を上げた。

 こうなるのを避けるために、この道を通るのを避けていた。

 けれどこの道は、この先の蛍がでる小川に行くには大変便利な道。

 暇だし、昼間だし、下見がてら、つい足を向けてしまった。


 小川へと抜ける、大きなお寺の脇の道。

 そこで、1人の少年とお尻が金色の巨大なアリンコが対峙していた。

 と、いってもきっと視えない人には、少年が道で突っ立って、空を睨みつけているようにしか見えないだろう。少年の3メートル程先には、確かにアリンコがいるのだが。


(あー。そういう事ね)


 少年。金色のお尻のアリンコ。

 美音は瞬時に、状況を理解した。

 まさにこんな場面に出くわしたくない為、この道を避けていたのだ。


(あ~あ)


 美音は片手で目を覆い、空を仰いだ。


 美音がこの町に越して来たのが、一週間前。

 いつもは極力外出しない美音だが、越して来て初日。来た町を少し散策しようと靴を履いた。

 商店街や田んぼのあぜ道、草をふりふり歩いていた時、たまたまこの寺の、この道を通りかかった。

 その時に聞こえて来た微かな呟き。


<ああ、困った困った。このままでは家が潰されてしまう。仲間が死んでしまう>


 その声に釣られ、お寺の椿の垣根の隙間から覗いた先。そこには小さなアリンコ。

 それがうろうろと地面を行ったり来たりしている。


<やめてくれないかのう。このままではこの地も守れなくなる。ああ、困った困った>


 アリンコがうろつく先には、ショベルカーなどの重機。

 おそらく寺を改装するのだろう。もういくつもの大きな切り株が見える。

 近代的な作りのお寺にするつもりなのか。地面を石やコンクリートで固められたら、アリンコ達も過ごしづらくなるだろう。


<ああ、また木が倒された。困った。困った>


 美音はそっとその場から離れた。

 美音にできる事は何もない。

 アリンコがなるたけ平和に暮らせるように、祈るだけだ。

 そしてこの面倒事に巻き込まれないように気を付けるだけ。


(見事に失敗したぁ)


 その厄介ごとに。

 ジャストタイミングで遭遇してしまうとは。

 少年の先に視えるアリンコは、あの時ぼやいていたアリンコだろう。

 あの時のアリンコも尻が金色だった。

 おそらく家を失い、仲間を失うのに、我慢できず、工事を妨害する行為をしたに違いない。

 そしてあの少年が、その妨害をやめさせるため、アリンコ退治に出てきた。


(さて、どうするかなぁ)


 今は怒り心頭のアリンコだが、先日視たアリンコは、自分たちの住処を荒らした人間たちに悪意を持っていなかった。ただ、やめて欲しいとだけ願っていた。


(アリンコはいい子なんだよねぇ)


 そんなアリンコを退治されたくない。


(とすると、ここはやりたくないけど、仲裁に入りますかぁ。やりたくないけど)


 美音は結論を出すと、対峙する両者に近付いた。


 それにいち早く気づいたのは、手前にいた少年だ。

 随分と背の高い。短めの髪。きりりとした眼差しは文句なくかっこいい。


「ばっ! おい! こっちくんな! あぶねえ!」


(うーん。語彙が残念。でもこれなら)


