2曲目 幼馴染みと俺

 決意を固めた俺に、奏太が耳打ちする。


「これでチョコレートを渡せるね」

「モップと一緒に掃除道具入れに押し込もうか」


 即座に返した言葉は、冷ややかな怒気をはらんでいた。


 背を押されなければ行動できない臆病者だからこそ、告白シミュレーションは百回以上済ませている。想定できる状況を全て考え尽くした結果、渡せずに自分が食べるかフラれることの二択しかないと絶望したんだ。簡単に逆チョコを提案するな。


 奏太は目を白黒させた。


「何で? 親友からの見事なパスだよ? りっくんなら得点できるってば」

「食べきれない量のチョコをもらえる輩の言葉は信用ならん!」

「そりゃあ、そうかもしれないけど。でも、ずっと名字で呼ばれていいの?」

「むしろ好都合だよ」


 自分の名前なんて大嫌いだ。それほど歴史の授業で聞いた笑い声がトラウマになっていた。


 むくれていた奏太は手を叩くと、新たな玩具を見つけた子供のような声を上げる。


「楽しみだなー、りっくんの歌」


 目をしばたかせた。

 俺も歌うのか?


「一曲は歌ってよ。せっかくのイケボなんだし」

「持ち上げすぎるといつか刺されるぞ」


 無自覚で怨恨を生み出していないか心配になる。


「嬉しい。心配してくれるの、りっくんだけだよ~」


 上機嫌で俺の頭を撫でる奏太に、溜息が止まらない。


 こいつは何も反省していない上に、俺の発言でストーカー被害を終わらせたことすら忘れている。「蜜蜂に謝れ。劇薬並みのはちみつレモンを作らすために、生まれてきた訳じゃないんだぞ」と毒づいた人間が、人様を思いやれるはずがない。


 頬を膨らませても睨みつけても「かーわーいーい!」とはしゃぐ奏太の目には、フィルターが幾重にも掛かっているようだ。俺が持っていたモップを奪い、小走りで片付けに行っていた。


 やっと一人の時間が戻り、俺は席に着いた。気配を消してホームルームに耐え、三十分後のバスを待つ。


 皆が部活に行けば、今日も平穏に過ごせるはずだった。だが、想定外の出来事は連続する。俺の前を女子生徒が通り過ぎたとき、音楽プレーヤーに気付いて立ち止まった。


「何聴いてるの?」


 音量を落として聴いていたため、誰が話し掛けたのかすぐに分かった。幼馴染みの乃々歌だ。当番日誌を書き終えるまで教室に残っていたのだろう。


「ほれ」


 俺は右耳につけていたイヤホンを渡した。俗にいうイヤホン半分こだ。幼稚園から一緒に過ごしているおかげで抵抗はない。


 小学生のときは幼馴染みの関係を笑いの種にされたが、親同士が仲良くても家が近くても距離が縮まるかどうかは本人次第だ。乃々歌は清楚にしたり天真爛漫になったり大きくキャラを変えるため、対応しにくさを感じた時期もあった。


 サビまで聴き終えた乃々歌は、物足りなさそうな表情を浮かべていた。


「無難すぎない?」

「手拍子のリズムを確認しているだけだしな」

「えっ? 歌おうよ」


 奏太の反応と重なり、俺は苦笑した。


「もう! 響子ちゃんに惹かれて行くなんて」

「そんなに怒るなって」


 包み込むような優しさに溶けない男子はいない。ぽかぽか肩を叩く乃々歌をなだめていると、サッカー部のマネージャーという事実に思い当たる。


「そういや、部員に中学のこと話したか?」

「どうして?」


 奏太のイケボという発言が引っ掛かっていた。芸術科目は美術を選択したため、歌のイメージは皆無だ。なぜ認識されるようになったのだろう。


「『ピアノ弾くときの姿も好きだけど、歌ってるとこが一番好き』とは話したね」


 話の前後が怖くて聞けない。かなり美化されている気がする。


「かっこいいって言ってた子、多かったんだよ?」

「慰めはいらないから」

「ほんとだって」


 真剣そのものの顔を見ると茶化せない。


 三歳からピアノを習っていた俺は、合唱で伴奏を任されることが多かった。選ばれることは誇らしいものの、練習の時間しかクラスメイトと歌えない淋しさは堪えた。だからこそ、調子に乗って悲劇を呼び起こしたのだろう。


「じゃあ、何であの子は反吐が出るって答えたんだろうな」

「それは」


 乃々歌の目は泳いでいた。現場にいた彼女も覚えているはずだ。俺が片思いしていた子にフラれる瞬間を。


「素直に褒めることができない人もいるんだよ」


 俺は唇を噛んだ。つまらないプライドのせいで、俺は校歌ですら歌うのが怖くなったのか。


 息を呑む声に我に返る。不満をぶつける相手は乃々歌ではない。


「すまん」


 詫びを入れてから気まずい静寂が流れる。沈黙を破ったのは俺だった。


「参加はする。だけど自分から歌うつもりはない」


 そろそろバスの時間だ。

 立ち上がって背を向けた瞬間、乃々歌が泣き出しそうな顔になっている気がした。


「なぁ。模試の結果、大丈夫だと思うけど」


 俺はマフラーに顔を埋めた。


「応援してる」

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