第41話
あたり一面、床が魔法陣で埋め尽くされていた。もうそれを描く場所はない。サマリスの下にまで敷き詰められている。
サウサミーケがゆっくりと息を吐き出した。
「そこの、床に寝ているのも、寝言は寝て言うんだな。何が傷つけたかったんじゃないだ。人の大切なものまで壊しておいて、今時の貴族はまともな教育も受けられないのか。人のものは人のものだ。壊すのはいけないと教わらなかったのか。サマリスの戦闘用魔導生命も、彼の本も彼のものだ。まして、お前たちは彼の友達すら奪ったんだ」
縮み上がる二人にサウサミーケが一歩近づいた。
「サマリスはサウサミーケの友達だ。サウサミーケは別にお前たちを懲らしめるためにここに来たんじゃないんだ。ただ、サマリスを手伝うためにここに来た。あいつ、ちょっと頼りないし、もう三十二歳で一兄より年上で、用心棒の契約も途中で破棄するようなやつだけど、それでもサウサミーケの友達だ。それに、ニフユもサウサミーケの友人だ。これを言うと彼は納得しないだろうけど、彼はサウサミーケの友達なんだ」
魔法陣の瞳がリルリスとカルリスを覗き込んだ。
「いいか、お前らはサウサミーケの友人を理由もなく傷つけた。サウサミーケはあの扉の前で言ったはずなんだ。『今日は話し合いにきた』ってなのに、お前たちは話も聞かず、サマリスを殴った。ニフユだって殴った。お前たちの話っていうのが暴力なら、サウサミーケだってそれで返す」
サウサミーケの傷だらけの拳が握りこまれた。血の生臭い匂いがするのは、サウサミーケからだろうか。
拳がまずはひとつ、リルリスに叩き込まれる。ダイニングの椅子をいくつも巻き込んで吹っ飛んでいった。恐怖に固まるカルリスはサウサミーケに胸ぐらを掴まれる。彼女の力で巨漢の王の上半身が軽々と浮く。そのまま一発、拳が腹にめり込んでいた。グラグラと体が左右に揺れて、抵抗も虚しくぐったりとする。口からは血が一筋流れていた。
片方はサマリスがやられたことに似ていたし、もう片方はニフユがやられたことにそっくりだった。
サウサミーケがぐったりした男を地面に捨てて、自分の足元の影に喋りかける。
「ニフユ、これで満足? そのうち力加減覚えて自分でやりなよ」
「ああ」
ニフユが彼女の影の中でほくそ笑んでいるようにも思えた。
サマリスが辺りを見回すと、立派だったダイニングは今や見る影もない。腕の立つ鍛冶屋が鍛えたのかと思うほど輝いていた床はひび割れ、その間に誰の血液とも取れぬものが流れている。その上、魔法陣がいたるところに根を張っていた。サウサミーケの鼓動と共鳴しているのか、一定間隔で淡く輝く。
整然と並べられていたテーブルと椅子はバラバラに引き倒されその中に大きな体の男が一人転がっている。
唯一、人がすっぽり入れそうな暖炉だけが、ポッカリと口を開けて待っていた。あの立派だった昔の家とは程遠い。いつも暗い印象しか持っていなかったその場所に、今は真っ赤な西日が差し込んでいた。燃えているようであった。
サウサミーケの影が彼の足元に見える。影の中に瞳がひとつ浮かんでいた。
サマリスが小さく笑いだした。息をすると喉が痛かった、横隔膜が上下すると、腹に響く、肋骨や腰骨、腕や足がミシミシと嫌な音を立てた。それでも、笑い声は次第に大きく、確かなものになっていく。
サウサミーケはそこに立っているだけだ。英雄の孫だから、それだからなんだというのだ。彼女は伝説ではなく、そこに立っていた、確かに影が存在する、触れる。声が聞ける、飯を食べる、眠る、怒る、喜ぶ、笑う。
彼女の友人であるニフユも、きっとそんなところに惚れ込んでいるのだ。
彼の英雄が、そこにいる。
笑うサマリスを見ていた。
「サマリス、とうとう頭までイカれたのか? 脳みそって、魔法で治せるか?」
「……ちがう。今治ってるところだよ」
「そりゃ、よかった」
影を見て、サウサミーケが首をかしげたのがわかった。地面に張り巡らされている魔法陣は未だにドクドクと脈打っている。サマリスは立ち上がれない。
笑う彼の頭上に、咳き込むような言葉が降った。
「な、何がッ……!! 何が楽じいんだ、サマリず……なんで、笑う……」
愚かな、エルリスだ。もう全ては終わっている。それを受け入れられてない。自分の血を拭ったのか、真っ赤な血がサマリスの視界に映った。もう怖くもなんともない。
ぼたぼた垂れる血を顔面に受けながら、サマリスが彼を見上げている。前歯がない姿はなんとも滑稽だった。
「い、家が、壊されたのに……! どうじでおま、お前はッ! 笑ってるんだ! なァっ!」
「面白いからだよ。おもしろおかしい。形あるものは壊れる。愉快だ」
「お前っ、おかしいぞ! 頭がッ! なあ、弟……」
「頭がおかしいのはお前だ、エルリス・オウファン」
サマリスはそのまま、寝そべったまま。
視界の端に鋭利なものが見えた、ガラスの破片か、なにかか。サマリスはもう殺されない。断固として、他人などに殺されないという覚悟をしていた。
サマリスのオレンジ色の瞳がエルリスを睨んだ。
切っ先がサマリスの胸に振り下ろされる。
「サマリス、この家、もうちょっと壊してもいい?」
サウサミーケの声だった。暖炉の近くにいたはずであったが、彼はもう彼女について不思議に思うことなど何もないのだ。
「ああ、他人の家だ。俺には関係ない」
「……そうだね」
魔法陣の瞳と、オレンジ色の瞳が重なった。
瞬きをするよりももっと短い時間の間に、サマリスの傍らに移動してきていたサウサミーケがエルリスの体を強く掴んだ。そのまま、持ち上げて投げ飛ばす。
人があんなに飛ぶのを見るのは、サマリスも初めてだった。
巨体が、ポッカリと口を開けた暖炉にぶつかる。アーチ状に口を開けていたそれが、音を立てて崩れた。
ガレキの中に失神したエルリスの姿がある。
「すごいな、サミー」
「まぁ、最強だから」
サウサミーケが笑って頷いた。サマリスもまた笑いがこみ上げてくる。思い出は壊れたのだ。
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