 美音は自分よりはるかに高い位置にある少年の顔に指を突きつけた。


「少年! 名前は!」

「は?」

「な・ま・え! ないの!?」

「あ、あるさ! 航生! 秋月航生だ!」

「よし!航生ね!じゃ、貴方、あのアリンコを気絶させる事できる?」

「へ?」

「無理? 大きいもんねぇ。難しいかぁ」

「む。できるさ! そんなの簡単だ!」

「そう? 殺してはダメよ。気絶させるだけ。いい?」

「おう! 見てろ!」


 少年はアリンコに向き直ると、何やらぶつぶつと唱え始めた。

 それからすっと頭上に大きく手を上げると、大きく振り下ろした。


いかづち!」


 刹那、アリンコの眉間に一筋の閃光。

 次の瞬間、アリンコはくずおれた。そしてその身体は瞬く間に縮んでいく。

 そして1センチほどの大きさになった。それでもアリンコとしては大きい。


「へっ! どうだ! 俺の実力!」

「はいはい。大変よくできました」


 美音は、少し背伸びをして、少年の頭を撫でてから、アリンコに近寄り、そっと手のひらに拾い上げた。


「アリンコさん、アリンコさん。起きて」


 美音は指先でアリンコをゆする。

 アリンコの前足がピクリと動いた。


「乱暴なことしてごめんね。アリンコさん、頭に血が上ってしまって、お話聞く状態じゃなかったから、一度冷静になってもらいたくて、ごめんなさい」


 アリンコは頭をもたげ、じっと美音を見つめる。


「あのね、ここで出会ったのも何かの縁だと思うから、私とここにいる少年とで、何とか貴方たちが居住できるスペースを残してもらえるよう、このお寺の人に掛け合ってみるね」


 と言っても、美音なんてここに一週間前に越して来たばかりの新参者で、ましてやまだ16歳の子供だ。まともに相手にしてはもらえないだろう。そればかりか、不審者と思われるかもしれない。

 期待したいのは、この少年だ。ここに根を張っている一族の一人である事を祈る。

 が、それを今言う必要はない。


「でも、ここまで工事が入ってしまってるから、もう止めるのは難しいかもしれない。その場合、君や、君の仲間が安全に暮らせるところを探してくる。そこにお引越しして欲しいの」


 美音は一生懸命話す。


「長年住んで、守っていた土地を離れるのは辛いと思うけど、仲間を守るために、お願いしたいの。本当、人間の身勝手で、ごめんなさい。でも、アリンコさんたちに死んでほしくないから」


 アリンコはしばらく、美音を見上げていたが、やがてこくりと頷いた。


「ありがとう。じゃあ、話し合いが済んだら、ここに来るね。今日は仲間のところお帰り」


 美音はそう言って垣根のところに、アリンコをそっと下ろした。

 アリンコはゆっくりと敷地内に降りていった。

 それを見送ると、美音はくるりと少年に向き直った。


「さて、聞いていたわね。そういう訳で、この寺の持ち主と話ができるように手配して欲しい。もちろん、言い出しっぺは私だから、私も一緒にいくから」

「な、なに勝手なこと言ってんだよ! 俺があのアリを退治したほうが簡単じゃねえか! そうすれば、俺の評価もあがる!」

「評価?」


 美音は首を傾げる。

 その時、見計らったように、少年の後方の離れた場所に、一人の男が姿を現し、こちらに軽く一礼をする。


(あぁ、なるほど。また面倒だわぁ)


「そう、貴方の事情もあったのね。ごめんない。でもね、ただ、やみくもに殺してしまうより、よりあのアリンコを有効活用したほうが、きっと貴方の評価もあがるわよ」

「ほ、本当か?」

「ええ。あのアリンコはこのお寺の土地を守護して来たみたい。話し合いが上手くいって、暴れ無くなればよし、引っ越しにいたった場合は、きっとあのアリンコさんは、その土地を一生懸命守ってくれるでしょう。もしかしたら、福までもたらしてくれるかもしれない」


 これだけ大規模工事するお金があるんだ。かなり羽振りがいいのだろう。それはもしかしたら、アリンコたちのせいかもしれない。


「そうなったら、貴方の評価もグーンとあがるわよ。殺さず、有効活用したとしてね」

「マジか!?」


 航生はぶーたれた表情から一転、生き生きと目を輝かせる。


「ええ。みんなが航生を認めてくれるわよ」


(多分ね)


「よーし! 俺、親父に話してみる! そしたら、連絡するな! お前、名前は」

「秋水美音」

「美音か!」


 航生はライン設定を終えると、走って行ってしまった。


「はあ。とんだ休日になったわ」


 美音は小川の散策に行く気にもなれず、家に引き返した。



 それから。

 航生からすぐに連絡が入り。

 寺の住職と話し合いの場が持たれた。もちろん、言い出しっぺの美音も同席した。

 けれど予想通り、寺の改修工事を中止はおろか、内容を変更することもできなかった。

 むしろ、話し合いの場を持てたこと自体、ましてや美音が同席できた事を大いに評価するべきだろう。航生の家がこの町でいかに力を持っているかを物語っている。

 けれど、寺自体の決定自体は覆せるほどの力はなかったのか。


(あー。違うかも。もしかして、寺に自分たちはちゃんと警告したよという意思表示をしたかっただけかも)


