Fatal Bouquet

書矩

Fatal Bouquet

 僕は君に呪われた。なんでそれがわかるかって? 君の言った通りのことが起こったからだ。──花束が、膨張しているんだ。


***


 君は元来、花を粗末にするたちだった。気に入った花があればすぐ摘んだ。それらは飾られることなどなく、家に着くやいなや忘れられた。酷いときには花を手にして三歩目でそれを捨てた。

「だって飽きたんだもの」

 なら摘むなよ、という言葉は彼女には無用だった。

「仕方ないじゃない。さっきは確かに欲しかったのよ」

 そう言って肩をすくめてみせた。

 ルールは守る人間だったから触れるのを禁止された花には近付きすらしなかったが、その代わり手に入れられる花すべてをぞんざいに扱った。貰い物も例外ではなかった。花束は花瓶に収まる感触を知ることなく枯れた。

 神は、そんな君に罰を与えた。君の頭部は花束になっていた。とりどりの花があった。初春のものから真冬のものまで幅広く。

「よっ」君は片手を挙げて、かるーい挨拶をした。

「うん」僕はまだ咀嚼していたのでそれだけ言った。

「何食べてんの?」

「フレンチトースト」口の中にまだ優しい甘さと微かな温かさが残っている。

「いいなー、さっきご飯食べなきゃよかった」

 数ヶ月ぶりに会えた、真冬のことだった。僕らは都心のカフェで待ち合わせをしていた。僕は不思議なほどに冷静だった。君の冷えたであろう身体をいたわり、温かい飲み物を注文した。君がそれを飲み終え、支払いを済ませると、君は僕を曇り空の下に連れ出した。行くあてはなかった。僕はもう一度君の全身をよく見た。細身だが暖かそうな乳白色のコートからワインレッドのスカートがのぞき、足元は革のブーツ。僕好みのコーディネートだった。改めて頭部の異質さが目立つ。色彩を失くして灰色に沈む都会の陰鬱さの中で、君の頭部だけが実りの喜びを忘れないでいた。

「何があったんだよ、その頭」

「えっ」

「えっ?」えっ、て何だ。

「私の頭、何に見える?」

「は? 花束じゃないか」

「……私以外には見えないと思ってたのに」

「なんつった?」

「私以外には見えないと思ってたのに、って言ったのよ」

「お生憎様、ばっちり見えるぜ。一輪一輪まではっきりな」

 君は黙った。

「……で、なんでそうなったんだよ」

「バチが当たったんだよ」

「ああ、お前花に乱暴してたからな」

「もうちょっと言い方ないの?」

「ないよ」

 君はため息をついた。

「私、もうすぐ死ぬんだよ」

「そうかい」

「冷たいね」

「すぐ反応を返せる奴の方がよっぽど嘘くさいだろ」

「ふうん」

「いつからだよ、それ」

「一週間前から」

「結構経ってるな」

「私以外には分からないから良いかな、って」

「じゃあなんで僕に会いに来たんだよ」

「もうすぐ死ぬからだよ」

「はぁ?」

「だんだん身体が植物のそれに変わっていくんだよ。もう固形物が食べられなくなった」

「……」

「しばらくしたら動けなくなる。でも私には十分な葉緑体がないから、花を生かすために身体が死ぬ」

「突然だな」

「だからお願いなんだけど」

「何だ」

「私の身体が死んだら、この花束を捨ててほしいの。私、あなたにも呪いをかけてしまったのよ」

 僕は混乱していた。君の顔が二度と見られないだけでなく、君が死ぬだって?あの絹布を手に持ったようなしっとりした髪も、目尻の長い潤んだ眼も、その光彩を隠す長い睫毛も、いつもきっと結ばれていた唇も、僕はまだ見足りていないのに?

「拒否権なんて無いじゃないか」僕はやっとそれだけを言った。

「そうよ。あなたは、私の言いなり」

「従うよ」

「やった」君は小躍りした。

 君は僕の部屋で暮らし始めた。君は外出をしなくなり、家の中でも動けなくなり、弱っていった。花束は君の血肉を糧に膨らんでいた。今ではもとの頭部の三倍くらいの大きさだ。僕は葉を撫でるくらいしか出来なかった。

 君と新年を迎えた。辛うじて会話が出来るのが唯一の救いだった。

 節分を過ぎた。君は死なないのではないか、そう思い始めた。

 ある雪の降る午後、君は死んだ。正確には君の肉体が。花は見事なものに育っていた。僕はそっとブーケを持ち上げた。まだ暖かかった。そういえば、君は体温が高いほうで、冷え知らずで、僕はいつも暖めてもらっていたんだったな。

 ベランダに出た。素足が赤くなり始める。ブーケを精一杯振りかぶったが、捨てられなかった。ここで僕はようやく、神が僕にも罰を与えるつもりなのだと悟った。僕は彼女の蹂躙行為を積極的には止めようとしなかった。おそらく彼女のほかの肉親や知り合いはそうでなかったのだろう。僕らは共犯者となっていたのだ。

 花束を広口の花瓶に生けた。僕は手入れを決して欠かさなかった。

 しばらくして、僕はいきなりぶっ倒れた。物音を聞き付けた隣人の通報のお陰で、僕は一命を取り留めた。僕は激しく衰弱していたらしい。医者は原因が分からなくて、頭を捻っていた。病室にはブーケが届けられた。どこまでも逃げられないらしい。

 僕の左腕には点滴針が繰り返し刺された。痕が無くなることはなかった。僕は花束が僕の命を吸っているのを理解した。けれどそれは本望であるように思われた。よく分からない病気や人に殺されるより何億倍も良かった。

 『君』の成長する早さはとっくに僕の身体の回復力を上回っていた。全ての物質は僕の体内に届く前に『君』に持って行かれた。僕の容態の悪化を叫ぶシステムの音。ぴーぴーぴー。看護師が部屋を駆け出した。その隙に花が視界を覆った。クレマチスの花弁が見えた。クレマチスなんて初めはなかったのに。蔓植物の女王が致命的な愛を僕に注ぐ。

 蔦の先がこちらに這ってくる。頸動脈を狙われていることは痛いほどわかった。僕はおとなしく病人服の襟を開いた。

 ぶわり、花が馨った。それが最後。視覚、嗅覚、聴覚、味覚が奪われた。それを悲しく思う涙も残っていなかった。僕は『君』になった。

 僕はあらゆる手を尽くされた。やがてどんな手も効かないと知れると、病院裏の集積所に廃棄された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Fatal Bouquet 書矩 @Midori_KAKIKU

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