チョコレートは贈らない
羽間慧
1曲目 無縁のイベントのはずだった
「バレンタインデー模試!」
掃除時間、野太い声が二年五組の教室に響き渡った。生徒指導の先生が「静かにやれー!」と遠くで一喝したが、即席のユニットは笑顔で歌い続ける。
「バレンタインデー模試! バレンタインデー・MO・SHI!」
とうとうイカレたか、うちの男子ども。極度の不安とストレスは共感する。迫り来る受験生という肩書と、土曜の登校はきついよな。おまけに模試前日はロードレース大会だし。だけど、その引きつった口元は、同性としてフォローしきれない領域に入ってるぞ。女子から憐みの目線を注がれていることに気付け。
心の中で毒づきながら、俺はモップを黙々と動かしていた。
存在感を消せ。目立つな、目立つんじゃないぞ。「
だが、一人の世界はあっけなく崩れ去る。
「りっくん、りっくん」
太陽を擬人化したようなクラスメイトが俺の肩を叩く。
「何か面白いこと言って。クラスのみんなにも聞こえるように」
爽やかイケメンの無茶ぶりに眉をひそめる。
「は? 何が悔しくて、陰キャが盛り上げないといけないんだよ」
「りっくんは陰キャじゃないよ。天使です!」
「だーかーらー。堕天使の間違いって、いつも言ってるだろ!」
「そっか、そっか。天使じゃなくて神の方が好みだったか~」
「邪神な……ってそうじゃねえ!」
周りの目が気になる。痛い奴だと思われていないか心配だ。
だが、いつものやりとりとして生暖かい目で見られていた。四月から同じような掛け合いを続けていれば当然か、と納得してしまう自分に腹が立つ。奏太との腐れ縁を断ち切り、一年までの平和な生活に戻りたいはずなのに。
俺の心中を知ってか知らずか、奏太はにやりと笑った。
「面白いこと以外ならいいんでしょ」
不穏な言葉に、本能が警報を鳴らす。
「カラオケ行こう」
「誰がリア充の巣窟に好んでいくか」
ほかの利用者を敵に回す言葉だが、奏太とのカラオケを全力で阻止するためだ。多少の言動は目を瞑ってほしい。内向的な性格の方なら、大人数で行く苦痛を分かってくれるよな。
「大丈夫、大丈夫。悪いようにしないから」
悪役顔を引っ込めた奏太は、机運びを終えた女子の集団に声を掛ける。
「響子ちゃんも行く? 俺が奢るよ」
彼女がこちらを見る前に、俺は奏太のシャツを引っ張った。
クラスのアイドルが、むさ苦しい面子と行く訳がない。おまけに、放課後の予定が常に埋まる人気ぶりだ。バレンタインデーならば、すでに女子からスイーツ食べ放題の誘いを受けているに決まっている。
俺の予想に反し、響子さんは笑顔で頷いた。
見間違いではない。楽しみにしてるという返事と、奏太のドヤ顔がその証拠だ。だが、俺は一つだけ不満があった。
天使の微笑みに動じない奏太には、人として大切な何かが欠けているような気がする。どうして口をぱくぱくさせたり、目を逸らしたりしないんだよ。
「騒がしくしたらごめんね、常盤くん」
「えっ、そんなことないですよ。気にしないでください」
俺は急に話を振られて早口になる。一瞬だけ会話できた喜びも束の間、沸き立つ歓声で存在感が消されてしまった。
「俺も行きたい!」
「ちゃんと自分の払うから連れてけー」
掃除場所から帰ってきた人々も加わり、教室が一気に騒がしくなる。
俺は響子さんを見つめた。取り囲むクラスメイトの間から、容姿が少しだけ確認できる。
大部分の指先を隠すカーディガン。華奢な足を包んだ、黒いストッキング。大人っぽい雰囲気にどぎまぎする。
先生にタメ口できる人懐っこさや、可愛らしく小首をかしげる様子に惚れ込んだ。
そんな誰にでも愛されるハンバーグさながらの王道さは、ときに自分の欠点を浮き彫りにさせる。
こんなに近くにいるのに、響子さんの視界に俺が入る時間はわずかしかない。十月までは横顔を見るだけで幸せな気分に浸れたものの、そろそろ傍観者のままでいるのが苦しい時期になってきた。
俺はいつまでパセリなんだ。ポテトの存在感、いわば体育会系の暑苦しさにも負けているぞ。
カラオケは明後日。そのときまでにモブキャラを卒業しようと拳を握りしめた。
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