 きっとあの判定者から、アリンコの存在意義の報告を聞いて、少年の一族の誰か偉い人が、自分の土地にお引越しをさせてしまえと考えてもおかしくない。


(まぁ、アリンコが幸せなら、どちらでもいいけどね)


 かくしてアリンコたちは、少年の家、秋月家ゆかりの土地にお引越しになった。

 そしてこれでこの件は一件落着した筈。


「なのに。どうしてこうなった」


 美音は自分の席の前に立つ航生を見て、目を眇めた。

 狭い町だ、同じ高校に通っていてもなんの不思議もない、まあ同学年だったのは少し驚いたが。航生とは先の件で、少し話しただけ。それきりの縁だったはずだ。なのに。


「美音! 俺と一緒に住もう! 今日一緒に俺の家に来てくれ! 親を紹介する!」


 その少年の言葉に教室の空気がざわりと揺れた。


「ちょっとどういう事? いつも不機嫌そうな顔で、周囲を威嚇していた秋月くんが、転校生にプロポーズしてるわ」

「な、なにが起こってる? 言葉より拳で語る秋月が、女子に話しかけ、嫁にと、口説いてるぞ!?」


 外野の声を拾った美音は、頭が痛くなった。


「おい! 美音! 無視すんな!」


 心持しょんぼりした顔をした航生が、美音の気を引こうと机に両手をついた。


「あー、はいはい。ごめん、ごめん。いきなり、教室に飛び込んで来たと思ったら、いきなりな内容だったから驚いてたの。無視したんじゃないから」


 美音はぽすんと彼の頭に手を置いた。

 瞬間。本日二度目。教室がざわめいた。


(あー失敗した)


 つい、犬の感覚で撫でてしまった。

 これはまた誤解を招く一因になったのは間違いない。


(目の前の彼が満足げなのが、解せない)


 教室内の空気など、なんのその、航生は嬉し気に目を細めている。

 なんでここまで、自分に懐いた。


(わからぬ)


 眉間に皺が寄るのを感じながら、美音は考え込んだ。

 それに焦れたのか航生は更に返事を促す。


「そ、それで。返事は? 俺、お前が傍にいれば、大丈夫な気がするんだ! だめか?」


 上方にある筈の彼が、器用に自分を上目遣いに見つめる。

 そして後ろには大きなしっぽがしおしおしているようにみえる。

 ざわり。


「おい! あれ本当に秋月か?!」

「まさか偽物!?」


(はい。本日三度目、いただきましたー)


 いやな注目をされ、もう自分から突っ込むしかできない。

 航生が言いたいのは、きっとアリンコ退治のような彼の仕事に手を貸して欲しいとの事だろう。

 それで、親に紹介して了解を得たいと。


「あ? さっきからうるせえよ。何?死にたい?」


 周りのざわめきが気になったのか、航生が低く呟く。

 途端、周りのざわめきがぴたりとやむ。


「こらこら、やめなさい」


 ぽすんぽすんと彼の頭を叩く。


「へへ。美音の手、気持ちいい。もっと撫でて」


 いや。撫でてないから。

 彼女の手のひらに頭を押し付けている姿は、先ほどクラスメイトを威嚇している片鱗も見えない。

 ちらりと航生から視線を外せば、クラスメイトたちの愕然とした顔。


「なあ。美音、美音ってば、返事!」


 返事を待ちきれず、さらに身を乗り出してくる航生に、もう逃げられないと悟る。

 そしてクラスメイトたちと一線を置かれるだろう予測。


「あー。やっぱりあの道はさけるべきだったなー」


 逃避から見上げた空の青さが、美音の目を焼いた。

 カラスの鳴き声が遠く、聞こえた。

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